橘川幸夫氏の古い原稿「サイボーグのこころ ●クラウス・シュルツェの2枚組アルバム●(1974年) 」
この何十年間、僕たちの肉体は急速に変化しつつある。僕たちの肉体は、化学と科学によってどうしようもない程に犯されてしまっている。
2012-09-11 23:05:05食料も水も空気も、僕たちがそれを欲する時、必らずそれは加工してでしか手に入らない。つまり現在の社会は、皆んなが皆んなを共食いし続けている社会だから、加工しなくては社会そのものが成り立たないからだ。
2012-09-11 23:05:13小学校の頃、朝礼の台の上に見なれぬ巨大な歯の模型が置かれてあった。そして、見知らぬ女が、これまた巨大な歯ブラシをかついで来て、そして、<ミナサーン、マイアサ、ハヲミガキマショオー>と叫んだ。
2012-09-11 23:05:21以来、十何年、僕は実に律儀に歯を磨き続けてきた。だけど、どう考えても、あの、いかにも石油製品らしいヌルッとした練り歯磨が体に良い訳はない。
2012-09-11 23:05:37第一、歯の汚れ(?)を白く溶かしてしまうものが胃の中に入ったらどうなるのだろう。最近になって、僕は、友人の山口豊寧君の作ってくれた特製歯磨粉(荒塩+ハコベの葉っぱ+ハッカ)を使っているが、今更どうこうした所でどうなる訳でもなく、これは気分の問題に過ぎない。
2012-09-11 23:05:57だから、肉体に対して賞賛したり賭けたりする発想は断ち消えた訳で、早く見切った方が精神衛生上は良いのだ。そして、ますます純化してくる意識があるのだ。肉体を放棄した意識、それがサイボーグである。
2012-09-11 23:06:42街を歩いていて突然、全く唐突に、<ああ、渋谷は、ごはんにマヨネーズをかけて食べるんだっけなあ>という事を想い起した。朝の街が妙に、マヨネーズのように生々しく映った。
2012-09-11 23:07:07そして唐突に、<渋谷がマヨネーズをかけたゴハンを食べるのは朝飯だけだ>という断言が何処からかわき起って来た。意識というのは、そうしていつも、唐突に何処からかやって来るのだ。
2012-09-11 23:07:15というより、それは絶えず日常に生活している僕に向かって、真冬の雨のように突き刺り続けているはずなのだ。たいくつな日常などというものはない。降りしきる雨の方向に眼をやりさえすれば良いのだ。
2012-09-11 23:07:27僕は昔、闇の部屋の中で眼をつむった事がある。まる五日間、ひとりきりで。ずいぶんと、いんぎんぶれいな闇であったが、瞼を閉じても開いても同じ世界が映り、よく目を凝らすと、闇の渦はトンネルのような空白となり、そのずうっとずうっと先のほうに、別の渦がみえた。
2012-09-11 23:08:32闇とは、降りしきる意識の渦が密集したものである。闇は巨きい。闇は懐しい。闇はなまめかしい。闇はせつない。闇は内側の裏側。闇は君。遠い昔、神は自然という名の時間であった。そして今、サイボーグの心にとって、時間は死んだのである。
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