デイヴィッド・ピース特別講演 at 専修大学まとめ
そうした「視覚的効果」(例えば『占領都市』の第九の蝋燭の原文参照)を、日本語の文字列において実現する、というのには自覚的であったつもりだ(これには中学のときから筒井康隆を読みふけっていたことが役立ったと思っている)。
2012-10-28 00:11:16そうした「意味内容」と「視覚効果」としての文字列に自覚的なつもりでエルロイやキングやデイヴィッド・ピースの翻訳書をつくってきたつもりだった。だが。
2012-10-28 00:12:16@Schunag ラノベがわりとそうしたことを抵抗なくさらっとやるのは、やはり元にマンガがあるからなのではないかと。マンガって、キャラの喋ってるセリフの雰囲気で書体を変えるじゃないですか。それの移植として、そういうのがあるのかな、と。
2012-10-28 00:36:35@Schunag マンガのそうした所作もすべて「音」に関連してくるのですよね。マンガは音が出ませんが、音を見出そうとする描写がすごく多くて(擬音やそのデザイン、セリフの書体、吹き出しの形など)、それを小説に落とし込むとなると、自然とそうした具合になるのかな、と。
2012-10-28 00:56:42そうしたマンガの音は読者それぞれの中で固有に響いているのだが、そこでアニメ化するときに作り手と受け手に齟齬があると「?」となったり。いや、難しですね。
2012-10-28 00:59:02@red1stuff あ!たしかに!マンガにおいては「音」が先行する――映画から派生した/影響をうけたものであるせいでしょうね。なんか目からウロコが落ちた感があります。
2012-10-28 01:01:43しかし文字列には(当然!)「音響」がともなうのだ。それについて無自覚だったことを、今日のデイヴィッド・ピース講演での朗読で思い知った。もちろん「音響」を活字に反映するのは殆ど不可能だ。でも。
2012-10-28 00:13:21こないだのドイツ・ミステリ酒場関連で思ったように、日本では「朗読」が西欧ほど根深く広く定着してはいない。しかし「朗読」によって、テクストの音響的効果について体感できるのだ、と今回思った。
2012-10-28 00:14:58『占領都市』冒頭のstep-by-step、『TOKYO YEAR ZERO』本編冒頭のTon-ton, ton-tonが、ああいうふうな音量で、ああいうふうな音色で、ああいうふうなタイム感で本文にミックスされるとは正直思っていなかった。
2012-10-28 00:16:38あそこで生成されていたリズム。あれを体験したことは――それを編集者として本というモノに反映できるかはともかく――大きな収穫だったし、勉強にもなった。
2012-10-28 00:18:26「朗読」はおもしろい。これは音響的体験だと思った。それはつまり『占領都市』や『TOKYO YEAR ZERO』が音響的な小説だということでもある。
2012-10-28 00:18:54たとえばポストロックについてのwikipediaの記述を読んでいるとそれがそのまま『占領都市』の記述についての方法論のようにも思われる http://t.co/vVRMim4D
2012-10-28 00:35:19今から書くのは、このデイヴィッド・ピース講演『越境する言葉、幻の東京』における、事前に三つの問いについてだ。ここから、自分がどのようにピース先生の物語に頭を突っ込んでいたのかを、まあ、ちらっと流し読みするつもりで読んでくれれば幸いです。
2012-10-28 02:03:51(1)文章の音楽性について。自分がピース先生の作品を読んだのは『1974 ジョーカー』が出版された2001年、大学生のときだった。文体に非常に影響を受け、今でも影響を受け続けている。そして、この作品からルーツをたどるように、エルロイの『ホワイト・ジャズ』を読み始めた。
2012-10-28 02:09:53あるとき、文庫を縦にすると、歌詞wordsのように見えた。その一語一語が力強い言葉のせいか、パンクやハードコア、ヘヴィメタルなどの歌詞のように見えた。こうした初期の文体は現在のシリーズにも形を変えて宿っていると思う。
2012-10-28 02:11:22こうした自分が感じ取った音楽的な要素は、ちゃんとあるのだろうか? そしてあった場合、その音楽的要素の源泉はどこにあったのでしょうか? ――第一の問いである。
2012-10-28 02:12:37(2)箱庭/サンドボックスについて。異様な事件、男たちの妄動、苛烈さ、生存競争、歴史、様々なものが交差し、「ヨークシャー」や「トウキョウ」が立ち現れる。それはリアルとしてのヨークシャーや東京であり、幻視されたヨークシャーや東京でもある。魔術的リアリズムのような関係かもしれない。
2012-10-28 02:17:44たとえば、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』のマコンドは作者の故郷が明らかにモデル。ウォルポールの『オトラント城』は、作者の城であるストロウベリ・ヒルがないと、ゴシック要素だけでは構築しえない――これは泉鏡花の『天守物語』にも言える。
2012-10-28 02:26:16もし、逆に都市――街や村でも良い――家などの「場所」、或いは「時間」など、限定された場所や歴史などから事件を帰納的に描く場合、ヨークシャーや東京の他に、どういった場所や時間をモチーフにしたいですか? それは、架空の都市や時間でもかまいません。
2012-10-28 02:22:25スティーブン・キング『呪われた町』はメイン州であって、リアルとファンタジーを曖昧にしてる(この現実を巻き込む曖昧さ、キング先生も好きだったクトゥルー神話の手法も参考にしてるだろう)。レオ・ペルッツの『夜毎に石の橋の下で』はプラハのゲットーを抜きして語れない。
2012-10-28 02:29:51家で言えば、マシスンの『地獄の家』、というか七十年代の映画『ヘルハウス』のイメージを思い出し、同時に日本的なモチーフとして鏡花『草迷宮』(マヨヒガの伝説でもよい)を思い出す。
2012-10-28 02:32:50現実には今はなき香港の九龍城、伊のヴィネツィア、チリのバルパライソ、など色々と。改めて、ピース先生が興味ある「場所」(もしくは「時間」や「文化」でも)はありますでしょうか? ――これが第二の問いである。
2012-10-28 02:40:27(3)現実の事件について。(これはノーコメントでも構わない、という先に伝えること)もし、リアルな事件から想を得ようとした場合、今までの作品で使ってきた他に、どのような事件が興味がありますか?
2012-10-28 02:43:40もし、自分が東京三部作のような時期を選ぶとすると、興味があるのが1950年に起きた小倉米兵集団脱走事件。激しい朝鮮戦争に派遣される200~250人ほどの兵士(十代だそうだ)が武器を装備し、脱走。小倉市で略奪、婦女暴行を重ねた。米憲兵や日本警察は手出しできず、進駐軍が制圧した事件。
2012-10-28 02:46:38