2012年10月14日

人は正しさで共存できない?

渡邊先生のツイートを見てて為末大さんのツイートを思い出したので、備忘録的に。
4
渡邊芳之 @ynabe39

これはマクロンさんがいつも言っておられることとも関係すると思うけれども,差別が現実的な影響を及ぼすようなことは法的社会的に抑制していかなければならないけれど,差別感情を持つ側にもその理由や原因はちゃんとあるわけです。その感情をただ否定するだけでは社会は成り立たない。

2012-10-14 19:01:19
渡邊芳之 @ynabe39

どのみち「差別感情を持っている人を追放して差別のない社会を作る」などということはできないのだから,差別感情を持つ人がある程度の数いても「現実的な差別」が生じないように制度を整備する一方で,「差別感情自体が許せない」という人々にも一定の妥協を求めるしかないわけです。

2012-10-14 19:08:33
渡邊芳之 @ynabe39

やはり鐘の音さんは「対立」には「正しいことを言っている側と間違ったことを言っている側がいて,間違ったことを言っている側を正せば対立は解決するので,正しい側が妥協する必要はない」と考えておられるのだと思います。 @kanenooto7248

2012-10-14 17:50:49
渡邊芳之 @ynabe39

「対立のケースによる」のはもちろんですが,私は最初から端的に「鐘の音さんがツイッターにおいて片方の当事者である特定の対立」について言っています。RT @kanenooto7248: いや、対立のケースによります。その上で提示したケースに答えてもらえませんか?

2012-10-14 17:53:43
渡邊芳之 @ynabe39

そもそも「なにが守られるべき人権であるか」「その人権をどこまでどのように守るか」ということ自体が「政治的な問題」だと思います。 RT @kanenooto7248: いや、政治的な解決が、人権を侵害する場合、それを政治は許容出来るのか? と言う話。

2012-10-14 17:55:32
渡邊芳之 @ynabe39

いま現在守られている人権も,政治的なネゴシエーションの結果として守られるようになったものですし,その過程には多くの妥協があったでしょうし,その妥協の過程では現在は守られている人権が侵害されていた状態があっただろうと思います。 @kanenooto7248

2012-10-14 17:57:21
渡邊芳之 @ynabe39

人権について「客観的に正しい基準」があって,それが以前は理解されなかったために人権が守られていなかったが,徐々に正しい基準が理解されるようになったために人権が守られるようになった,というようなことではないだろうと思います。 @kanenooto7248

2012-10-14 17:59:25
渡邊芳之 @ynabe39

人権に関しては現在でも「無視されている人権」「守られていない人権」がたくさんあって,当事者たちがそれが守られるように声を上げているわけですが,それが将来守られているかどうかも「その意見が正しいか」といったことによってではなく「政治的なネゴシエーション」で決まっていくと思います。

2012-10-14 18:01:35
渡邊芳之 @ynabe39

それが「鐘の音さんにとっては許容できないが,他の人にとっては許容できる」場合に,その「解決」はどのように可能か,という話ですね。 RT @kanenooto7248: 今現在に限定しても、明らかに政治的に、許容できない感情は存在するという話をしています。

2012-10-14 18:03:23
渡邊芳之 @ynabe39

たとえば「誰にとっても許容できない差別」は法や制度によって明確に禁止されるでしょうし,その立法は政治の役割ですね。 RT @kanenooto7248: いや、現代の日本において、政治が許容できないと定義されている差別も存在します。さて、どのように政治は折り合いをつける?

2012-10-14 18:06:47
渡邊芳之 @ynabe39

私は「圧倒的多数が同意できる基準のないような対立」への対処について話しているのですが,鐘の音さんは私がそのような「宗教的対立」と思っているのと同じ対立について「正しい基準による解決」があると考えておられるように思います。 @kanenooto7248

2012-10-14 18:09:19
渡邊芳之 @ynabe39

そういったケースは「政治的妥協の歴史の結果」として存在しているのだと思いますよ。 RT @kanenooto7248: ということは、一切の妥協を認めず、一方に勝利を与えるというケースも存在しえますよね? しかし、感情は満足していない。

2012-10-14 18:10:09
渡邊芳之 @ynabe39

それまで全く放置されていた差別がある日突然100%禁止されることなどないですよね。放置から部分的な禁止に,徐々に全面的な禁止へと進んでいくのはまさに「政治的妥協と合意のプロセス」ですし,その間には対立の双方の側に「忍耐や譲歩」が求められるわけです。@kanenooto7248

2012-10-14 18:12:45
渡邊芳之 @ynabe39

「政治的に許容されない」というのは法的に禁止されているという意味ですか? そうであればそれはすでに「政治の結果」です。 RT @kanenooto7248: つまり、政治的に許容されないケースもあるということですよね? さて、この場合どう政治的に解決できますか?

2012-10-14 18:14:32
渡邊芳之 @ynabe39

「政治の立場」であればそうした主張が多数になればやはりそれらの人との妥協は必要になると思いますよ。 RT @kanenooto7248: その逆で、今まで禁止されていた差別を認めろ、相手の権利を縛れ、という戦いには一切妥協する必要がないという話をしています。

2012-10-14 18:17:04
渡邊芳之 @ynabe39

法を作るのは政治ですし,法律は頻繁に改正されますね。RT @kanenooto7248: なので、政治には解決不能な感情の対立は存在します。 RT @ynabe39: 「政治的に許容されない」というのは法的に禁止されているという意味ですか?

2012-10-14 18:17:47
渡邊芳之 @ynabe39

「現在差別と言われていること」がわれわれの感情として「議論以前に許せないこと」と感じられるとしても,それが昔からずっとそうであったわけではないし,その意味では感情そのものにも「政治的ネゴシエーションの結果」として存在する部分が大いにあると思います。 @kanenooto7248

2012-10-14 18:20:05
渡邊芳之 @ynabe39

そうではないです。「政治的に解決すべき問題」になるにはその主張をする人がある程度の数いることが条件だということです。 RT @kanenooto7248: 多数という条件がつきましたね。つまり、感情を満足させるためには多数でないとダメだと。

2012-10-14 18:21:48
渡邊芳之 @ynabe39

さまざまな差別の問題についてたとえば100年前にはどのような状況だったか,100年前には人々がどう考えていたか,それがどうやって差別として認識され禁止されるようになったかという歴史はまさに「政治的な解決」の歴史そのものだと思う。

2012-10-14 18:29:48
渡邊芳之 @ynabe39

「人類が始まったときから差別はいけないことであったが,それが人々に理解されなかったために差別があった」わけではないことは歴史を見れば簡単にわかることだが,それを言うことはとても難しいことだし,それをそのように言うことを拒否する人もいるだろう。

2012-10-14 18:34:00
渡邊芳之 @ynabe39

ツイッターだけを見ても現実にこんなに共存しているではないですか。論理的に矛盾することと共存できないことは全く別のことです。 RT @kanenooto7248: そこで質問ですが、差別感情と反差別感情の妥協点は存在しますか? 共存不能のように思えますが。

2012-10-14 18:36:35
鐘の音@-32㎏目標ダイエット中(-22㎏) @kanenooto7248

@ynabe39 さて、どちらかを叶えることはどちらかを切り捨てることになると思いますが? 例えば、黒人を叩きだせという感情を叶えることと、差別するなという感情は、どうやって政治的に妥協すれば良いのですか?

2012-10-14 18:39:56
渡邊芳之 @ynabe39

「黒人を叩き出せ」と思っている人がいてもその人が実際に「黒人を叩き出す」ことはできないようにするのが政治であり法律です。いっぽう「黒人を叩き出せと思っている人を叩き出したい」人にもある程度がまんしてもらいます。 RT @kanenooto7248

2012-10-14 18:42:24
鐘の音@-32㎏目標ダイエット中(-22㎏) @kanenooto7248

はい。なので、叩きだされたくないひとの感情は守られねばならないですね。政治的な解決にはルールがあることの実例だと思いますが? RT@ynabe39 「黒人を叩き出せ」と思っている人がいてもその人が実際に「黒人を叩き出す」ことはできないようにするのが政治であり法律です。

2012-10-14 18:43:45
渡邊芳之 @ynabe39

@mdset 社会的構築物であるかどうかとそれが妥当かどうかとか正しいかどうかというのはまったく別の問題です。ただその問題点について考察する時に社会的構築物であることが理解されているかどうかについて違いが生じます。

2012-10-14 18:45:07

コメント

コメントがまだありません。感想を最初に伝えてみませんか?