ETV特集「原田正純 水俣 未来への遺産」書き起こし・まとめ

2012.11.4放送のETV特集「原田正純 水俣 未来への遺産」自分用のまとめです
環境
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mai @jrmmnisi
ETV特集「 原田正純 水俣 未来への遺産」
まどママ @mama_jp
今更ながら、原田正純先生の水俣病のドキュメントを観ている。人の健康なんてそっちのけで儲けたい人間がいる限り、世界中に様々な健康被害がで続ける。被害者はいつでも弱い立場の人たち。
mai @jrmmnisi
原田正純http://t.co/5q42AOm3熊本大学医学部で水俣病を研究、胎児性水俣病も見いだす。水俣病と有機水銀中毒に関して数多くある研究の中でも、患者の立場からの徹底した診断と研究を行い、水俣病研究に関して詳細な知識を持った医師でもあった。2012年6月11日死去
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【ETV 原田正純1】原田氏「水俣病という病名が人々の記憶から消えても、この事件はずっと続くと思いますよ。」「初期の、あの惨憺たる状況を見てしまった責任というのがあって…。」
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【ETV 原田正純2】水俣病患者の金子雄二さん、57歳。若い頃は歩けたが40歳になるころから歩けなくなり、5年前から家中でも車いす生活。金子さんの母は夫を劇症水俣病で亡くし、長男も小児水俣病に。次男は産後数か月で死亡。雄二さんは三男。幼児期から症状、当初は脳性麻痺だと言われていた
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【ETV 原田正純3】昭和37年、原田さんは金子雄二さんたちが母親の胎内で水銀に侵された「胎児性水俣病」であることを熊本医学界総会で発表。毒物が胎盤を通ることを実証したのは人類初めてのこと。医学界の常識を覆した。
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【ETV 原田正純4】ドキュメンタリー映画「不知火海」(土本典昭監督・昭和50年)に胎児性水俣病の患者から話を聞く原田さんの姿。
まどママ @mama_jp
映画「不知火海」の一場面。海を前にした患者の少女と若かりし原田医師。少女が訊ねる「あたまのしゅじゅつ」「頭の手術がされんのかってね?誰から聞いた?」「じぶんでそうおもった」「頭の手術をする病気はね、死んでしまう病気なの…だからね…頭の手術はせんほうがいいじゃろ?」(続
まどママ @mama_jp
原田医師「誰かに聞いたんじゃないの?」「自分でおもった」「手術するとね、またそことっちゃうでしょ?とっちゃったとこがまた…悪くなっちゃうからね。だから、手術じゃなくてね…訓練して上手にならなしょうがない」「自分でも自分で分からん」「自分のこと?今から先のこと?」嗚咽する少女。
まどママ @mama_jp
脳の手術をすれば、自分の病気が治るかもしれない…微かな望みを抱き、医師に問う少女、それをやんわり否定しなくてはいけない医師。「自分で自分が分からん」、少女の言葉。どうしてこうなったのか、どうしていけばいいのか。どこにも答えがない。ただただ、嗚咽する少女の泣き声が耳を離れない
mai @jrmmnisi
【ETV 原田正純5】原田氏「医学に対して患者たちが浴びせかけたのは、治らない病を前にしたとき、医学・医療は何ができるのか、という問いかけ。世の中には直しきれない病がいっぱいあるわけで、そういう病と向かった時、医者は何をすべきか。すごく重い問いかけ。何をしたらいいんだろう、と」
mai @jrmmnisi
【ETV 原田正純6】原田さん「患者たちは治してくれ、とは言わない。自分の病の事を、よく知ってるわけ。だけど、痛みとか苦しみとか悩みとか、聞いてくれる人がほしい。そういう存在の意味はあるんですよ。」
mai @jrmmnisi
【ETV 原田正純7】昭和31年、水俣病は公式確認された。チッソの工場排水によって引き起こされた有機水銀中毒。しかし、その後も12年間チッソは排水を流し続け、行政も有効な対策をとらなかった。昭和43年、国はようやく水俣病を公害病として認める。
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【ETV 原田正純8】昭和44年、水俣病患者28世帯112人による最初の訴訟(水俣病第一次訴訟)。それまで、わずかな金額の見舞金で解決したことにされていた患者たちが、チッソに損害賠償を求めた。原田さんは医師の立場で法廷に立ち、患者の実態を説明したり証言したりした。
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【ETV 原田正純9】原田さん「はっきり言って、こういうのは病気というよりも、むしろ人間がつくったひとつの犯罪なんだ、と。やっぱり殺人。そこを、食物連鎖を通して、脳のどこをやられて、今どんな症状がある…と説明するのは非常にむなしいという気もちがした」(昭和48年「わが内なる水俣」
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【ETV 原田正純10】水俣病と認められるためには、患者自らが申請しなくてはならない。それを判定するのが認定審査会。第一次訴訟で患者側が勝訴すると、認定を申請する患者が急増。しかし、認定審査会では「症状が国の基準に満たない」として、棄却が相次いだ。
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【ETV 原田正純11】水俣病の特徴的症状、視野狭窄、聴力障害、感覚障害、運動失調。こうした症状が複数揃わないと、審査会は水俣病とは認定しない。ただ個人によってばらつきがあり、複数揃う人はわずかしかいなかった。現在までに申請した2万9千人のうち、認定されたのは1割にも満たない。
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【ETV 原田正純12】原田さんは審査会の姿勢に疑問。医学的な厳密さを追及するばかりで、患者救済を考えていない、と感じた。「ある要点だけを確認したら、さっさと救済していってもよかった」「患者が押し寄せたのは、10年間行政が何もしなかったことのツケ。患者には何も責任がないこと。」
mai @jrmmnisi
【ETV 原田正純13】原田さん「私は患者さんやチッソ労働者の人たちとつきあっていたから、刺激を受けて目が覚めた。これが、もし大学病院の研究室にじっとして、定期的に来て市立病院で患者さんを見てただけじゃ、わからなかった…と思うと、ぞっとする。」
mai @jrmmnisi
三井三池三川炭鉱炭じん爆発 http://t.co/P2Yc59Fm 1963年(昭和38年)11月9日午後3時10分頃に、炭塵爆発が起きた。当時、坑内は1,200人以上の労働者が従事しており、死者458名、一酸化炭素中毒(CO中毒)患者839名を出した。
mai @jrmmnisi
「炭鉱には炭塵爆発事故の可能性が常にあるにもかかわらず、当時は三池炭鉱に限って炭塵爆発事故など起きるはずがない、実際に何十年も起きていない、などといった、ある種の『安全神話』のようなものがあり、加えて三池争議の結果、三井鉱山がコストを最優先」…今も昔もそう変わらないのか。
mai @jrmmnisi
【ETV 原田正純14】三池炭鉱事故での一酸化炭素中毒の患者を40年間にわたって追跡調査をし、後遺症が長く続くことを突き止めた原田さん。「戦後の高度成長を遂げていく中で、いわゆる技術開発、経済優先の政策は、戦前の植民地を失って国内に帰ってきて経済成長させようとした。」
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【ETV 原田正純15】原田さん「チッソも三池も構造はものすごく似ている。片方は公害、片方は職業病、だけど基礎にあるものは同じ根であると私は思う。」三池炭鉱事故で、会社は「後遺症はほとんどない」、と説明。労働災害補償を3年で打ち切られた患者もいた。
mai @jrmmnisi
【ETV 原田正純16】南米ブラジル、アマゾン川の水銀汚染現場。金採掘のため砂金製錬で水銀を使い、中毒症状になる住民。貧しさゆえに被害が拡大。採掘現場で使われた水銀は川に垂れ流され、魚介の汚染や下流住民への影響も懸念されている。原田さん「水銀の怖さを知ってもらうことから始まる」
mai @jrmmnisi
【ETV 原田正純17】ベトナムで枯れ葉剤の影響を調査する原田さん。「先天異常が多発していることが問題。水俣でもそうだが、弱者が一番の被害を受ける。ここでは少数民族の人たちが森に逃げて枯れ葉剤でやられ、水を飲み、自然の野菜、木の実を食ベているこの人たちが、一番の被害を受けている」
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