新撰組の話から派生した会話まとめ。

まとめ。
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神無月久音 @k_hisane

ちなみに、多勢に無勢について、石舟斎は「答え③ どうしようもない。現実は非情である」と答えたわけですが、これについて、十兵衛が「多勢と仕合する時ってどうすんの?」と宗矩に聞いた答えが、「月之抄」に載ってるので砂。

2012-11-04 03:53:17
神無月久音 @k_hisane

【多敵ト仕合心持之事】 「亡父(石舟斎)ノ録ニ理なし。老(宗矩)云、多セイニ無セイならぬ也。然レとも、知テとへ仕なしの心もある也。拾人きり掛ルトモ、一方より追い懸ケ、出タラン敵ヲ打テ取心持也。タセイモ、一人ト成仕懸心持専也」

2012-11-04 03:59:21
神無月久音 @k_hisane

毎度のように超訳すると、「そもそも多勢に無勢になるような仕合とかすんな。でも、どうしようもない時は、走って逃げて、突出してきた奴を切れ。こうすれば、多勢相手でも一対一で戦えるから」ということで砂。「一対多」は避けるべき、というのは親子して一貫してま砂。

2012-11-04 04:03:50
神無月久音 @k_hisane

なお、この「多勢に無勢の時は逃げろ」と記した次の項目が、「追懸心持之事」で、その内容が、「走りながら斬ると外しやすいから、捕まえてから斬れ」とか「追い掛け回して疲れさせ、勝手に倒れるまで待て」とか、やたら具体的なのが生々しいで砂。

2012-11-04 04:08:41
神無月久音 @k_hisane

つか、この宗矩の話を読むと、これを思い出したり。元ネタなど当方知らぬでござる(グルグル目で) http://t.co/wHIrZ3rK

2012-11-04 04:12:32
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神無月久音 @k_hisane

しかし、「月之抄」は十兵衛の伝書であると同時に、「宗矩と十兵衛の兵法対話のまとめ」でもあるので、そういう面で見ると、なお一層面白いで砂。創作だと不仲扱いされますが、実際には、こんな会話をするくらいの仲だったわけで、結構仲がいいというか、普通に宗矩のいうことを聞いてる感じで砂。

2012-11-04 04:42:00
我乱堂 @SagamiNoriaki

まー、現実的に多人数相手に斬り合いとか無理だろうなあと。そりゃあ同士討ちが怖いから一斉に斬りかかるとかできないけど、正面二人が斬りかかって動きを封じたところを背後からばっさり…ですんじゃうもの。

2012-11-04 09:25:21
我乱堂 @SagamiNoriaki

もしかしたら先手をとったらあるいは多人数にもある程度は対処できるかもしれんけど…「先」をとるというのが武術の要訣だものなあ。多人数側の態勢が整わないうちに大声上げて切り込んだり離れたり、両手に刀もって無茶苦茶に振り回したり…吉川武蔵の一乗寺下がり松だな……。

2012-11-04 09:28:03

2:道場・流派の差についての話

みんみんぜみ @inuchochin

当時の何人かの回国修行者の日記を見ると有名道場と言っても大した事がなかった。 みたいな記録が多いですよ。RT @k_hisane: 略)なりを受けてるので、そこそこだったとは思いますが、講武所や三大道場の師範級と比べると、いくらか落ちただろうなと @sweets_street

2012-11-04 04:56:19
みんみんぜみ @inuchochin

結局、有名道場とは言ってもシナイ試合なので試合慣れやルールもあるし、構武所についても上覧の際は序列で試合の勝敗決めたりしたりしてたみたい。加藤田や牟田は日記や報告で一部道場について酷評したりしてるし、逆に加藤田神陰も大石神影流修行者から試合用の技と批判されたりしてる。

2012-11-04 05:00:56
みんみんぜみ @inuchochin

新式の道具で互角試合を江戸の有名道場より早く、もしくは同じ頃からやっていた北九州の諸藩の流派から見れば江戸の有名道場といえ特に優れたものではなかったように見える。逆に昔ながらのシナイで構えや技に制限が多い試合をしてた藩から見れば大きなレベル差を感じたかも。

2012-11-04 05:06:34
みんみんぜみ @inuchochin

天然理心流なんかは当初からシナイ稽古してただろうし、場所柄新式の竹刀防具は早めに取り入れているはず。近藤家の弟子では無いけど講武所師範に理心流の人がいるわけだし。

2012-11-04 05:10:18
みんみんぜみ @inuchochin

よく理心流は有名道場の流派より形を重視した実戦剣術、とか書かれてるけど試合稽古重視したらしい記録はあれど有名道場より形を重視したらしい記録が見当たらない。同じような地域に広まっていた甲源一刀流や太平真鏡流、柳剛流と同じような感じだったのでは

2012-11-04 05:15:57
神無月久音 @k_hisane

すると道場ごとの差はあまりなかったというわけで砂。この辺、例えば近藤と男谷精一郎でも、然程腕前に差はなかったんでしょうか喃 @inuchochin 当時の何人かの回国修行者の日記を見ると有名道場と言っても大した事がなかった。 みたいな記録が多いですよ @sweets_street

2012-11-04 05:21:50
神無月久音 @k_hisane

大石進の例もありますしね。どこであれ腕の立つ人は、場所に寄らず通用したと見てよさそうで砂 @inuchochin 新式の道具で互角試合を江戸の有名道場より早く、もしくは同じ頃からやっていた北九州の諸藩の流派から見れば江戸の有名道場といえ特に優れたものではなかったように見える

2012-11-04 05:24:34
みんみんぜみ @inuchochin

世代が違うのでなんとも。実はかなりあったかもしれませんしw RT @k_hisane: すると道場ごとの差はあまりなかったというわけで砂。この辺、例えば近藤と男谷精一郎でも、然程腕前に差はなかったんでしょうか喃 @sweets_street

2012-11-04 05:27:44
神無月久音 @k_hisane

まあ、この辺の、直接やりあった記録のない人間同士を比べて云々するのは、「宗矩と武蔵はどっちが強かったか?」てな話と同じなので、微妙なのですが、幕末当時だと、各道場は結構交流もあったわけですし、そこで達人として名前が上がっていたかどうかは、腕前を推測する要素としては有りかと。

2012-11-04 05:28:49
みんみんぜみ @inuchochin

大石進の方が江戸の剣術に影響を与えてますしね。 RT @k_hisane: 大石進の例もありますしね。どこであれ腕の立つ人は、場所に寄らず通用したと見てよさそうで砂 RT 新式の道具で互角試合を江戸の有名道場より早く、もしくは同じ略

2012-11-04 05:29:27
神無月久音 @k_hisane

ですね。書いてから後で、なんか違うな、と。すいません @inuchochin 世代が違うのでなんとも。実はかなりあったかもしれませんしw @sweets_street

2012-11-04 05:30:25
ちていのき @baritsu

神道無念流が胴に隙があったように、流派ごとに竹刀稽古の特徴はあったんでしょうかね。その辺で弱点見抜くとかなり有利になったと思うけど RT @k_hisane: すると道場ごとの差はあまりなかったというわけで砂。 @inuchochin @sweets_street

2012-11-04 05:30:53
神無月久音 @k_hisane

伝書か何かで、どこそこ流相手の時はこうするように、という話があったような記憶があるのですが、うろ覚えでアリマス。むう。 @baritsu 神道無念流が胴に隙があったように、流派ごとに竹刀稽古の特徴はあったんでしょうかね。@inuchochin @sweets_street

2012-11-04 05:34:18
ちていのき @baritsu

例の所に少し出てますね http://t.co/Ta4oTdSp RT @k_hisane: 伝書か何かで、どこそこ流相手の時はこうするように@inuchochin @sweets_street

2012-11-04 05:37:18
みんみんぜみ @inuchochin

いくつか見たことあります。柳剛流は全身どこでも打ってくる、とか一刀流は下段から突く、直心影は上段からうつ、とか。 RT @k_hisane: 伝書か何かで、どこそこ流相手の時はこうするように、という話があったような記憶があ @baritsu @sweets_street

2012-11-04 05:37:49
神無月久音 @k_hisane

おお、ありがとうございます。やっぱ結構あったみたいで砂。 @baritsu 例の所に少し出てますね http://t.co/0C0zFpq4 … RT: 伝書か何かで、どこそこ流相手の時はこうするように @inuchochin @sweets_street

2012-11-04 05:39:46