ゲイリュサック。気体反応の法則。 メモ:ジョセフ・ルイ・ゲイ=リュサック - Wikipedia http://t.co/xP1RCocN
2012-10-18 21:13:5018世紀終わりにはやっぱり気球がブームだったので、ゲイリュサックもビオと一緒に高度6000mというなかなか厳しい場所に飛んで行ったりした。絶対寒いし気圧は低いしで気持ち悪くなると思う。
2012-10-18 21:16:401805年、フンボルトといっしょにゲイリュサックは気体反応の法則を発見した。この気体反応の法則、ドルトンの原子説とびみょーーーに違ってて、ドルトンがこれを認めなかった。 メモ:気体反応の法則 - Wikipedia http://t.co/d0TZ1ImQ
2012-10-18 21:19:52アボガドロ。アボガドロの法則。アボガドロ定数。 メモ:アメデオ・アヴォガドロ - Wikipedia http://t.co/AAbUUTO2
2012-10-18 21:22:11アボガドロさんは文系だったので、法学とか哲学とかやってた。しかし電池がボルタによって開発されたら電気の研究したり、ドルトンがいろいろ発表したら気体について研究したりするようになった。
2012-10-18 21:23:59そんなアボガドロさんでもなんとか物理学の教授になれたので世の中何が起こるかわからない。しかしもうちょっといい肖像画家はいなかったのか。それとも本当にあんな顔してあんな首まで包んだ服着てたのか。
2012-10-18 21:27:211811年にアボガドロがアボガドロの法則を、つまり分子論を発表したとき、ドルトンを始めとした他の科学者はこれに反対、そしてずーーーーっと50年間くらい評価されなかった。また、分子論が正しいと認められるのは、これより100年もあとの話である。
2012-10-19 19:09:05なぜこんなにも分子論は反対されたのか?ドルトンの打ち立てた原子論では、「気体における原子同士は反発する力によってバラバラになっている」という説明であったため、分子のように2つ以上の原子がくっついて同行する、というのがまずありえなかったからである。
2012-10-19 19:14:28また、そうして原子がくっついてもいいならば、3個でも4個でも好きな数だけくっついて運動すればいいはずだ。しかし、それではゲイリュサックの気体反応の法則に反する。そして何より、この1811年という年は、ドルトンとかゲイリュサックとかが法則を発見してまだ間もない頃だったからだ。
2012-10-19 19:15:57リービッヒ。異性体の発見。リービッヒ冷却器の発明。 メモ:ユストゥス・フォン・リービッヒ - Wikipedia http://t.co/nPmYwOqu
2012-10-19 19:21:50リービッヒは化学にめっちゃ興味があった。大学の勉強より化学であった。爆薬で動くおもちゃに興味を示し、それを実際に自分で作って売ったりしたが、それが爆発したりして、退学になったりした。
2012-10-19 19:27:17あと、カストナーとかいう人のもとで化学を学んでいたが、リービッヒの好きな有機化学の研究に対しカストナーはあまり興味を示さなかったので、リービッヒはグレて学生運動に参加するようになった。で、逮捕された。
2012-10-19 19:29:14リービッヒはなんだかんだ頑張って大学で博士号をゲットしたあと、ゲイリュサックの研究室で研究ができることとなった。あまりに論文が良かったので、21歳で助教授、翌年には教授になった。まじ天才。
2012-10-19 19:34:101826年には、後に有機化合物を自力で作れることを証明したことで有名なヴェーラーといっしょに、リービッヒはシアン酸と雷酸が異性体の関係であることを発見した。二人とも有機化学大好きマンであった。
2012-10-19 19:38:11ヴェーラー。尿素の合成。異性体の発見。ベリリウムやカーバイドなどの発見。 メモ:フリードリヒ・ヴェーラー - Wikipedia http://t.co/iP5RyFei
2012-10-19 19:43:13有機化合物は、その「有機」の語源のとおり、自然からしか採れない生命のパゥワー的なものだと考えられていた。しかしウェーラーが尿素を合成してから、有機化合物が人工で作られることがわかり、様々な有機化合物が生成されていった。
2012-10-19 19:53:57ファラデー。ファラデーの電気分解の法則。ファラデーの電磁誘導の法則。ベンゼンの発見。ブンゼンバーナーの発明。 メモ:マイケル・ファラデー - Wikipedia http://t.co/j82Oms0z
2012-10-19 19:59:42幼少期のファラデーはまともに学校に行くことすらできず、小卒であった。数学はほとんどできなかったのである。しかし、昔から本屋に行っては科学の本を読んでいたため、科学への興味は相当なものであった。
2012-10-19 20:06:38偶然にもハンフリーデービーの講演会に行くことになったファラデーは、公演中にその講演についてつけた300ページにも及ぶノートを書き、デービーに送った。相当なものである。デービーは感動し、いろいろあって、ファラデーはデービーの使いっぱしりとして雇われることになった。
2012-10-19 20:09:26デービーの助手となったファラデーは、新しい炭素塩化物を2種類発見したり、バーナーを作ったりした。バーナーのお陰で化学物質をいい感じに加熱できるようになったため、それを利用して塩素を液化させたりベンゼンを発見したりした。ファラデーは実験上手であった。
2012-10-19 20:14:26が、しかし!エルステッドが電気と磁気になんらかの発見をしてから、デービーが電動機について研究していた。デービーが行き詰まってたところファラデーが勝手に電動機作って勝手に発表したので、デービーは怒り、ファラデーに電磁気学の研究をさせなくなってしまったのだ。そりゃ怒るわ。
2012-10-19 20:19:11