江本伸悟さん 渦について等

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江本伸悟 @shingoemoto

その人が既にはっきり言葉に落とし込めていることよりも、その人が未だ言葉に落とし込めていないことにこそ、耳をすましたい。何度も同じような言葉をつかい、しかしそうして言葉を積み重ねても要領を得ないような、そうした未成熟の言葉端の奥には、得てしてその人の生の戦慄が隠れている。

2012-11-02 18:01:07
江本伸悟 @shingoemoto

渦というのを少し物理学らしい言葉で定義するなら、それは歪んだ場であるといえる。歪んだ場というと曖昧な定義に感じるが、歪んでない場というのは例えばスカラーポテンシャルのグラディエントとして明確に定義できるので、そこからの歪みを考えると、渦を数理的に考える際の良い土台となる。

2012-11-02 23:27:24
江本伸悟 @shingoemoto

日本というのは「厚みのある境界」を持った文化だなと思う。領地の内外を隔てる壁には、しかし軒下があって、そこでは内と外の区別は曖昧になる。庭というのは自然と家屋の狭間体であるし、縁側というのは家の外とも中ともいえない。ドアではなく襖という、薄くて所々に穴の空いた境目を用いる。

2012-11-02 23:51:40
江本伸悟 @shingoemoto

此処の世界のうちに如何にして彼処の世界を呼び込むのかということが、古来よりの人々の関心事であったように思う。そこには何らかの媒介者が必要となる。「柱」は天と地をつなぐ媒介だったろうし、「門」はそれをくぐることで奥の世界へと飛び込むための媒介だっただろう。

2012-11-03 00:18:00
江本伸悟 @shingoemoto

渦というのも此処の世界に彼処の世界を呼び込むため用いられる媒介であったことは、様々な歴史的物語あるいは遺産をみていても想像に難くない。國生みの物語ではイザナミとイザナギが柱の回りを周るシーンがある。柱もさることながら、この周り渦巻くという行為も、この物語における媒介者のひとつだ。

2012-11-03 00:21:44
江本伸悟 @shingoemoto

あの世とこの世の人々が再会を果たす儀式である盆踊りにおいて、その踊りの中心に建てられた矢倉は「柱」の役割であるだろうし、人々はその柱の回りを周りながら踊り、ここでも渦巻きが現れる。日本においてあの世の住民=死者というのは神であるけど、神を呼ぶにあたってこうした渦巻きが用いられる。

2012-11-03 00:31:02
江本伸悟 @shingoemoto

例えば象形文字のように、人々は形や文様の中へと様々な意味を込めて、それを記号として扱う。記号というのは通常恣意性をもっていて、どの形がどの意味を担うのかというのは、地域や文化によって違う。しかし、柱や門や渦という形に対しては、地域と文化を超えて、そこに共通の意味が宿されている。

2012-11-03 00:37:42
江本伸悟 @shingoemoto

こうして世界に散らばる人々が、渦巻きという文様の中に共通して託してきた意味はなんなのか、あるいは渦巻きのなかに感じてきた意味はなんなのか、ということを物理的な視点も踏まえて解説している本があれば読みたいだけどなぁ。

2012-11-03 00:41:08
江本伸悟 @shingoemoto

例えば、國生みという始原の物語において渦が登場すること、盆踊りという出現の儀式において渦が登場すること、そこには渦が持っている乱れと秩序を、無と有を、ミクロとマクロを、モノとコトを介在する特性が無関係ではないだろう。こうした物理的特性は、もちろん物理学として研究できる。

2012-11-03 00:45:31
江本伸悟 @shingoemoto

むしろ渦の持つこうした媒介的特性が、物理学として定式化できるような客観的なものだからこそ、渦という記号は、地域と文化を超えてら共通の意味をそこに携え得るんだと思う。

2012-11-03 00:47:48
江本伸悟 @shingoemoto

ハミルトン力学系というのはモノ=エネルギーの傾きに対して直交する向きに運動が生じるような力学系であって、エネルギーはハミルトニアンとして、直交運動はシンプレクティック作用素として表現される。

2012-11-03 00:57:19
江本伸悟 @shingoemoto

渦巻きにしろなんにしろ、なんらかの構造を考えるときには、その構造を支えている不変量に着目するのが、ひとつの作法だ。

2012-11-03 01:00:00
江本伸悟 @shingoemoto

こうした不変量というのは通常はハミルトニアンに関連して捉えられるのだけど、なかにはハミルトニアンとは全く無関係に、シンプレクティック作用素との関係のみによって定まる不変量がある。こうした不変量をカシミールと呼ぶ。

2012-11-03 01:00:56
江本伸悟 @shingoemoto

例えば捩じれや絡みやくねりの指標であるヘリシティはこうしたカシミール不変量として捉えられることが分かっている。こうしたヘリシティの保存をひとつの制約として変分問題をとけば、そこに渦巻きの構造が現れる。この辺りは時に非線形固有値問題に帰着したりしてなかなか難しい。

2012-11-03 01:04:42
江本伸悟 @shingoemoto

量子力学というのは、電子がもつ波と粒子の二面性、あるいはコトとモノの二面性をどう捉えるかという大きなチャレンジであった。そうした流れのなかで見出されたひとつの数学的構造にヒルベルト空間という構造がある。

2012-11-03 01:09:59
江本伸悟 @shingoemoto

ヒルベルト空間というのは非常に抽象的な空間で、そこには波のイメージも粒子のイメージもないのだけど、これは数列の住む空間として表現すれば、それは粒子のイメージに、関数の住む空間として表現すれば、それは波のイメージに辿りつくだろう。

2012-11-03 01:11:18
江本伸悟 @shingoemoto

ヒルベルト空間自体はきわめて抽象的なのだけど、それをある側面から描けば粒子のように、ある側面から描けば波のように現れるというのは、たしか固有値問題30講かなにかに載っていて、なるほどなと感動した話だったが、この辺りのことについてはもう少しきちんと勉強したい。

2012-11-03 01:13:33
江本伸悟 @shingoemoto

そうして今でてきた固有値というのも、波と粒子、コトとモノを結びつけるさいに重要なアイデアだ。シュレディンガー方程式では電子はまずは波として描きだされる。しかしこうして波として描かれた電子の中に如何にして粒子を見出すか。そこに固有値を通じた量子化というアイデアが出てくる。

2012-11-03 01:15:33
江本伸悟 @shingoemoto

境界、あるいは場のポテンシャルによって与えられるアイデンティティという話として、物質波の固有値問題を捉えてみると、なかなかおもしろい。

2012-11-03 01:21:21
江本伸悟 @shingoemoto

特に非線形波動であれば、波動の存在自体がそこにポテンシャルを作り出し、そのポテンシャルが波動をモノ(ソリトン)へと変容させていく。コト=波の存在が場のポテンシャルを変容させ、そのことが自らをモノ=ソリトンへと変身させていく、ここに、コトから如何にしてモノが生じるかのヒントがある。

2012-11-03 01:24:10
江本伸悟 @shingoemoto

僕は色々と事情があって、物理学は全て自学自習なので、おなじ量子力学を勉強していても、善くも悪くも通常のパスとは違うパスからそれを勉強してしまっている。それはそれでいいんだけど、やっぱり大きな知識の偏りがあるのは良くないので、地道にきちんとした視点からの勉強も続けていきたい。

2012-11-03 01:27:18
江本伸悟 @shingoemoto

@homahomahoma ありがとうございます、いつか渦の思想、火の思想などを纏めて、文章書きたいなぁとは思っています!いろいろ書きたいことはあって、本もいつか書きたいなぁと思ってるんですが、でもいざ一冊書くとすると、大きな軸がないんですよね(汗)今度アドバイスお願いします笑

2012-11-03 01:37:01
江本伸悟 @shingoemoto

カタツムリのことをマイマイカブリと呼ぶ地域があるが、この「マイ」は「舞い」であって、ある中心を旋回して渦巻くことを意味する。舞いというのはその意味で、中心をもった渦巻きの体現作法でもある。そしてこの舞いをもって、人々は神との交流を深めてきたことは、既に盆踊りの例を出した。

2012-11-04 23:50:31
江本伸悟 @shingoemoto

「舞い」によって神との交流を深めるといえば神楽が思い出される。天岩戸の神話においては、日本最古の踊り子であるアマノウズメが、アマテラスの隠れた岩戸の前で「楽(アソビ)」をする。ここで楽(アソビ)というのは「舞い」であって、神楽という言葉は「神の楽び=神の舞い」を意味している。

2012-11-05 00:05:11
江本伸悟 @shingoemoto

神が舞うことを神楽び(カミアソビ)と呼ぶいっぽうで、神と舞うことを神遊びと呼ぶ地域がある。神が楽び、人が遊ぶ、神が舞い、人が舞う、そうして神と人とが渦巻き、交わる。神と交流すること、それは神と遊ぶことであって、神と舞うことであって、神と渦巻くことであったのだろう。

2012-11-05 00:14:44