- isitspring
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(比較的連続したツイートの最後の方)
《日常/非日常》に関して言うなら、知的生産そのものが《日常》では、もはや問題に答えられないんじゃないか。言説の詩的要因に注目するとは、その《非日常性》みたいなものに注目することではないんですか。
2012-11-05 10:55:25(10時間ほど時間)
ひきこもり経験についてのご質問で、定番のものはいくつかありますが、――なかでもよくあるのが、「ひきこもってたあいだ、何をしてたの?」というもの。
2012-11-05 20:28:14本当に深刻な状態では、「何もしていない」としか、言いようがない。極端にひどい時間では、記憶そのものが蒸発しています。言葉にしようとすると、絶句するしかない。(以前はネットもゲームもなかった)
2012-11-05 20:29:01(元気になってくると、時間経過の間隔がよみがえってきます。キツイ状態では、時間が流れた感じがしない。つねにぜんぶ蒸発し、《永遠の現在》に立ち返る)
2012-11-05 20:35:24《クラッチがないのに、アクセル踏むのをやめられない》。 饒舌になったりもしますが、すべてエンジンの空ぶかし。周囲に、ぜんぜん繋がっていかない。
2012-11-05 20:36:17よく使っていたのは、「24時間オン」「洗浄強迫」の喩えでした。 http://t.co/V2hYlXxS ▼元気なかたにとっては、「仕事をしているのがオンで、休日はオフ」なんだと思います。だから、「おれも引きこもりたいなぁ」とおっしゃるのでしょう。
2012-11-05 20:40:33ところが、再起不能なほど引きこもった状態では、24時間安らげない。▼だから、適切な労働環境に入れた多くの方は、「ひきこもっていたときより、今のほうがずっとラク」とおっしゃいます。周囲に歯車がつながり、承認される時間ができたことで、《OFF》ができたのです。
2012-11-05 20:44:04私は長いこと、仕事終わりの「お疲れ様でした」を聴くたびに、感動していました。それは、「その瞬間までは、あなたは仕事をしていましたよ」という合図であり、「今からは、OFFですよ!」という、宣言だからです。しかも、ONもOFFも、承認されている!
2012-11-05 20:48:35ひきこもり状態については、《スイッチを切ることができない依存症状態(それゆえに、適切にスイッチを入れることもできない)》――という理解のほうが、いろいろ適切かもしれません。
2012-11-05 20:53:12洗浄強迫の人は、「自分」も「お風呂」も汚すぎて、いちどお風呂に入るとぜんぶ洗わずにいられないので、8時間ぐらい入り続けて、ヘトヘトになる。すると適切に入浴できず、3ヶ月もお風呂に入らなかったりする(不潔恐怖なのに)。――お風呂に入るのが、「オオゴトすぎる」のです。
2012-11-05 20:56:47いっぽう元気な人は、カビだらけの浴室に、垢だらけの体で、平気でいられる。だから毎日入浴できて、けっこうきれいだったりする。――不潔恐怖の人は、お風呂に入れません。話が逆転しています。
2012-11-05 20:58:11今のお話で、お風呂を《社会》、不潔さを《失敗・不正》と考えてください。▼社会(お風呂)が汚いと感じると、こわくて入れません。強迫的に不正や失敗(≒不潔さ)を気にすると、入ろうとするだけでオオゴトになりすぎて、けっきょく社会参加(≒入浴)できません。
2012-11-05 21:05:50この人は、「絶対に失敗したくない」「きれいなままに保ちたい」と思うがゆえに、人生そのものを失敗にしてしまう――周囲にひどい負担をかけながら。
2012-11-05 21:08:19ようやく就労に復帰する人は、主観的に気合が入りすぎたり(文字通りガチガチ)、いきなり過労状態になったりしがちですが、「勝手に暴走してつぶれてしまう」という状態は、世間的には「甘え」でしかない。
2012-11-05 21:11:58こう考えると、「ひきこもる意識」そのものを、労働のフレームで考え直したほうが、よいと思うのです。依存症でやめられない、とか、「オフをうまく作れない」とか。(勝手に暴走してるだけの意識を仕事枠で理解するのは、心理的抵抗が大きいと思いますが…)
2012-11-05 21:15:48私が意識そのものを労働や動詞のフレームで考える提案をしているのは、以上のような理由でもあります。 http://t.co/IWBKsbHD (実体化してしまうと、「作業工程としての意識」を、ぜんぜん論じられません)
2012-11-05 21:25:16