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長谷敏司『円環少女』感想
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錬金体系の全裸ネタの扱いの巧みさとかならとにかく、例えば1巻の<難題と距離をとる>とか、"倉本きずお、神和家から逃亡"からの<人生を見つめ直すならインド>まで、それぞれかなり間を置いてしっかり拾って活かしてるからなぁ……。再読すると、無駄な描写の無さが怖い。
2011-09-16 19:07:04![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
「「バカみたいだよね。あのときのわたし」/妹が、乗り越えたのではなく、そうするよりなくなったかのように、追い詰められて噴き出した(中略)彼らのどんな惨苦も、他人や"いつか"未来の自分自身から、喜劇として笑われるものでしかないのだ」(『円環少女』10巻p380)
2011-09-16 19:45:12![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@pendulumknock 倉本滋雄絡みはエグいですね。なお、きずなは更にもう一度「縋った相手が全てを捨てて他の女を選ぶ」という破局を迎えた訳で。「倉本滋雄より幸せにしてやれる」と思い込んだ誰かさんは、滋雄に向けられた非難をそのまま引き継がないといけない構造にもなっています。
2011-09-16 21:39:59![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@pendulumknock 一方で「幼い女王のために、貴様は、現世の地位も、仲間も声望も、果ては誇りに到るまで、すべて捧げたそうだな。それを魔法使いの世界では、真の騎士の献身と呼ぶのだ」(10巻p318)。クレペンスによる仁の評価はそのままマルク・フェルゼーにも当てはまります。
2011-09-16 21:40:19![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@pendulumknock 武原仁が一人だけを選んだという事は、他のものを無残に踏みつけ、振り棄てたということでもあって。その業の深さは倉本滋雄が先行して示してもくれているわけですね。ホント、エグい話です。
2011-09-16 21:41:18一旦まとめを作成した後のやりとり
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あっ、円環少女を語るなら「カラマーゾフの兄弟」の「大審問官」の項と、このエントリは参照していただきたく、というのはあり>http://t.co/m2PCIyMA
2012-10-24 02:39:37![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@ninomae_fumi 「そうした超越性への依存から手を切り、違うものを、強いて言えば世俗的争いの中で流される血や届かなかった声などを想像する――想像しながら踏み潰していく――べきものであるのだと思う」http://t.co/DAaAnnLy 円環少女解決の解説になりますね
2012-10-24 11:36:44![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@ninomae_fumi ああ、はい。こちらのエントリhttp://t.co/6C6Neuez で触れられている「幽霊の複数性」問題は、『円環少女』で武原仁がメイゼルときずな、どちらを選ぶか/選んだかという話と、きずなの「運命の化身」あたりの問題を直撃しますね。
2012-10-24 11:37:05![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@ninomae_fumi 再演大系の<大審問官>は勿論『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」で。そのまんまではあるんですよね。中でも丁度こちらhttp://t.co/hwExGMi8 で新潮文庫の原卓也訳(邦訳が幾つかあるうち、個人的に一番好きな訳です)で引用されてる部分は特に。
2012-10-24 11:37:44![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@ninomae_fumi 「それともお前は、人間にとっては安らぎと、さらには死でさえも、善悪の認識における自由な選択より大切だということを、忘れてしまったのか?人間にとって良心の自由ほど魅力的なものはないけれど、同時にこれほど苦痛なものもない」
2012-10-24 11:38:53![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@ninomae_fumi 「ところが、人間の良心を永久に安らかにしてやるための確固たる基盤の代りに、お前は異常なもの、疑わしいもの、曖昧なものばかりを選び、人間の手に負えぬものばかりを与えたため、お前の行為はまるきり人間を愛していない行為のようになってしまったのだ」
2012-10-24 11:39:03![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@ninomae_fumi 「選択の自由などという恐ろしい重荷に押しつぶされたなら、人間はお前の姿もお前の真理も、ついにはしりぞけ、反駁するようにさえなってしまうことを、お前は考えてみなかったのか?」
2012-10-24 11:39:11![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@ninomae_fumi 「そして彼らは大喜びでわれわれの決定を信ずるのだ。なぜなら、その決定こそ、個人の自由な決定という現在の恐ろしい苦しみや、たいへんな苦労から、彼らを解放してくれるからだ」(続く)
2012-10-24 11:39:51![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@ninomae_fumi (続き)「そして、すべての人間が幸福になるだろう。彼らを支配する何十万の者を除いて、何百万という人々がすべて幸福になるのだ」
2012-10-24 11:40:00![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@sagara1 大審問官の項は好きです。ところで彼の語りですが、イヴァンの語りを前提とするなら過去から現在へと一方向に流れる空虚で均質な時間性のもと、現在を足場にしたものといえるかもしれません。しかしながら長谷敏司はもう少しベンヤミン的な解釈をしているように見えます。
2012-10-24 11:42:30![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@ninomae_fumi あと、『円環少女』を語る上では、設定全体が「人間原理」ベースだという話もあるんですよね。参照:長谷せんせのtweet⇒ https://t.co/TAfzkSfK https://t.co/bHubVR4F https://t.co/lFqb5kkh
2012-10-24 11:46:11長谷敏司先生のtweet引用
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ふとtwitterを見たら、榊一郎(@ichiro_sakaki)さんが超能力話をしていた件。実は拙作『円環少女』の設定は、アンチ・エスパーからの想像ではなく、人間の認識が世界を構築するという人間原理が元ネタだったり。読んでて思いついたという元作品はグレッグ・イーガンでした。
2012-03-13 01:48:15![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
で、「強い人間原理」を下敷きにすれば、アンチエスパーとエスパーの能力を同じ軸線で構築できて面白い世界になるかと思って、作った話でした。せっかくそういう設定なので、”同じ軸線で歴史的に関わったアンチエスパーとエスパー”を偽史的に積み上げ続けたのが『円環少女』の舞台です。
2012-03-13 01:52:06![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
『円環少女』をSFとして読んでいただく読者さんがわりとおられるのは、この「エスパーとアンチエスパーが”強い人間原理”を基盤にした別側面」という中心が、設定だけでなく物語を一貫して支配し続けたせいではないかと思ったり。学生運動の話なども、書き手的にはその要請から出たものです。
2012-03-13 01:57:01引用終わり。
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@sagara1 過去・現在・未来を同時的に扱い、「今ここ」の時点にそれらが立ち現れる。可能性世界のそれも含めて。「大審問官」と武原仁の物語が並列的に語られるその形式は、なんかこうベンヤミンを思わせるものが。
2012-10-24 11:47:39![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@sagara1 ぼくはユージン・ウィグナーの「ウィグナーの友人のパラドックス」や、そこから導き出される「究極観察者」ネタあたりを思い出してました>円環少女後半展開。
2012-10-24 11:51:57