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JO_JO_t_kaoru
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韓国、中国やらの色々ありますが、俺もワイワイ一緒に恨みを発散してきました。日本という国の国民が持っている国という概念を考えてみる。
2012-09-14 13:34:49![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
「王様は偉い、逆らうな。」だけのイメージではなかろうか。封建やら絶対王政やら、そんな制度の話はどうでも良い。もしくは神の使いの子孫だから偉い。これが王国ではなかろうか、イメージは。
2012-09-14 13:49:57![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
多面的に観れば、そうである。それでは力学的に観たら、例えば今の時代に残らない「王国」、結局その過程で「消えた」のか、それとも「進化」したのか。俺は後者だと思う。
2012-09-14 13:53:28![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
現在の時代と過去の時代の違いは、人間の人生(時間)における空間的致死率ではないか。つまり国境により生死の確率に明らかな差が出た。その「差の情報」が、国という概念の変遷には必要だと思われる。
2012-09-14 13:58:52![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
「国」を成す「民」にとって、人間の人生(時間)における空間的致死率の空間的「差」は「国」の評価に基準になる。
2012-09-14 14:04:00![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
結局、民と王国との関係性とは「王の務め」なのである。つまり「民の生活を守る」という使命で動くリーダー、そしてそれに群れる衆、その集まりの変遷により国家は形成される。そしてそれは始まりの本質を据えて、その国の中身の力学も、時代を経て変遷する。
2012-09-14 19:45:52![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
国の中身の力学の変遷は、日本の歴史、世界の歴史、一国の国家としての制度の歴史を観ていけば、そのカラクリは分かってくる。王の使命である「民の生活を守る」という本質、この本質こそ、今現在の日本が持つ「国」という概念。
2012-09-14 19:55:54![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
俺が思うのは、この本質に「日本」という国の民は思考が回帰したと思う。国家を成した古い先祖、国として満たない頃の先祖の本質が良く観えているのは、はてさて「悪い」事だろうか、、、否、本質が観えにくく、力学の変遷により「手段を目的化」してしまっている国よりは、幾分「マシ」である。
2012-09-14 20:02:28![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
かつて国は、王国であった。中央集権により、王に守ってもらっていた、しかし不安定であり、かつ世襲が齎す弊害(力学の変遷による手段の目的化)も観た。本質を据えた形を変えてきて、辿りついた国民主権。かつての空間的致死率はガクンと減った。
2012-09-14 20:10:44![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
しかし、いつも問題はその致死率の差の「情報」なのである。例えば致死率を落としたが、疾病率が上がった。かつて医療が発達しない頃、疾病=死に近い感覚があった。何とも皮肉だがホモサピエンスという種の本能が錯覚している疾病率=致死率なのだ。
2012-09-14 20:18:29![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
つまり致死率は上がっている。故に「民の生活を守る」という本質が達成さねばならないのは、本当の致死率を下げる事と疾病率を下げる事である。
2012-09-14 20:23:58![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
民の求めたる国の本質とは、そういう事である。そしてそれに気付かず、力学の変遷により手段を目的化している国や「考え方」が蔓延っている。以前に示した視点http://t.co/r2vuCm3o を含めても本質に気付いた国、本質を求め為(な)される制度は、国民主権でなくても納得できる。
2012-09-14 20:35:25![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
互いに国は「民の生活を守る」為であるならば大きな違いはない。ならば力学に振り回され、本質を見逃している国は、正されねばならないし、いずれ正される。
2012-09-14 20:39:23![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
昨日の続き、王国の話。かつての本質を据えた上で今としての変遷があるのなら、「騎士」という称号も現存する事となる。日本では「武士」か。CMでサラリーマンにそういう例えをする事があるが、その本質を据えているのなら、まんざら例えではないかも。
2012-09-15 21:29:31![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
昨日の続きだが、「国」の話、民というより、人の望む、つまりは欲望を満たす事が、「王」たるもの又は「騎士」たるものの役割か、否、彼らが守るべくは「感情により求められた何かの<基盤>」である、故、その元となる「欲望」とは何か。。。「感情」とは何か。。。を問う
2012-09-16 17:44:42![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
王たる者、騎士たる者の本質が脈々と現代へ続いているのならば、欲望や感情にも、時代的変遷はあれど、本質として「民」として脈々続く<弱者の「欲、又は感情」>があるのかもしれない。ニーチェはルサンチマンという恨みを説明していたが、それだけだろうか。。。
2012-09-16 17:47:51![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
弱者の本質は、受動的である事。たまに能動的になっても普段が受動的である為に「制御」ができない。「恨み」という感情が絡まった紐であるならば、それを解く技としての「冷静さ」を弱者を持ち合わせてはいない。弱者の弱者たる業でもある。だから集まると強い。
2012-09-16 17:58:16![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
弱者の本質の一面は受動的である事。そして良い言葉でいうと、「信じる」事に関して特に「恨み」と同様に強い。つまりは疑わない、揺るがない、信仰に似ている受動的であるが故に。
2012-09-16 18:11:51![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
弱者は信じるに関して、強者より強い。強者は「疑う」が、能力が高い故に、疑っても解決するまでの時間が短い。つまり疑っても「能力」の高さで弱者よりも短い時間で、弱者よりもより良い(都合が)判断が出来る。弱者は疑い時間を掛けるよりも、「信じる」のだ。故にその分だけ恨みも大きい。
2012-09-16 18:15:30![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
しかし、それが良い。もし強者による行為が、良き行為なら「信じる」事により、より良き方向へ。悪い行為なら「恨み」により破壊し、新たな方向を模索するまで。「恨み」を小さくする為に強者を増やせば、強者自らの地位を脅かす。しかし弱者を増やせば、裏切った捉えられた時、圧倒的破壊が待つ。
2012-09-16 18:20:07![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
ツイッターというSNSが齎した弱者の集いは、今までの時代とは違う。早さと大きさを齎す。アラブの春が良い例である。弱者は弱者として不満を持ちつつ、信じ、裏切られたら「破壊」すれば良い。それが良い。
2012-09-16 18:27:06![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
強者は早くなり、大きくなった弱者の集いをより認識し、強者を増やすか、弱者が納得する「良き(都合が)方向」を提起するかだけである。まさにその任を押し付けられたのが強者であり、「王」であり、「騎士」である。故に偉い。「弱者」が「弱者」としてある限り、「強者」は「偉い」のだ。
2012-09-16 18:32:39![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
弱者が「在る」故に「偉い」という概念は支えられる。「弱者」のおかげという方向はおかしいかもしれないが、「強者」のおかげという方向性もおかしい、おかしい事を言ってのけるが、つまりは「平等」である。「階層」が、階層を、階層として成り立たせる為に互いが「平等」である。
2012-09-16 18:36:40