ゴーイングコンサーンのために

主人公太郎の成長を描くビルドゥングス・ロマン(教養小説)
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@monday0705

園子は微笑み頷いた。太郎も微笑み頷いた。園子は、まさかその言葉が自身の青春の一幕ではなく、胸を讃美されているとは微塵も思っていなかった。その一言は園子と太郎に誤解による共感の安堵を与えたのだ。

2010-07-26 23:47:25
@monday0705

園子はまた自分の話をし始めた。太郎は園子の胸元を見ながら思った。女というのはどうして聞いてもいないのに自分のことばかり話すのであろうかと。園子は青森県の今別町で生まれ育った。園子の母方の祖父は青函トンネルの掘削のために、故郷の長野を離れ青森に移住した。

2010-07-27 10:41:36
@monday0705

その地で園子の両親は出会い、園子と園子の弟である敦を産んだ。園子が小学校に上がる頃、父が京都に出張中知り合った舞妓にのめり込み、失踪した。園子の母は、父が京都にいると睨み、園子と弟を連れ、京都に移住した。案の定、父は京都におり当時舞妓だった女性と借家に住んでいた。

2010-07-27 10:47:45
@monday0705

「あの頃は本当に辛かったのです・・」園子は言った。しかし、先程まで園子の脇にいた太郎の姿が見当たらない。振り返ると金魚すくいの屋台の前にしゃがんで、夢中に金魚を追いかけている。園子は太郎の背後に立つと、太郎の後頭部を蹴りつけた。

2010-07-27 11:12:24
@monday0705

太郎は後頭部に鈍い衝撃を感じた。一瞬何が起こったかわからなかったが、次の瞬間には自分の顔が金魚の水槽の中にあることは認識できた。う、動けない…く、苦しい…

2010-07-27 16:28:42
@monday0705

一方、園子は自分が突発的に起こした出来事に、思いの外周囲に人が集まり始めたことに少し動揺した。そして、当事者だと思われるのは避けたいと考え、無言でその場から走り去った。

2010-07-27 16:31:08
@monday0705

人だかりから抜け、一安心した園子は、その安心からか尿意を催した。しかし、せっかく逃げてきた道を戻り、夏祭りの中の便所を探しに行くわけにはいかない。園子は仕方なく野小便をする決意を固めた。第一章終

2010-07-27 16:35:08
@monday0705

入院生活も早半年。夏祭りの日の出来事で頸椎損傷の重傷を負った太郎は、半年間、園子のことで頭がいっぱいだった。最初は自分をこんな目に合わせた園子に対し、はらわたが煮え繰り返るような怒りを覚えていたが、あまりに園子のことばかり考えている内に、彼女のことを心底好きになってしまったのだ。

2010-07-27 16:39:24
@monday0705

1ヶ月後に退院を控え、太郎は園子にどうやってプロポーズしようか考えていた。自分がいない間に、恋人ができていたらどうしよう。いつも閑古鳥が鳴いていた彼女のお店は自分が通わなくても成り立つのか?想いは募るばかりである。

2010-07-27 16:42:16
@monday0705

あれから園子は、何も変わらず紫陽花の切り盛りに追われていた。当初は、太郎のことが気がかりだったものの、太郎というありがちな名前からそれほど罪悪感は湧いてこず、一月もしない内に忘れ去っていた。

2010-07-27 17:21:35
@monday0705

そんなある日、園子がいつものように夕方から店の開店準備をしていると店の扉が開いた。「すみません。まだ開店前なん…、た、太郎さん!」「や、やあ、久しぶり。」 園子は目を潤ませて言った。「何でお店に顔を出してくださらなかったんですの。

2010-07-27 18:08:59
@monday0705

私、自分のせいでもしものことがあったらと思って、この半年間まともに眠れなかったんですよ!」太郎は目の下に隈もなく、健康そのものの顔でそんなことを平然と言い放つ園子の軽薄さを感じ取り、苦笑した。

2010-07-27 18:14:04
@monday0705

しかし、入院中一切の射精を断っていた太郎にとっては、その軽薄さすら愛おしく見えた。そして、胸ポケットから指輪を出すと、黙って園子の右手の薬指にはめた。

2010-07-27 21:15:55
@monday0705

「こ、これはなんですの?」「君が欲しい。結婚してくれ。」園子と出会って三年近く。二人で出かけたのは夏祭りのみで頸椎を叩き折った女性に求婚するということが常軌を逸しているということは太郎もわかっていた。

2010-07-27 21:20:14
@monday0705

しかし、理屈ではない魅力を園子に感じていたのだ。太郎は自分を客観的に見ていなかった。徳島に来てから出会った女性の中で恋愛対象として見れる女性は園子のみだったということ、

2010-07-27 21:25:19
@monday0705

そしてなにより、長期の入院期間、極度の欲求不満の中でその唯一の女性を想い続けた末の幻想であるということに気付かなかったのである。「わかりました。」園子は言った。

2010-07-27 21:28:08
@monday0705

「あ、ありがとう」玉砕覚悟で自分が人生で購入した唯一の高級品であるヴァシュロン・コンスタンタンを手放し購入した婚約指輪はその役割を果たしたのである。

2010-07-27 21:30:24
@monday0705

園子は店のシャッターを閉め、太郎に抱きつき耳を噛みながら呟いた。「抱いて…」その夜、二人は激しく愛し合った。

2010-07-27 21:51:38
@monday0705

二人は店のカウンターのテーブルをベッド代わりにし、ぐったりと横たわっていた。「明日、朝一番に籍を入れましょう。そして明日から一緒に暮らしましょう。」園子は言った。

2010-07-28 00:15:11
@monday0705

深夜になると園子は一度家に戻ると言い、明日朝に市役所の前で落ち合うことになった。太郎は何か腑に落ちないと感じながらも、家路に着いた。

2010-07-28 00:16:29
@monday0705

翌日、二人は市役所で籍を入れた。それからファミリーレストランで今後について話し合った。まず、太郎の仕事に関してだった。太郎が入院して三ヶ月程経った頃、上司が人事部からの手紙を届けてくれた。

2010-07-28 00:20:55
@monday0705

封の部分には「ゴーイングコンサーンのために」と走り書きで書かれていた。そして、内容は市内の子会社への異動命令だった。現時点での給与はそれ程変わらないものの、明らかな左遷であった。まさかこの若さで左遷とはね…ハハハ

2010-07-28 00:26:07
@monday0705

自虐的な笑いがこみあげてきた。やるせない気持ちを抑えきれず、しばらくの間夜な夜な院内を徘徊し、他人の点滴の速度を上げたり、見舞いでもらった煎餅を寝ている老人に投げつけたりしていた。

2010-07-28 00:29:54
@monday0705

ある日、一度も見舞いに来ない両親から一通の手紙と写真が届いた。手紙には「先日登ってしまいました。せいぜい気張れや。父」と書かれており、写真は自分を除いた家族がピラミッドの上で撮影したと思われるものだった。太郎は全てが馬鹿らしくなり、以後、徘徊をやめた。

2010-07-28 00:34:43
@monday0705

外は炎天下だったが、ファミレスの喫煙席はクーラーが効きすぎているくらいで、肌寒かった。太郎は園子に向って言った。「まあ、そういうわけだけど、なんとか新婚生活は支えていけると思う。それと実家とは絶縁したから挨拶はいいよ。君のほうは?」

2010-07-28 10:22:40
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