渡邊芳之先生ynabe39の「素朴な善意というものがいかに残酷かというお話。」

「主張され求められる権利」と「一方的に与えられる権利」。by 渡邊芳之
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渡邊芳之 @ynabe39

「動物の愛護及び管理に関する法律」の第1条に「この法律は、動物の虐待の防止、動物の適正な取扱いその他動物の愛護に関する事項を定めて国民の間に動物を愛護する気風を招来し、生命尊重、友愛及び平和の情操の涵養に資するとともに、(続く)

2012-10-22 23:54:15
渡邊芳之 @ynabe39

動物の管理に関する事項を定めて動物による人の生命、身体及び財産に対する侵害を防止することを目的とする。」と書かれているのはまったくそのとおりなんです。

2012-10-22 23:54:29
渡邊芳之 @ynabe39

動物を愛護するのは「人間のため」なんです。

2012-10-22 23:55:02
渡邊芳之 @ynabe39

どうしてほしいか動物に聞いた人はいません。すべて推測で別々の人がそれぞれ別々の推測をするので人間同士の争いになります。

2012-10-23 00:01:01
渡邊芳之 @ynabe39

生物多様性が損なわれると人間が困ると考える人が比較的多数だから保護するわけです。 RT @atsushi_cl: 絶滅危惧種に対しては、どのように対峙すべきでしょうか?

2012-10-23 00:01:56
渡邊芳之 @ynabe39

「人間が足を踏まれてそのような声を上げる時には痛い,だから動物も痛いのだろう」ということです。 RT @cleopatrasdream: 犬や猫の脚を間違って踏んだでもギャアって悲鳴上げるよ

2012-10-23 00:06:57
渡邊芳之 @ynabe39

それは猫の理屈ともおそらく違うでしょうね。 RT @cleopatrasdream: ギャアって声を証拠というんだよ、常識人はね。学者の理屈とは違う。

2012-10-23 00:12:32
渡邊芳之 @ynabe39

「自分は動物のことを他の人よりわかっている」みたいなことがいちばん嫌い。これは良し悪しとか正誤ではなく「嫌い」。

2012-10-23 00:13:13
渡邊芳之 @ynabe39

「人間の痛点を押した場合人間は筋肉の反射に随伴して痛みを感じる,だから動物も感じているだろう」,同じことです。 RT @cleopatrasdream: 獣医師に猫や犬に痛点が存在するか否か訪ねて下さい。

2012-10-23 00:19:53
渡邊芳之 @ynabe39

好きなのとわかっているのは違うんです。われわれはただ好きなだけで,わかっているわけではない。

2012-10-23 00:20:44
渡邊芳之 @ynabe39

「痛いと言う」のは言語行為で,それと「痛み」は別のもののように見えるが実際には表裏一体である。言語の発達していない幼い子はお腹が痛いのか背中が痛いのかを親に伝えられないが,そのときその子は「痛い場所はわかっているが言葉で言えない」のか「どこが痛いのかもわからない」のか。

2012-10-23 00:24:37
渡邊芳之 @ynabe39

ネコは優しいから「ネコのことがわかっていると信じている哀れな人間」が愛しいんでしょうね。 RT @cleopatrasdream: ま、そういう理屈をこねている人のベッドにはネコは入ってこない。

2012-10-23 00:30:20
渡邊芳之 @ynabe39

あるいは「未来の予測」とか「将来の展望」そしてそれの「心的表象」としての「イメージ」がない生物に「死の恐怖」はどのように存在しうるか。

2012-10-23 00:36:36
渡邊芳之 @ynabe39

嫌味ではなくて,ネコに対するオマージュですよ。 RT @cleopatrasdream: 天下の渡辺教授が理屈にならない嫌味を書いたね。 RT @ynabe39 ネコは優しいから「ネコのことがわかっていると信じている哀れな人間」が愛しいんでしょうね。

2012-10-23 00:42:31
渡邊芳之 @ynabe39

「苦痛があるかないかわからないとき」には「苦痛がある」と考えるほうがより「慎重」で「注意深い」ことだけは確かなのでそちらを選択することにはとくに異議はありません。ただそれで何かが「すっかり大丈夫」になるわけではないということです。

2012-10-23 00:54:43
渡邊芳之 @ynabe39

「動物も人間と同じような行動をする」から「動物にも人間と同じ意思や感情を持つ」と考えるのではなくて「もともとそのような行動に意思や感情は特に必要ないのではないか」と考えることもできる。

2012-10-23 06:33:28
渡邊芳之 @ynabe39

動物も人間も同じ目的同じ機能としてその行動をするのだが、人間の場合だけ「たまたま」それに意思や感情が伴うのだ、と考えても何の矛盾も起きないことはたくさんある。

2012-10-23 06:36:16
渡邊芳之 @ynabe39

じっさい「進化の過程で心的表象や意識がなぜ生まれたのか」「心的表象や意識があることが適応上どういう意味があるのか」はそんなに簡単に言えることではない。

2012-10-23 06:42:42
渡邊芳之 @ynabe39

それらはもともとは別の機能や適応のために生まれたものの副産物にすぎない可能性もある。

2012-10-23 06:44:00
渡邊芳之 @ynabe39

なにか別の適応との関係で別の機能を生み出すために起きた脳の変化が「偶然に」心的表象や意識を生み出した可能性もおおいにある。

2012-10-23 06:45:51
渡邊芳之 @ynabe39

脳や中枢神経系などほとんどないような下等な生物でも「人間より頭のいい」行動をすることはある。頭がなくても頭がいいわけだ。

2012-10-23 06:50:27
渡邊芳之 @ynabe39

「人間だったら○○を伴わずには起きない行動」が人間以外の動物でも必ず○○を伴わずには起きないとはいえない。人間でだけ「たまたま」○○を伴っている可能性は常にある。

2012-10-23 06:53:13
渡邊芳之 @ynabe39

@Ringoski 人間でもできない人にはできないような行動です。ミミズやダンゴムシの行動にもありますよ。

2012-10-23 06:54:21
渡邊芳之 @ynabe39

「○○な時には動物も涙を流す,動物も悲しいのだ」という前に,「人間が○○な時に涙を流すのは悲しいからなのか」「人間が○○な時に涙を流した場合,必ず悲しいのか」ということを考えないとならない。

2012-10-23 07:57:32
渡邊芳之 @ynabe39

「悲しい悲しいと言っており,本人も主観的には悲しいと思っているが,その人の行動を客観的に見ると喜んでいるようにしか見えない」ような場合はそれほど珍しくないと思うが,その時その人は悲しんでいるのか喜んでいるのか。

2012-10-23 08:00:01