宿題(2012/10/24):ロリエロマンガ規制派は一体何を考えているのか改
- nokkaranoumu
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今日いろいろ考えていたのは、「ロリエロマンガ規制派は一体何を考えているのか、何を論拠としているのか、となると何をすると『無駄』か」ということだった。
2012-10-24 15:07:08何をすると『無駄』か、というところから述べようと思う。まず、1:人権(表現の自由)を論拠とすること。これが実はまずい。なぜかというと、a:多くの市民は、人権とは運動家たちの信仰するうさんくさい宗教だと思っているからだ。公務員試験対策講座を受けた公務員が聞いたら激怒すると思うが。
2012-10-24 15:09:38b:多くの市民は表現の自由などという雲をつかむような人権など重視してはいない。公務員試験対策講座を受けた公務員じゃないからだ。じゃあ何を重視しているかというと、倫理を重視している。この場合は「清浄の倫理」だ。即ち、「ロリエロマンガは醜く汚らわしい」という。
2012-10-24 15:11:37c:「表現の自由を損なうな」という意見に、彼らはこう答えるだろう。「ロリエロマンガや反社会的な表現さえ規制すればいい、それ以上は望まない」と。もちろん市民や特に政府は、規制した後はもっと他の表現も規制したくなるし、そうなったら止めようがないのだが、そんなことは彼らはどうでもいい。
2012-10-24 15:14:322:性犯罪との相関関係の低さを論じるのも実は意味がない。a:わずかでも相関があるというデータが1件でもあれば(それが捏造でも何でもいい)、多くの市民はそちらを支持するからだ。なぜかは後で論じるが、この「自分の見解を支持するデータしか見ない」という傾向は常に付きまとう。
2012-10-24 15:16:45b:わずかでもロリエロマンガ的な行為を誘発する要素は減らすべきだ、という考えは根強く、説得しようが全く変わらない。変わらないのだ。その基本的な(細部ではともかく全体としては)理解から始めないといけない。
2012-10-24 15:18:54c:また、最近の脳科学では、「何らかの傾向を持つ情報は何らかの傾向を持つ行為を誘発する『ことがある』」というのが一般的な見解だ。当然規制派はこの見解を支持するものである。「『ことがある』程度でも十分危険だ」というのが彼らの考え方だからだ。
2012-10-24 15:20:543:ロリエロマンガには被写体が存在しない。これは彼らの恐怖を何一つ軽減させない。彼らは被写体はどうでもよくて、ロリエロマンガの情報の公開の有無と、それによる成人の苦痛や、児童に悪影響があるのではないかという恐怖こそが本体だからだ。それを解決できるかどうかはおのずから別の話だが。
2012-10-24 15:23:324:海外の判例。これも規制派を支持するものと規制反対派を支持するものがある。つまり、もうお分かりだと思うが、規制派は規制派を支持する判例だけを支持する。
2012-10-24 15:24:385:他の件だと不当なことが、わいせつでは正当とされるのはおかしいではないか、という意見があるだろう。それは全くの無駄だ。なぜなら規制派は「わいせつだからこそ、この場合は規制が正当だ」と考えるからだ。この考えは正当化の論理としては古典的であり、根強く、一切の説得が無駄になるだろう。
2012-10-24 15:28:536:法学や人権の見地から見てどうこうというのも深入りしない方がいい。多くの市民は「市民に関係ないように見える学問は市民の敵」だと考えているからだ。法学しかり、原子力しかり。
2012-10-24 15:31:237:多数派による少数派の弾圧はよくない、少数派の意見を聞いてほしいという意見があるだろう。だが、これは当然下から出た発言であり、多数ゆえに権力を持っている人は、権力を行使してそれ以外を弱体化・無化したいし、それを正当化する理論はいくらでもあるので、彼らはあなた方を叩き潰すだろう。
2012-10-24 15:33:328:じゃあ妥協の余地はあるのか? これはおかしな問である。だって規制派は妥協なんて考えてないからだ。彼らの目的はロリエロマンガの情報が見えなくなることだが、見えなくするには根絶するのが手っ取り早いわけで、当然彼らは根絶を考えている。そうなると、妥協しない方が規制反対派の得になる。
2012-10-24 15:36:029:既存の18禁ではいけないのか? これだけど、さっきの繰り返しになるけど、18禁とは関係なく、規制派は特に反社会的なものは(となると18禁は反社会的だと思われているから18禁なわけで、18禁は常にアウトになる危険性をはらんでいる)、出版自体を禁じてもいいと思っている。
2012-10-24 15:37:4510:娯楽による人格形成ということは大いにあるのだが、これも公には言わない方がいい。a:市場における性愛に関する情報は常に悪影響をもたらすという考えは根深い。どんなに多くの成人がまともに育っていても、彼らはまともに育ってない成人のみをサンプルとするので、パーフェクト無駄である。
2012-10-24 15:39:45b:そもそも児童がわいせつ物を見てはならないことになっているので、児童における人格形成云々は何一つ論じない方がいいし、そんなデータが有意に揃っているかどうかは大変疑わしい。
2012-10-24 15:41:22さて、「規制派に何を語ると『無駄』か」ということを論じた。次は「規制派の論拠は何か」。1:何より大きいのは、成人が不快に思ったり、児童に悪影響があるのではないかと恐怖したり、ということである。これは根強いし、彼らは有害だというデータしか信用しないので、説得しても意味がない。
2012-10-24 15:43:592:清浄の倫理、という言葉がある。これはクレイグ・ジョセフが提唱した五つの普遍的倫理モジュールの一つで、「清く美しいものが善く、汚れて醜いものは悪である」という観念である。これは倫理なので法学や人権よりは分かりやすく、広く受け入れられている。
2012-10-24 15:47:17法学や人権を学んだ人なら、「倫理的な悪は必ず社会にあり、これが行為となったときに処すことと、うっかり処しすぎて社会を破壊しないことが、社会の十全な運用にとって肝要である」という発想になるかも知れないが、そんな発想が公務員試験対策講義を受けてない普通の多くの市民に分かるわけがない。
2012-10-24 15:49:29そんな市民の感覚と乖離した知見は間違っている、と普通の多くの市民は言うかも知れない。それでは専門家の立つ瀬がないのだが、実際そう考えている。
2012-10-24 15:51:003:これらの観念に基づく刑法175条、わいせつ物頒布等の罪。これは常に憲法解釈との整合性において正当性が危ぶまれてきたが、いまのところ続いているし、あらゆるわいせつ物に適用されることになっている(芸術性や文学性ということは言わない方がいい。裁判所はそれを採用していないのだから)。
2012-10-24 15:52:44「規制派の論拠は何か」については書いた。では、「規制派は何を考えているのか」。おそらくであるが、以下のようなことを考えているだろう。
2012-10-24 15:53:431:規制派は、数が多いがゆえに権力的であり、説得しても考えが変わらず、わずかでも有害だと思う要素を重視して絶対に許容せず、自分たちに関係があると思えない専門的なものを信用しない。「どうであるか」「その結果どうなるか」ではなく「どう見えるか」「目の前のことをどうするか」を重視する。
2012-10-24 15:56:332:規制派の動機は、彼らのうちの成人が不快に思うということと、児童に悪影響があるのではないかという恐怖感にある。これが解決しない限り彼らは規制派であることをやめないだろう。そして、これは原理的に解決不可能な不快感や恐怖感なので(理由はたくさん述べた)、いかなる説得も無駄であろう。
2012-10-24 15:59:44とりあえず今日考えていたのはそんなとこ。今後ロリエロマンガ規制の話題になったら、以上のことは思い出しながら論じないといけない。ということで今までの文章をTogetterにまとめるものとする。
2012-10-24 16:00:46