長谷敏司『円環少女』感想
「彼がヒーローになったのではない。世界は色を転じたが、仁は変わらなかった。古い世界は異世界になり果て、人々はすこしずつ異世界人になり、彼は取り残された。/こうして相対的に、彼は"世界"から逸脱した」(『円環少女』12巻p245)。
2011-09-16 16:35:50別の作家や別ジャンルの作品との対比なども組み込もうと思えば組み込める……かな。それこそ『魔法少女まどか☆マギカ』とか。 ……いや、「エネルギー保存やエントロピーなど、持たざるものの泣き言にすぎんよ」(『円環少女』1巻)というくだりではなくて。
2011-09-16 16:41:54改めて『円環少女』最終巻(13巻)を読み直すと、最終盤のp456~p466は個人的に『魔法少女まどか☆マギカ』放映終了直後に感じた諸々の感想http://t.co/jDyQhm4w、の中でもひどく反発を覚えた部分にモロに即したところがあり驚いた、という話。
2011-09-16 16:43:29悲惨な運命に巻き込まれた子供にも待つべき「成熟」。公正な重荷の分担。そして<強く願い背負う者>は相応の業深さ、凶悪なエゴを持っていて良いし、あえて「願う」ならば(それを苛烈に試された上で)そうあるべきでは、と。諸々、個人的な趣味の問題ではあるけれど。
2011-09-16 16:43:47仮面ライダーと月光仮面を引用した後に、太陽と子ども達の声援を背に暗闇から来た化け物と戦うという「ヒーロー」の一番プリミティブな姿に至る6巻最終戦とか凄まじく良くできてるよなー>円環少女
2011-09-16 16:52:26『円環少女』13巻p466で、十崎京香が辿り着いた「世界はもはや誰にとっても《地獄》ではない」という決着のさせ方、その理由が趣味としてとても好き。そういう話です。
2011-09-16 16:56:46(´-`).。o(長谷敏司『円環少女』13巻での最後の最後の台詞と、1巻での<ジェルヴェーヌ・ロッソさんは聖騎士のニコライさんに本当にひどいことしたよね>という場面のやりとりとを見比べると、なんとも素敵な気持ちになれる件について)
2011-09-16 16:56:52@pendulumknock 一方でその「太陽」が些か物騒過ぎる人工太陽であることとか、暗闇から来た化物と戦う「ヒーロー」が「奇蹟や救済をもたらす」のではなく「奇蹟(と救済)を理解した上で否定する」存在であること(続く)
2011-09-16 17:08:48@pendulumknock そして堂々たる「英雄」を隠れ潜んで狙撃したり、秩序を拒むべく送り込まれる刺客……要するにテロリスト的な存在であるというのが厄介でもあり、大変に面白いよなぁ、と。「武原仁と国城田義一はどう違うか。なぜ違うか」ってずっと尾を引く大きな問題なんですよね。
2011-09-16 17:11:57@sagara1 騙し絵的というか、近景と遠景で見えるものが違ってくるんですよね。ヒーロー論としても、国城田の「仮面ライダーは完璧過ぎる」という批評を真正面から受け止める形で話が進む一方、理想像としてのアーキタイプを騙し絵的な形で先取りしてるのは中々にエキサイティングでした。
2011-09-16 17:23:52我々がアーキタイプとした嘗てのヒーロー達も、仁と同じような矛盾を抱えてそこに立っていたのかもしれず、それは外観からでは解らない。でも、彼らは確かにそこに立ったのだし、その事は人に力を与える。そういう意味であれは強烈なヒーロー讃歌だと思うのですよ。
2011-09-16 17:36:20改めて読み返すと60~70年代の学生運動とその評価についても、『円環少女』4巻~6巻での描写が過去諸々読んできた中で一番しっくり来た(例えば小熊英二『1968』よりも)。よくあれだけ、物語の中にきっちり複数の視点とバランスを用意するよなぁ。
2011-09-16 17:43:34十崎京香による切り捨てが鮮やかだけど、直後にかつての公安スパイの独白で相対化したのも含めて凄い。それと、かつて東大入試中止の被害を受けたエリート警察官僚にも語らせているのが好きだなぁ。
2011-09-16 17:43:40@pendulumknock 『円環少女』では多くの強烈な「英雄」が描かれますが「どんな「英雄」よりも強力なのは「圧倒的な人の数」というのが絶対外せないポイントだよなぁ」と。60億の悪鬼はグレンよりもイリーズよりも強い。そして、再演世界は「人の数」を増やすのが自然法則という世界。
2011-09-16 18:30:00@pendulumknock で、再演世界が過去や他世界に仕掛けるやり口は、魔法消去が「奇蹟」を潰すのと同様の人海戦術。しかも、その数は最盛期は「三百兆人」(13巻p8)に達したのだとか。再演世界が圧倒的なのは数の力として圧倒的だから……というのがあの物語の構造なのでは、と。
2011-09-16 18:30:44@pendulumknock なお"地獄"と再演世界だけでなく、例えば円環世界もイリーズ戦争をきっかけに「数」の時代への流れは決定づけられ、神音世界でもアンゼロッタの登場はやはり「数」の優位に繋がる筈で。そうした物語世界における時代の流れというのは、現実の反映・暗喩ですね。
2011-09-16 18:31:10@pendulumknock そこらへんの話の行き着くところは……なにやら諸々すっ飛ばした結論ですみませんが、『円環少女』は「「圧倒的な人の数の重み」を決定的な特徴とする新時代を迎えた「世界」に対し、一人の人間としてどう対峙するか」という話でもあると思えます。
2011-09-16 18:31:37@pendulumknock それでもって新時代における「世界」との対峙のモデルケース同士の争いは最終巻後の世界において、十崎京香VS王子護ハウゼン、エレオノールVSアンゼロッタ、メイゼルVS九位といった構図になるんじゃないかなぁ、と。……説明不足にも程がありそうですが。。。
2011-09-16 18:31:55@sagara1 ”地獄”側の英雄たる仁が相手してきた高位魔導師たちも、「魔法文明そのもの」という「数」や「厚み」によってその強さを讃えられてきた訳で、世界と対峙する個人、という図式は双方向で語られてるんですよね。
2011-09-16 18:38:19@sagara1 アホの子vs食いしん坊、なんてのもありますねw。ちょうど再演世界が「滅び」を前提としてたみたいに、数を頼みの世界はそれ故の矛盾を抱えて、それが主題になってくんでしょうが、考えてみると6巻で「戦いはいつか過去になる」と言ったのを回収してるのですよねー
2011-09-16 18:47:23@pendulumknock 13巻で「大審問官」が苦しむのは再演魔導師となる人口比率の減少ですね。矛盾を潰しに潰す再演世界でも世界に救う側と救われる側がいて、救うという負担者側を選ぶ「数」は常に少なく、しかも段々減っていく構造問題が……>数を頼みの世界はそれ故の矛盾を抱えて
2011-09-16 18:59:41@pendulumknock 「戦いも怒りもいつかは過去になる」というのは繰り返し提示されますね。すんごく重要です。で、「いつか」は武原兄妹が口にし続けた言葉で。その「いつかは過去になる」がどうしても許せないとなると「ラストページ」に行こうという発想になるのかな、と。
2011-09-16 19:00:45@pendulumknock そういうわけで「いつかは過去になる」といった「時代の流れと個人」という文脈から見ても、仁の実妹・舞花は非常に興味深いキャラクターです。妹だけど常に仁の一歩先に走って行って……先に穴に落ちる。
2011-09-16 19:01:13『円環少女』といえば、ギャグと変態描写の凄まじさに触れずにはいられない。再読でも笑える。むしろ、抑えるのに苦労する。……で、いちいちそれらの描写も物語の中で意味を持つのが、丁寧というか誠実というか偏執的というか何もそこまでというか。いや、本当に大好きなんだけども。
2011-09-16 19:06:37