最近の日本SFにおける死の描写

俺得。まどマギから伊藤計劃、円城塔まで。
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相楽 @sagara1

2011年SFセミナー夜の部で「わかりやすくなった」「丸くなった」という円城作品の変化について、津原泰水が≪それっていいことなの?≫と問題提起をしていたのが気になり続けていたのだけど。この「理屈が通った」「突き放しかた」話で、少し自分の中で整理出来たようにも思う。

2012-10-21 18:48:45
吉田隆一/SF音楽家 @hi_doi

@sagara1 実際そうだと思います。私が引用した意味合いは「その手前」でありまして。『ヨルムンガンド』に対する『今日からヒットマン』あるいは小林源文『オメガ7』というのを例にすると、どれもある種ウェットな作品群ですが、決定的にウェットな『ヨルムンガンド』とドライな後者(続く)

2012-10-22 00:34:07
吉田隆一/SF音楽家 @hi_doi

@sagara1 (続き)の差がある訳です。それは「死」をどう捉えるかの一点だと思うのです。同様に伊藤作品群のウェットさドライさと虚淵作品群のそれとはベクトルが逆であっても、ただ一点「死」に対して突き放す視点で共通していると。日本SFは意外に「死」を他人事にできなかった(続く)

2012-10-22 00:40:37
吉田隆一/SF音楽家 @hi_doi

@sagara1 (続き)円城氏が日本SF「人情話」と表現した具体的な内容とは異なるかもしれませんが、日本SFの独特な(もちろん悪いトコではないと思います)感覚のひとつがソレのように思えます。一見、死に対して感情的に扱っているように見える虚淵作品も、死の当事者性の希薄さ(続く)

2012-10-22 00:45:53
吉田隆一/SF音楽家 @hi_doi

@sagara1 (続き)が印象的です。その点において同様に突き抜けている伊藤氏、円城氏との共通の視点を感じるのです。それを指して私は「乾いている」という言葉を用いました。相楽さんの指摘のように『ハーモニー』と『まどマギ』の世界に対する突き抜け方は逆ベクトルだと私も思います(続く

2012-10-22 00:49:21
吉田隆一/SF音楽家 @hi_doi

@sagara1 (続き)それは先に述べたように先行するフィクションからの影響の咀嚼の仕方にも関連することで、興味深いです。同じベクトルのあるなしと世代論はまた別の話ですし。そこに「同じ釜の飯を知らずに食べた」人々のそれぞれの立ち位置と観ているモノの差異を感じ、私は楽しいのです。

2012-10-22 00:54:32
相楽 @sagara1

@hi_doi 「死」の扱いに着目した視点、虚淵玄・伊藤計劃比較というのは面白いですね。以下、それについて、しばらく連投になります。

2012-10-22 01:29:39
相楽 @sagara1

@hi_doi 「死」の扱いでいうと。まず虚淵玄は個々の「死」に浪漫という意味を丁寧に与えていく感があります。無意味な大量死の中の数字の一でない、特別な死。ただ、見る側にとってその特別さより、それを必然的にもたらす条理を描く手により注意が向く、そんな作品傾向があると思えます。

2012-10-22 01:29:52
相楽 @sagara1

@hi_doi そこら辺が「死の当事者性の希薄さ」「突き放す視点」というところはあるかな、と思います。一方で伊藤計劃の「死」は(『虐殺器官』が特にそうですが)極端に生々しさを欠くのが特徴です。その理由は描こうとした暴力、死の性質によるわけですが……

2012-10-22 01:30:07
相楽 @sagara1

@hi_doi こちらについては冲方丁の描く暴力・死との比較でよくまとまった説明があって。「『ユリイカ』2010年10月臨時増刊号 総特集冲方丁」収録、佐藤俊樹『傷と傷跡と記号』から少し長いですが連投で引用すると(p192)……

2012-10-22 01:30:29
相楽 @sagara1

@hi_doi 「『ファフナー』や『シュピーゲル』が暴力を描くとすれば、『虐殺器官』は暴力という物語を描くものだ。この作品では、暴力は自己の外部にある世界の属性として、あくまで象徴的に描かれている。

2012-10-22 01:30:41
相楽 @sagara1

@hi_doi 「主人公の設定がそうであるだけでなく、くり返される虐殺場面の描写自体、ルポルタージュの引用を読んでいる感じがする」

2012-10-22 01:31:00
相楽 @sagara1

@hi_doi 「いうまでもなく、そのちがいは書き手の浅さ深さではない。『虐殺器官』の圧倒的な特徴はむしろ描かれている死が痛みをもてないことであり、それによって、死の痛みの圧倒的な伝わらなさをオブジェクトとメタの両方の水準で伝えてしまう」

2012-10-22 01:32:16
相楽 @sagara1

@hi_doi それに対して、冲方の作品は、にもかかわらず物語が痛みを伝えてしまう。傷であることが「私」であり、言葉であることによって。彼が描こうとする個のあり方とは、そういうものなのだろう」( 「『ユリイカ』/総特集冲方丁」収録、佐藤俊樹『傷と傷跡と記号』p192)

2012-10-22 01:32:27
相楽 @sagara1

@hi_doi あと、伊藤計劃が描こうとしていた「暴力という物語」が「象徴的」であるということについては、こちらの「伊藤計劃『虐殺器官』の“大嘘”について」http://t.co/fyo7KPed という記事が興味深いかとも思います。

2012-10-22 01:32:39
相楽 @sagara1

@hi_doi なお、はてなの無名名義記事はどうも『伊藤計劃トリビュート』http://t.co/P8fg4ZAC の面々あたりが出元っぽく。伊藤計劃のビジョン・感覚が今後どう受け継がれ、発展していくのかという話の震源の一つとしてえらい面白いところでもありますね。

2012-10-22 01:38:16
相楽 @sagara1

@hi_doi そして、とりあえずの締めとして。「「同じ釜の飯を知らずに食べた」人々のそれぞれの立ち位置と観ているモノの差異を感じ、私は楽しいのです」というのはとても共感できる発言だと思いました。ホント、そうですね。

2012-10-22 01:39:49
吉田隆一/SF音楽家 @hi_doi

@sagara1 貴重なお話ありがとうございます!うなづきながら読みました。引用もなるほど考えさせられる内容です。『『虐殺器官』の“大嘘”について』は後でじっくり読みます。とにかくこのあたり面白いので掘り下げて行きたいトコですね。

2012-10-22 01:45:29
相楽 @sagara1

@hi_doi あ、それと円城作品の中での「死」というと。うーん……確か、『Self-Reference ENGINE』について、どこかで御本人が≪少し考えると作中では洒落にならない規模で人が死んでるわけですが、誰もろくに気にしないみたいですね≫みたいなことを語っていたような……

2012-10-22 01:45:31
相楽 @sagara1

@hi_doi 伊藤計劃方面はぜーんぶ丸々、他人様の引用ですけどね(><) ただ、そこら辺の比較はいろいろ面白いところだと思います。

2012-10-22 01:46:59