宮崎駿,村上春樹,そしてなぜか…『スター・ウォーズ』
「宮崎駿,村上春樹,そしてなぜか…『スター・ウォーズ』」 昨晩からの囀り追加しました 大塚英志『物語論で読む村上春樹と宮崎駿』とのカブリ具合に引く… ⇒ http://togetter.com/li/36714
2010-07-28 01:28:38「なぜか…『スター・ウォーズ』」 でも何でもなかった、ということか… 偶然なんだか必然なんだか… はっきりしてるのは、僕が勉強不足だ、っていうことだ!
2010-07-28 01:30:12「村上はどこかで自分が安直な自己実現の物語を描いてきたという忸怩があったはずだ。それが彼がオウムという鏡像に感じたおそましさにもつながる。しかし、にもかかわらず、
2010-07-28 18:32:02この「主体の物語」の構造は小説家にとってはいささか麻薬ではある。構造には任意の背景やキャラクター、村上の言うジャンクを代入することでいくらでも物語がつくれる」 大塚英志 『村上春樹と宮崎駿』 139-40頁
2010-07-28 18:33:31『スプートニクの恋人』、とくにそのエンディングについて 「すみれ」とは女性登場人物である―― 「何もしないでただ待っていた「ぼく」は、それではカオナシの座に甘んじて生きるのかといえばそうではなく、
2010-07-28 19:09:55王子様のキスを待つ白雪姫のようにすみれが目覚めさせて「ぼく」をどこかにつれだしてくれる予兆に胸をときめかせている始末なのである」 大塚 前掲書 149頁
2010-07-28 19:09:59「宮崎駿と村上春樹に共通点があるとすれば、ともに女性の自己実現を描くのに長け、男性の自己実現は女性に救済される形で行われる点にある」 「こういった男性の物語構造からの後退と
2010-07-28 19:14:11女性による物語構造の乗っとりとでもいうべき事態は宮崎駿においてより明確におきている」 大塚 前掲書 150頁
2010-07-28 19:14:37「村上春樹は同時代の表現がキャンベル/ルーカス型による構造化を選択していったとき、世代的共感として物語論的に物語ることを選択した。しかし、宮崎吾朗は父親から半ば強制的に与えられた。その違いは大きい」 大塚 前掲書 165頁
2010-07-28 20:35:22『海辺のカフカ』について―― 「一体、父殺しも母殺しもなく、ただ母と近親相姦し、そして母の許にマルコ少年のように戻ったカフカが、いくら象徴的に(つまり、ナカタさんらによって)父殺し、母殺しを行ったと主張してもそれは
2010-07-28 20:46:56体の良い胎内回帰でしかないとぼくには思える。だからやることはやっておいて「生きるということの意味が」わからないと眠たいことを言ってのけるのである」 大塚 前掲書 218頁 ← 爆笑っ!まったくそのとおり!
2010-07-28 20:47:00『ポニョ』(宮崎駿)と『カフカ』(村上春樹)について 本書執筆時、両作家の最新作 ―― 「汎世界化した二人のこの国のつくり手は結局、物語構造に抵抗した結果、等しく「母胎回帰」の物語に至ってしまったようにぼくには思える」 大塚 前掲書 222頁 ← 重要な指摘 「反物語」の帰趨…
2010-07-28 20:55:02【物語論で読む村上春樹と宮崎駿 ――構造しかない日本 (角川oneテーマ21)】これは面白かった!大塚物語論の切れ味を堪能 問いは問いのままだが、重大な問いだ... http://book.akahoshitakuya.com/cmt/6999020 #bookmeter
2010-07-28 21:01:52@pro_neet 読み終わっちゃいました 大塚『村上春樹と宮崎駿』 良書のご紹介、ホントに感謝です これは面白かったです!
2010-07-28 21:08:12@iwri 「宇野さんが近いことを」 ← 情報感謝です 『思想地図』界隈の春樹評は、大塚物語論をいつも参照しているからかなぁ、と思いました
2010-07-28 21:28:23女性は女神なんて思ってると、とんでもないしっぺ返しを受けるよ 私くらいの年になると、なぜか「旦那のために生きてます」ってこが反旗を翻す なぜって、人生やり直せるとしたらこのくらいまでだってどこかで声がするから 私は天使の反乱って思ってるけど、ごねてる旦那尻目にさっさと別居
2010-07-29 08:27:16でもね 今までいい家庭で育ってるって信じてた子どもたちにとって、それは世界が自分の前で壊れていく感じらしい 私はいつでも文句ばっか言って、好きな事して、けっして良い嫁じゃないけど、それを目の前で見てる子どもにとってどうかっていう人もいたけど、この人生が好きです だれかさんも
2010-07-29 08:33:43「物語は、つまり何らかの構造物のごときものはいくら探しても見つかりはしない。物語を産み出す何かは、“出来事” という形で向こうから飛んでくる。逆にいえば、先に構造が見えてしまった物語は死ぬしかないのだ」 高橋洋 『映画の魔』 74頁
2010-07-30 15:12:40