《肥田舜太郎医師講演 「被爆者と生きる」2012年10月28日 文字起こしまとめ》
- karitoshi2011
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21 死ぬ人は私をにらむ。ついさっきまで元気だった人が急に具合が悪くなって、血を吐いて死ぬ。例えば、孫を背負って洗濯をしていたばあさんが突然(原爆の)爆風を浴びて倒れる。起き上がると、周りにあったはずの家が一軒もない。
2012-10-28 22:37:0022 背負っていた孫もブランと垂れている。どう見ても助かっているように見えない。上半身は服もなくなって、血だらけになっているのだけれど、他の人の様子は見えるのに、自分のことは他の人に言われるまではどうなっているか(上半身服がなく、焼け爛れている)ことにも気づかない。
2012-10-28 22:37:2123 たった一機の飛行機が来ただけで、爆弾が落ちたことも気づかないで死んでしまう。医者がそばに来たことがわかると、医者になんとかしてもらおうと思って、私を見る。私は、他の人を置く為に場所を空けるために死んだ人を確認して、その場所を空けて次の人を入れなければならない。
2012-10-28 22:37:5224 死んだ人を確認しようと思うので目を合わせないようにするが、目を合わせてしまったら、その人に触らないわけにはいけない。何とかしたい。その人は獣の目をしている。
2012-10-28 22:38:0625 そばで目線があったら、何とか(触れる)無事な場所を探して手を当てると、獣の目から人の目に代わり、ふっと力が抜けると死んでいる。(自分に何が起きたか)なんだかわからないままなので、医者が来るとわかると獣の目で見る、それが手を当てるだけで人の目になって死んでいく。
2012-10-28 22:38:2226 普通の病人で死ぬ人は、うすうす自分が死ぬことをわかって、死んでいく。あの時は、何で死ぬのかわからないから、(死と)戦おうと思ってにらむ。それで死ぬ。そばによったら、またその目を見なければならない。
2012-10-28 22:38:3827 「呼吸がない、瞳孔が開いている、心臓が動いてない」この3つがそろったら死亡、と書類を書く。わかる限りでは兵隊とか、女性とか男性とかはわかるので、それを書いていく。それを1週間も10日も続けた。
2012-10-28 22:38:5328 私にとって被爆者と言うのは、私が何もできなくて死んだ人しか思い出せない。2種類あった。1つは、自分が原爆を浴びたことを知っている人。
2012-10-28 22:39:1229 もう1つは、翌日や翌々日、広島に入った、当日原爆を浴びてない人。家族を探しても原爆の後では目印になるものがない。一つ一つ、焼け跡を3日も4日も歩いて回った。
2012-10-28 22:39:2530 つまり、今言われている内部被曝。そこで水を飲んだ、のどが渇いたから畑のきゅうりを取ってかじってしまった。そういう人たち。
2012-10-28 22:39:4131 原爆ということは、私は4日目に知ったが、原爆と言うものが何か、放射能のことも知らない。広島県福山の軍人は、6日午後、「これから火の中に行くんだ」と言われて、トラックに乗せられて途中まで来て、そこからは(道が人でふさがれて通れないので)歩いて行った。
2012-10-28 22:39:5832 福山の軍人は2日ぐらいは作業をした。水は家の水道の出っ放しのものを飲んだ。そしたら、そのうちの1人が体調が変わり、避難所に人があふれ、そのそばにいけなかったので、村の端のけが人の列に置いて行かれた。
2012-10-28 22:40:1633 そのそばに死体があり、確認の必要があったので偶然行った。「軍医殿、わしはピカにあっとらん」と言ったので、見なければならない人が多く、「違うのなら休めば直る」と言って帰った。
2012-10-28 22:40:3434 数日後そこに行って周囲の人に聞いたら「他の人と同じ症状が出て死んだ」と言われた。それを聞いて、寝てるやつから移る病気ではないかと思って、同僚の医者に言った。そしたら、院長から「1人だけ死体を運んで、解剖して確かめろ」と言われた。
2012-10-28 22:40:5735 夜中、数人の兵隊で運んで、ろうそくの火で、上に毛布をかけて光が見えないように覆って、腹を切った。水を掛けながら、腸を引き出して確かめたが、伝染病でないことはわかった。しかし、それでは何なのかわからなかった。
2012-10-28 22:41:1336 原爆に遭ってない人が、後で町に入った人で(原爆に遭った人と)同じように死ぬ人がいた。分らなかった。
2012-10-28 22:41:2637 9月2日、米軍が茨城県に上陸して、そこから日本の大都市に全部進駐した。「今日ただいまから、私ダグラス・マッカーサーが命令する。天皇も総理大臣も命令できない。」大変だった。
2012-10-28 22:42:2038 沖縄の女性のレイプが先日あったが、銀座の通りの真ん中で米兵が集団で、日本の男がいるのに、女性をレイプした。そんなことが日常に起きていた。そんなひどい状況だったが、日本は比較的早くそのような状況が終わった。
2012-10-28 22:42:4839 米軍が最初に日本人に禁じたことは、「原爆が広島長崎に投下されて、たくさん死んで、現在も具合の悪い人がいる。しかし、原爆の被害に関して、自分の親に対しても、誰にもしゃべっても相談してもいけない」と。これは当時、文書にしてない。マッカーサーは大臣と次官を集めて、通訳に言った。
2012-10-28 22:43:0540 その通達を見て怒りを感じた。医者は診ても良いが、カルテを書くことを禁じられた。その為に原爆で死んだのは放射線被害で多数、訳が分らずに殺されたと言うことが伝わっていない。全て、アメリカが自分の核兵器を秘密にするためにだ。
2012-10-28 22:43:3141 今、日本人が自分の体に何が起きているか知らない状況だった。みんなこの先どうなるのか、心配だ。ボクができることは、「放射線はいずれ体に病気を起こす。その時にできることは起きる病気をできるだけ治すことだ。」と伝えることだけだ。
2012-10-28 22:43:5242 「長生きさせるのは本人自身だ。その日一日、理想的なことは何か、探して生きろ。これまで長生きした人に自分で聞いて回るしかない」と被爆者には教えてきたつもりだ。それをまじめに受けて実践した人は長生きしている。聞き入れず、学ばなかった人は運が良い人以外、死んでいる。
2012-10-28 22:44:0743 そういう経験があるから、子供には言っても分らないから、福島の大人に、自分の体が異変を起こさないために勉強して、毎日生きなさい。そう言っている。一番大事なことは食いすぎないこと。過剰になり、太って。90歳以上生きている人は、みんなそれを守っている。
2012-10-28 22:44:2344 遠くに行け、安全なものを食べろと他の人はいうが、できない。先祖代々住んでいるんだから、1週間か2週間くらい親戚を頼って生きていくことができても、ずっと暮らしていくことはできない。
2012-10-28 22:44:4145 じゃあ、残って生きている人はどうすれば良いか、他の人にはわからない。今生き残っている医者で、経験しているのは私だけ。だから、そこにみんな来る。
2012-10-28 22:45:00