吉野の自然と『地域特性』の成立
「座かんさい」主催の「東大寺セミナー」、朝10時から午後5時まで、実に盛りだくさんの内容で、9月の始まりにふさわしい文化的な一日になった。なかでも吉野歴史資料館 館長の池田淳氏の「吉野の自然と『地域特性』の成立」は、実に興味深かった。中央構造線が作った日本文化の源流!
2012-09-02 00:44:21吉野川は降雨量の多い大台ヶ原に源流を発し、険しい山中を縫うように蛇行し、上市で中央構造線に突きあたり、いきなりまっすぐで広い川に変身する。つまりそこで文字通り「世界が変わる」。吉野川の南に広がる険しい山は地質運動の産物であり、だからこそ、そこが「神仙境」となった。
2012-09-02 00:44:50この神仙境は、京からそう遠くない。にもかかわらず、中央構造線のために、京とはまるで違う風景が広がっている。「となりのトトロ」「おむしびころりん」のように、すぐそばにある異界。だからこそ神仙境として人気が高まり、山岳宗教も発達したのでは。
2012-09-02 00:45:20大和上市の大名持(おおなもち)神社は、山中を蛇行する吉野川が、まっすぐで広い川に変身するその場所にある。つまり「俗世の果て=神仙境の入口」となる場所。神社の下の吉野川の潮生淵に毎年6/30に海水が湧き出るとの伝えがあり、この淵で禊をする行事が今日も続いている。
2012-09-02 00:45:54潮生淵 http://t.co/wuLDLSgB この水は禊ぎに使われ、いまはポリバケツに入れて使われるが、その時も必ず吉野川の水を汲み、川原の小石をひとつ、バケツに入れて持っていく。聖なる水である。
2012-09-02 00:46:13この潮生淵は近年の災害で埋まってしまったが、いまでも6/30の禊ぎの行事が行われ「大汝詣り」と呼ばれている。大汝(おなんじ)とは、大名持(おおなもち)の訛ったものと言われているが、地元の人は大名持神社のことを、大汝と呼んでいる。ほんとうにただの訛りか?
2012-09-02 00:46:46大汝(おなんじ)は「難事」つまり、困難や危険を指す。吉野川がこの地点から「険しい山=神仙境」へと入っていく。そこは人知の及ばない危険に満ちた場所。つまり「難事」である。それを神格化したのが「大汝」ではないか? これは、元々の地元のカミではないか?
2012-09-02 00:47:12大和朝廷への抵抗勢力のなかにも、さまざまなヒエラルキーがあり、そのなかで、吉野上市の地元のカミ「大汝」は、「大名持」という「大国主神の分霊」に合一され、上書きされてしまった。つまり、乗っ取られてしまったのではないか。
2012-09-02 00:47:29「大国主神」は抵抗成力ではあったが、降参して国譲りをしたカミである。つまり大和朝廷に認められた正統派のカミ。元々の地元のカミ「大汝」が、大国主神の分霊「大名持」に乗っ取られてしまったことを、地元の人々は記憶し続け、大名持神社をいまも大汝と呼んでいるのでは?
2012-09-02 00:47:53大名持神社は『延喜式』(927年)に先立つ貞観元(859)年の一斉叙位では、大物主神や葛城の二神を差し置いて「大和第一位」に格付けられていた。三輪山より格が上。これは何を意味するか?
2012-09-02 00:48:32大名持に上書きされた大汝は、元々相当高い神格をもつカミであったのではないか。これを上書きしてしまったために、元々のカミのタタリを怖れ、高い格式を与えたのでは?
2012-09-02 00:48:55潮生淵。地元の古老に訊くと、子どもの頃、石を沈めると、プツプツとサイダーのような泡が立ち、水はわずかに塩味がしたという。これより上流には、多くの温泉があるが、そのほとんどが「炭酸塩泉」。ここには、炭酸塩泉冷泉があったのではないか。
2012-09-02 00:49:22奈良や京都から来た人々が禊ぎをするのは、必ず吉野川の右岸(北)。つまり、川を渡らない。川の向こうは異界。しかし、地元民たちは、川の両岸で行き来をして、共同体を作ってきた。吉野川は、ほんとうに橋の多い川だが、それは川の両岸の共同体の発達を示している。
2012-09-02 00:50:37都人からみた吉野「神仙境」と、地元民から見た吉野「生活圏」の姿は違う。川を渡らないのが前者、渡るのが後者。いままで文書に記されてきた多くは前者の姿。地元民の目で見た吉野の姿を残すべきではないか。
2012-09-02 00:51:03中央構造線が作った吉野川の南の険しい山岳地帯に、黒潮からやってきた湿った雲が大量の雨を降らせた。このため浸食により深いV字谷が形成され、山で伐った木を川に滑り落とすのに好都合だった。これが吉野林業の発達に大きく関わっている。
2012-09-02 00:51:26材木の切り出しをし、運搬するためには吉野川の右岸と左岸、川の上流域と下流域が協力しなければならない。そのため、吉野川流域では強固な文化経済共同体が生まれたのではないか。
2012-09-02 00:53:50などなど、吉野歴史資料館 館長の池田淳氏の「吉野の自然と『地域特性』の成立」は、非常に興味深いお話だった。書物にはなっていないという。地質学や気象学が、文化を形作る大きな要因になっている。この視点は大切だ。これはぜひ、新書などしたためてほしいと切に思った。
2012-09-02 00:54:15