糸色望がゼロ年代的で防波堤手寅がテン年代的だと思う。あくまで「主人公の目線のみで動く人間関係」が主流だったゼロ年代と、「主人公も人間関係の一部」としてのテン年代。
2012-09-11 01:55:10@gigir 逆に絶望先生は最終巻のネタで暗喩してしまったけど、外部の目線を全く気にしてないんですよね。彼が居なかったら成立しなかったけど、主人公とヒロインを救うためだけの箱庭と言いますか。
2012-09-11 01:58:05@homusora 80年代以前→超人 90年代前半→普通の人間(と言いつつも才能が多岐にわたる天才) 90年代後半~ゼロ年代前半→没個性・むしろマイナス要素すら含む ゼロ年代後半→超人・天才型への回帰 10年代→主人公の不在 ってふうに自分は認識しとります かなり雑把ですが
2012-09-11 01:58:35そういう意味で鹿目まどかは「主人公になれなかった娘」だと結構マジで思ってた。というかほむらとその辺のモブに投げた。
2012-09-11 01:59:22@goyougoyou それこそ「ゆるふわ」系の存在意義なのかなぁと>主人公不在。あるいは主人公が一応居ても他の仲間との格差がない所とか。
2012-09-11 02:00:3690年代前半あたりからいわゆるギャルゲー的主人公が台頭し始めるけど彼らは『それぞれの世界線でそれぞれのヒロインをサポートするための才能に目覚める』ことからシナリオ統合されると『なろうと思えば何にでもなれる才能を持った天才』に変貌してしまうのだった
2012-09-11 02:02:33@gigir 島村さんはSR化したり中の人(はっしー)補正で今後も頑張っていきそうなんだけど、それはそれですべてを司るってわけでもなく、あくまでニュージェネレーションの一人と言いますか。そもそもしぶりんと同じ二つ名ですし。
2012-09-11 02:04:06その後みんな大好きエヴァンゲリオン以降急速に『草食系・没個性系』が流行り始める 「主人公=読者の代弁者でありアバター」なのでどんな人にも受け入れられやすいキャラクター性がどんどん進んでいった結果
2012-09-11 02:04:20しまむら・しぶりんの非特殊性は、まさに「ニュージェネレーション」の二つ名に言えるような気がする。特別な称号ではなく。そして割を食うちゃんみお……。
2012-09-11 02:05:13ガンガンオンラインの「シャッフル」でうづりん漫画が一作品で済んでる所からも言えるかなぁ。ジョーカーの漫画がどうなるかわからんですけど。
2012-09-11 02:05:57ただ、エヴァの功罪が大きくて 『楽しさ』より『文学作品としての面白さ』みたいなものが意識され始めていった結果、長きにわたる『シナリオ偏重時代』が幕を開けるのだった
2012-09-11 02:06:36チルノや美鈴は本来モブボスだったはずなのに、二次に使われ過ぎて幻想郷にとって特別な妖精・妖怪になっちゃったのよね。チルノは一人で三妖精に喧嘩売れたりするし。
2012-09-11 02:09:14で、シナリオ偏重の流れが進めば進むほど『没個性な主人公』が動かせる物語の大きさの限界にぶち当たることになり ここで今まで当たり前だった『主人公=読者の投影』からの脱却が始まり『主人公=主役、読者=観客』という演劇型に移行する
2012-09-11 02:09:36じょしらくのテトちゃんの幸運はまさに「主人公補正」そのものなんだけどね。ただあの子の防波堤のテトラポットは自分しか守らない。
2012-09-11 02:11:08演劇型がスタンダードになることで、今まで日陰者だった『群像劇』にも焦点が当たるようになり、主人公が一人である必要もなくなったため今日の『全員が主人公』や「主人公などいない』という物語が構築されてるんだなぁ、とおもいましたまる
2012-09-11 02:12:02