物理書籍版ニンジャスレイヤー発売記念エピソード「バトル・オブ・ザ・ネスト」
女衒は、このちんけな“巣”のガードマンである。このサルーンに入れるのは、彼が顔を知っている地元のヨタモノか老人、あるいは事前に連絡のあった非合法組織のエージェントだけだ。余所者は丁重に入場を拒否される。定時より少し遅れ、黒いLED傘をさした男が現れてヤクザと二言三言交わした。 2
2012-09-29 22:14:17「経験しますか?」制御回路がおかしくなっているのか、オイランドロイドは何度もその言葉と欠伸を繰り返しながら、優しい顔で男の腕に絡みつこうとする。「……客じゃねえ」女衒ヤクザが初期化コマンドを叩くと、ドロイドは椅子に座り直した。「他は?」と傘の男。「もう来てますよ」とヤクザ。 3
2012-09-29 22:20:38「30分ほど遅れましたね……2人の予定では」とヤクザ。その声からは、上位の暴力者に対するリスペクトが窺える。カラテ有段者が高段者を身のこなしだけで判別するように、ヤクザはそういった暴力臭を嗅ぎ取るのだ。「運悪く、車が襲撃されてな」LED傘の男は無表情に、どこか嫌世的に言った。 4
2012-09-29 22:24:57「大変でしたね」ヤクザは冗談か何かと思って愛想笑いを作ったが、あいにく本当のことだった。男は返事もせずにLED傘を閉じた。それからタイガー墨絵の描かれたウエスタン扉を押し開ける。焦げたショーユ臭い匂いがトリガとなり、この街で暮らしていた頃の記憶をニューロンの片隅に再投影する。 5
2012-09-29 22:31:04男の名はワタリ。彼は“巣”に帰って来たのだ。しかし彼を覚えている者はいない。余所者を嫌うヨタモノや老人、そして屈強なバーテンの視線が彼に突き刺さった。「アタマ・ハンザイ」と書かれた緑色のネオン看板がバチバチと火花を散らして明滅し、一瞬だけ「ソクシ」と不吉な文字列を描き出した。 6
2012-09-29 22:37:12ワタリの出で立ちは、襟を立てたサイバー・ピーコートにギャング帽。彼は冷たい表情のままバーカウンターに向かった。透明な薄型ボードの上には、アルコールやオニギリやサシミの値段だけでなく、各種違法素子や大トロ粉末、果てはチャカ・ガンの取引時価までがも明滅しながら表示されている。 7
2012-09-29 22:47:00ワタリはぬるいビールを1杯頼んでから言った。「デスアンコウ・ヤクザクランから、話し合いに来た」「奥のサツキへどうぞ」バーテンは恐れ入った表情を作り、ノレンで隠された暗がりのひとつを指差す。ビールで口の中の血の味を流し込みながら、男は「サ」「ツ」「キ」と書かれたノレンをくぐる。 8
2012-09-29 22:54:46ワタリが暗がりに消えると、広間のヨタモノたちはまた酒を飲んで笑い、明日の無い語らいを始める。ブーンブブブンブンブーン、ブーンブブブンブンブーン、シュワオーンシュワオオーン……2人組の老人バンドが演奏を再開し、軽妙な電子ベース音と、キーボード演奏によるギター音を静かに響かせた。 9
2012-09-29 23:05:08こいつはタフな「話し合い」になるぞ、と、サツキ宴会室に入った時からワタリは感づいていた。薄暗い宴会室には、背の高いチャブテーブルが1個置かれ、3人の先客がスシを食いながら彼を待っていた。ワタリが座るべき席には、空っぽの木製スシ・トレイと、ケジメ用のドスダガーが置かれていた。 10
2012-09-29 23:13:37「ブッダ、たちの悪いジョークだな」と、ワタリは抜き身のドスダガーを閉じて、バンブー製の筒に立て直す。三人の表情や感情の機微をスキャニングしながら……「道すがら、車を襲撃されたんだ。少しの遅れは、大目に見てくれよ、なあ」 11
2012-09-29 23:20:28三人は顔を見合わせ頷いた。「まあ、スシを頼んでくださいよ」と、正面の大柄なヤクザが言った。その目はオレンジ光のサイバーサングラスに隠されている。左にはハッカー・カルトの男。両目をサイバネ化し、左腕にはIRC端末をインプラント。右にはレインコートのフードを被ったギャングスタ。 12
2012-09-29 23:29:04「じゃあ、イカと……マグロを……」ワタリはチャブの下に隠されたUNIXキーボードをそこそこの速さでブラインドタッチし、バーカウンターにIRCメッセージを送った。天井のボンボリ灯が頼りなく明滅し、壁に貼られた「アブハチトラズ」「一方通行」などの警句を意味ありげに照らし出す。 13
2012-09-29 23:33:40ブーンブブブンブンブーン、ブーンブブブンブンブーン……単調な電子ベース音がサルーンに響く。広間から、ヨタモノたちの笑い声が微かに届く。4人は腹を探り合うようにサケを呑みスシを食った。彼らは先週このストリートで起こった「問題事」を調停すべく送り込まれた、4組織の交渉人である。 14
2012-09-29 23:40:35ドスダガーや襲撃の件には誰も触れようとしない。「オスモウ中継は見ましたか?」「すごかったですね」当たり障りの無い会話が続く。時間は刻々と過ぎる。ワタリは歯痒い思いで時計を見た。ウシミツアワーまで1時間弱。それが完全決着のタイムリミットであり、この場の全員がそれを知っている。 15
2012-09-29 23:48:39ワタリは5杯目のビールを飲み干しながら、フリーランス・ヤクザらしい狡猾さで対話の主導権を握ろうとするが、巧く行かない。いずれの組織も、引く気が無いことは明らかだった。全ての組織が複雑に絡み合った「貸し」を持っており、それを清算しに掛かっているのだ。制限時間は30分を切った。 16
2012-09-29 23:57:19「礼拝の時間なので少し席をはずします」ようやく話がまとまりかけた所でハッカーが言い、部屋の隅でチャントを始めた「……そして天使は2600Hzのクラリオンを高らかに吹き鳴らし……」。他の三人は無表情でスシを食い、広間からはオイランドロイドのプログラムされた歌声が聞こえてきた。 17
2012-09-30 00:00:51残り15分を切った所でハッカーが戻る。おお、ナムサン!話し合いは振り出しに戻ってしまった。このまま調停が失敗に終われば、いずれの組織もメンツが潰れ、抗争が始まるだろう。……ワタリはひとつの結論に達していた。この場にいる他の交渉人全員が、それを望んでいるのではないか、と。 18
2012-09-30 00:11:01ワタリは「話し合い」が始まった瞬間から、各組織の交渉人が密かに持ち込んでいる武器を抜け目無く調べていた。交渉が決裂すれば、彼ら交渉人はウシミツ・アワーの鐘とともに一斉に武器を抜いて殺し合いを始めねばならないからだ。それがギョクヤマ・ストリートに残された暗黒伝統文化であった。 19
2012-09-30 00:15:55テンションが最大限に張り詰めた時、組織が求めるのは撃鉄を叩きつけるためのトリガであり、その役目は交渉人に委ねられるのだ。ワタリは改めて面々を見渡す、正面のヤクザがチャカ、右のギャングスタが鉄パイプ、左のハッカーは何らかの非道なサイバネ武器をインプラントしているに違いない。 20
2012-09-30 00:19:21残り10分。ワタリはライターを胸元に仕舞いながら、黒くて硬い鋼鉄殺人武器の手触りを密かに確かめた。それこそは……おお、ナムアミダブツ!スリケンである!彼の正体は悪のニンジャ組織アマクダリ・セクトの末端組織に属するニンジャだったのだ!そのニンジャネームは「ペイバック」! 21
2012-09-30 00:26:56残り10分。ペイバックはショーユ・オニギリを4個頼んだ。遥か昔の癖だ。ヨタモノとして“巣”で呑んでいたころの。「……おい、そのオーダー……お前、ワタリ・ジロチョか?」トビッコ・スシを咀嚼し終えたギャングスタが、不意にサングラスを外して彼を見た。 22
2012-09-30 00:35:26かつてより凶悪な目つきであったが、見覚えがあった。「クロイモリ=サンか?」とワタリ。「待てよ、お前ら……ワタリ=サンに、クロイモリ=サンだと?」大柄な正面のヤクザが身を乗り出した「俺はアシガル・リョウヘイだ」「もしかしてハッカー・カルトのあんたは……ヤスシ=サン?」「ハイ」 23
2012-09-30 00:41:35何たる偶然か……・平安時代の哲学剣士ミヤモト・マサシがこの場にいたならば、サイオー・ホースのコトワザを詠んだであろう。彼らは全員、このストリートの出身者であった。ハイスクール卒業から20年後……彼らはこのストリートの支配権をベン図の積集合めいて狙う4組織に所属していたのだ! 24
2012-09-30 00:49:24残り5分。ショーユの香ばしい香りが嗅覚神経を刺激し、ニューロンに一時的センチメントを呼び起こす。遠い“巣”の記憶を。だがそれは老朽ネオン文字のように火花を散らし、黒く塗り潰された。他の三人も同様であった。彼らは今や組織の代理人であり、組織はトリガと撃鉄だけを求めていたのだ。 25
2012-09-30 00:56:56誰もがハイスクール時代の顔を捨て去り、再び交渉人の……いや殺人者の顔になっていた。笑い声が、どんどん乾いていった。「回避は」「無理だな」「バンドでも組むか?」「年を取り過ぎた」「ウシミツ・アワーに何が起こるか、解っているだろうな」「ハイ」「悪く思うなよ」「こっちの台詞だぜ」 26
2012-09-30 01:02:45