「日常の謎」という括り方の問題に抗議してみて他の話題にも触れたらこんなことになりました。
@ashibetaku @tadashi_ohta だからこそ「日常の謎」系ってこんなに増えたのかなあ、とも思ったり。人が死んだり警察沙汰になったりしない程度で「日々ちょっと気がついた変なこと」ならいくらあってもおかしくないよな、とか
2012-10-29 01:05:40@777ume777 @Yu_Godai @ashibetaku 商業出版ですから売り手がそうした工夫をすることは否定しません。書き手として、仮にそのネーミングにのってしまってちょっと売れちゃったりした時に、落とし穴に落ちないようにしないとね、って感じでしょうか。
2012-10-29 01:06:50そのやりとりをみてのdk308kkさんのtweetと、それへの自分の反応
北村薫の円紫さんシリーズを「日常の謎」とするのはまあいい。「人の死なない、暖かいお話」とか言う方々は一冊たりとも読んでないのでは、とずっと思っている。
2012-10-29 00:51:10あれらを優しい、暖かいと評するのは何よりも作品に対する侮辱だよ。あんなにも厳しく、残酷で、だからこそ素晴らしい作品をそんな耳当たりの良いだけの言葉で陳腐化することは許せない。
2012-10-29 00:51:46日常の謎ってなんだ。人が死ななきゃ悲劇は無いか? 死ぬことだけが人の苦痛か? ライトにしていわゆるマニア以外にアピールしたいのはわかる。だからといって日常の謎が常に優しく、暖かくある必要はないだろう。
2012-10-29 00:55:04@dk308kk 北村薫作品について、僕も心からそう思います。『ミステリ十二か月』(中公文庫版)解説では、北村作品の「届かざる思い」を描く厳しさと残酷さについて。また、認識の苦痛、知の呪縛を語る苛烈さについて語れれば、と願いました。
2012-10-30 08:53:36@dk308kk 『紙魚家崩壊』(講談社文庫版)解説、特に「溶けてゆく」について は北村薫作品に通底するもう一つの厳しさ、≪時≫の暴虐について語れればと願いました。「あれらを優しい、暖かいと評するのは何よりも作品に対する侮辱」……「とだけ評する」と訂正した上で完全に同意します。
2012-10-30 08:58:04※こちらの二作の文庫版解説を書かせて頂いてます。解説はともかく、本篇が素晴らしいので未読の方はぜひどうぞ。
@sagara1 ツイート拝見させていただきました。やはり、北村薫作品を語る際には過ぎ去る時間や届き得ない思いといった要素も見逃してはいけないでしょう。「日常の謎」というカテゴライズは下手をすればそれらを全て覆い隠しかねません。
2012-10-30 12:36:58@sagara1 かといって、一時流行った?「イヤミス」という呼称も、意味合いこそ逆ですが同様に危険をはらんでいるといえますし、結局は安易な分類分けなどすべきではないのでしょう。
2012-10-30 12:42:21@sagara1 先日の私の発言は芦辺拓氏のツイートを見、日常の謎に関して思っていた点を書きなぐっていたので言葉足らずでした。「だけ」が抜けていたのは完全にミスですし、確かに円紫さんシリーズというのもあまり適切ではありませんね。連投失礼しました。返信ありがとうございました。
2012-10-30 12:46:54芦部拓先生、五代ゆう先生(、柴田よしき先生)へのリプライとやりとり
@ashibetaku @Yu_Godai @shibatay 突然のリプライで失礼します。芦辺拓先生のこちらの発言 https://t.co/XHhW2R8Y からhttps://t.co/G9h43vSN に到る一連のやりとりを見させて頂いていて(続く)
2012-10-30 10:54:27@ashibetaku @Yu_Godai @shibatay 一北村薫ファンとして諸々考えるところ、思うところがあり、少し連投させて頂ければと思いました(続く。以下、「続く」略)
2012-10-30 10:54:51@ashibetaku @Yu_Godai @shibatay 「「昨今では、人の死なないミステリ、特に日常性の中の謎、などといったタイプの作品に出会うと、もうそれだけでうんざりする-----ことが多い」(北村薫『謎物語』中公文庫版p88)
2012-10-30 10:55:00@ashibetaku @Yu_Godai @shibatay まず、北村薫先生ご自身の感覚としてこう描かれている話でもあり、「ホント、そうですね」と思わされます。又、一北村薫ファンとして、自分も以下に書く通り、「日常の謎」という命名に対し非常にネガティブな思いがあります。
2012-10-30 10:55:40@ashibetaku @Yu_Godai @shibatay 《日常を描くことが多い》《人の死が決して軽々しく描かれない》ことは他の目的・特徴があるために結果的に起きている事象であって、そのこと自体を目的としてはいないと思えるからです。
2012-10-30 10:55:49@ashibetaku @Yu_Godai @shibatay 多くの北村薫先生の本格ミステリの特徴は、謎の解決と共に、それ以上の問題として「謎を解く」ことが探偵やその助手、謎に関わった人々にとってどのような意味を持つか」を重視することにこそあると思えます。
2012-10-30 10:55:57@ashibetaku @Yu_Godai @shibatay 多くの北村薫作品においては「謎を解く」ことは探偵役または助手役の成長(《私》(と円紫さん)の物語、英子とベッキーさんの物語、覆面作家シリーズ他)、
2012-10-30 10:56:05@ashibetaku @Yu_Godai @shibatay あるいは残酷に流れる《時》と人との和解(あるいは決して和解できなくても認め、受け入れること。『時と人』三部作、『ひとがた流し』他)と不即不離の関係にあります。
2012-10-30 10:56:15@ashibetaku @Yu_Godai @shibatay 繰り返しになりますが《日常を描くことが多い》《人の死が決して軽々しく描かれない》のは《少女の成長や、《時》と人の和解の過程として受け止めるのに社会や歴史を揺るがすような事件や人の死はしばしばあまりに重いから》であり、
2012-10-30 10:56:25