新渡戸稲造『武士道』まとめ

新渡戸稲造『武士道』まとめ
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H.Takano @midwhite

百世の後その習慣が葬られ、その名さえ忘らるる日到るとも、その香は、「路辺に立ちて眺めやれば」遠き彼方の見えざる丘から風に漂うて来るであろう。「いずこよりか知らねど近き香気に 感謝の心を旅人は抱き 歩みを停め、帽を脱りて 空よりの祝福を受ける。」(新渡戸稲造『武士道』)

2012-11-01 00:25:01
H.Takano @midwhite

武士道は一の独立せる倫理の掟としては消ゆるかもしれない、しかしその力は地上より滅びないであろう。その武勇および文徳の教訓は体系としては毀れるかもしれない、しかしその光明その栄光は、これらの廃址を超えて長く活くるだろう。(新渡戸稲造『武士道』)

2012-11-01 00:20:06
H.Takano @midwhite

武士の児童は全く経済を無視するように養育せられ、節倹を国旗の訓練の目的に教わりこそすれ、奢侈は人に対する最大の脅威であると考えられた。かくのごとく金銭慾を努めて無視したるにより、部指導は金銭に基づく凡百の弊害から久しく自由であることを得た。(新渡戸稲造『武士道』)

2012-10-31 23:19:50
H.Takano @midwhite

孔子は『論語』において勇の定義を「義を見て為さざるは勇なきなり」と説いた。つまり「勇とは義しき事を為すことなり」である。水戸の義公も「戦場に駆け入りて討死するはいと易し。生くべき時は生き死すべき時にのみ死するを真の勇と云うなり」と言っている。(新渡戸稲造『武士道』)

2012-10-30 18:28:07
H.Takano @midwhite

仏教は運命に任すという平静なる感覚、不可避に対する静かなる服従、危険災禍に直面しての禁欲的なる沈着、生を賤しみ死を親しむ心を、武士道に対して寄与した。禅とは、言語による表現の範囲を超えたる思想の領域に、瞑想を以て達せんとする人間の努力を意味する。(新渡戸稲造『武士道』)

2012-10-30 15:28:20
H.Takano @midwhite

仏教の与え得ざりしものを、神道が豊かに供給した。主君に対する忠誠、祖先に対する尊敬、並びに親に対する孝行は、他のいかなる宗教によっても教えられなかったほどのものであって、これによって武士の傲慢なる性格に服従性が賦与せられた。(新渡戸稲造『武士道』)

2012-10-30 15:40:23
H.Takano @midwhite

その方法は瞑想である。その目的は、全ての現象の底に横たわる原理、能うべくんば絶対そのものを確知し、かくして自己をばこの絶対と調和せしむるにある。この教えは一宗派の教義以上であり、何人も絶対の洞察に達したる者は、現世の事象を脱俗して新しき天地に覚醒する。(新渡戸稲造『武士道』)

2012-10-30 15:33:45
H.Takano @midwhite

義は武士の掟中、最も厳格なる教訓である。その観念は誤謬或いは狭隘であるかもしれない。林小平はこれを定義して決断力となした、曰く、「義は勇の相手にて裁断の心なり。道理に任せて決心して猶予せざる心を云うなり。死すべき場合に死し、討つべき場合に討つなり」と。(新渡戸稲造『武士道』)

2012-10-30 16:25:48
H.Takano @midwhite

礼とは他人の感情に対する同情的思いやりの外に現れたるものであり、それはまた社会的地位に対する正当なる尊敬を意味する。小笠原清務によれば、「礼道の要は心を練るにあり。礼を以て端座すれば兇刃剣を取りて向うことも害を加うること能わず」と言うにある。(新渡戸稲造『武士道』)

2012-10-30 21:59:54
H.Takano @midwhite

名誉の感覚は人格の尊厳ならびに価値の明白なる自覚を含む。従ってかの生まれながらにして自己の身分に伴う義務と特権とを重んずるを知り、かつその教育を受けたる武士を、特色づけずしては措かなかった。廉恥心は少年の教育において要請せらるべき最初の徳の一つであった。(新渡戸稲造『武士道』)

2012-10-31 04:42:54
H.Takano @midwhite

知的優秀なもちろん貴ばれた。しかしながら知性を表現するために用いられたる「知」という語は主として叡智を意味したのであり、知識にはきわめて付随的地位が与えられたに過ぎない。武士道の骨組を支えたる鼎足は智仁勇であると称せられた。武士は本質的に行動の人であった。(新渡戸稲造『武士道』)

2012-10-31 23:03:59
H.Takano @midwhite

寛大、忍耐、仁恕の崇高に到達した者は甚だ少数だった。何が名誉を構成するかについて、何ら明瞭かつ一般的なる教えの述べられなかったことは頗る遺憾であり、ただ少数の知徳秀でたる人々だけが、名誉は境遇より生ずるのでなく、各人が善くその分を尽すにあることを知った。(新渡戸稲造『武士道』)

2012-10-31 04:51:06
H.Takano @midwhite

哲学と文学とは武士の知育の主要部分を形成したが、それらにおいてさえ彼の求めたものは客観的真理ではなかった。文学は主として消閑の娯楽としてこれを修め、哲学は軍事的もしくは政治的問題の解明のためか、しからざれば品性を作る上の実際的助けとして学ばれたのである。(新渡戸稲造『武士道』)

2012-10-31 23:06:54
H.Takano @midwhite

武士道教育における教課目は主として撃剣、弓術、柔術、馬術、槍術、兵法、書道、倫理、文学および歴史等より成る。能書は我が国の文字が絵画の性質を帯び、したがって芸術的価値を有し、また筆蹟は人の性格を表すものと認められたが故に重きを置かれたのだろう。(新渡戸稲造『武士道』)

2012-10-31 23:13:05
H.Takano @midwhite

【読了】『武士道 (岩波文庫)』新渡戸 稲造 ☆5 http://t.co/of6viAPQ #booklog

2012-11-01 00:28:01
H.Takano @midwhite

武士の教育において守るべき第一の点は品性を建つるにあり。思慮、知識、弁論等知的才能は重んぜられなかった。美的の嗜みが武士の教育上重要なる役割を占めた。それは教養ある人に不可欠ではあったが、武士の訓練場本質的というよりもむしろ附属物であった。(新渡戸稲造『武士道』)

2012-10-31 22:46:36
H.Takano @midwhite

大なる名誉と大なる特権と、従ってこれに伴う大なる責任とを持つに至り、彼らは直ちに行動の共通規準の必要を感じた。殊に彼らは常に交戦者たる立場にあり、かつ異なる氏に属するものであったから、彼らの不行跡について最終審判を受くべき何かの規準が必要だった。(新渡戸稲造『武士道』)

2012-10-30 14:27:00
H.Takano @midwhite

厳密な意味においての道徳的教義に関して、孔子の教訓は武士道の最も豊富なる淵源であった。君臣、父子、夫婦、長幼、並びに朋友間における五倫の道は、経書が中国から輸入される以前からわが民族的本能の認めていたところであって、孔子の教えはこれを確認したに過ぎない。(新渡戸稲造『武士道』)

2012-10-30 15:59:14
H.Takano @midwhite

日本において封建制は12世紀末に源頼朝の制覇と共に興起し、専門的なる武士階級が自然に勢力を得た。彼らは長期間に渡り絶えざる戦闘を繰り返すうちに、怯懦柔弱の輩は自然に淘汰され、最も勇敢で最も冒険的な者のみが生き残った。これが侍の家族と階級とを形成したのだ。(新渡戸稲造『武士道』)

2012-10-30 14:20:57