為末大さん@daijapanの「【負けを察する能力】について 負けたくないのではなくて、負けたと思われたくない。」
昨日飲みながら、それぞれの人生で負けたと思った瞬間の話をした。考えだったり、競技の事だったり、もっといえば存在自体で負けたと思った事があったり。いやあすごい人っているよねという話をしていたら、一人がどうして私達は負けたとわかるんだろうと言い出した。
2012-10-27 13:04:43人生にははっきりとした勝ち負けがない。競技では明らかな勝ち負けがあるけれど、もてる事だったり、地位だったり、賢さだったり、尊敬だったりは、明確には計れない。だからいくらでも負けてないという事にもできる。にも拘らず人はある程度負けた事にわかる。
2012-10-27 13:07:57負けたと思った時、人はその相手と自分の差をはかり、悔しいと思ったり自分を嘆いたり、相手に羨む。そしてその敗北感を受け入れた時に、力が湧いてきて自分を高めようとする。そのプロセスに大事なのは、負けを悟る能力と、それを受け入れる能力。
2012-10-27 13:13:36負けたと思うには強さがいる。プライドの高い人の内のいくらかは、敗北が許せなくてそれを覆い隠して生きていく。僕は負けてないと言いながら競争は避ける。相手がどれだけ劣っているかをアピールする。淡々としていられない。敗北を隠す為にはしゃべり続けないといけない。
2012-10-27 13:15:55ああ、僕は彼に負けている。その一言が言えなくて、言い訳の人生を生きている人もいる。大人になっても、子どもの頃についた自分への嘘を続けている人もいる。敗北を隠す人は、敗北の可能性がある場を嫌がり、自分より優れた人との対峙を避ける。
2012-10-27 13:18:03【終わり】上には上がいるから、負けを認められない人の世界は狭い。負けを認める為には負けてる自分でもいいじゃないかと許す自分が必要で、結局の所それには自分と向き合うしかない。なぜ自分は負けを認めたくないのか、その自問が負けへの耐性を作っていく。
2012-10-27 13:24:55気が変わりました RT @coccyx_T: @daijapan 「負けを察する能力」、どうして負けたとわかるのか、が問いではなかったのですか?
2012-10-27 13:42:04