『蛹』

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@lowen_lowe

『send up』 短い電子音声が聞こえたのが最後、その後の数秒間は何が起こったのかわからない。視界は真っ白、何も聞こえない。上にわずかな青が見えた気がした。空か……彼が落ち着きを取り戻すためには、更に数秒が必要だった。「大尉殿」肩に手がかけられる。振り向くと連絡士官がいた。

2012-11-11 00:55:20
@lowen_lowe

「ここは安全ですよ。もっとも、我々の間でも、解っていて取り乱すものばかりでして……」苦笑しながら手をどける。その仕草は柔らかかった。大尉と呼ばれた男は、髭面をしかめながら咳払いをして、驚愕の表情を元に戻す。「まさか」薄れゆく白を背景に、まだ上ずった声で言った。「ここまでとは」

2012-11-11 00:58:13
@lowen_lowe

ポリカーボネイトの窓を真っ白に染めたのは煙だった。カタパルトを加速するために充填された液体火薬の名残だ。1kmにわたるロンチ・レイルにセットされた3機の迎撃機を5秒でマッハ2まで加速するための、多薬室・マスドライバ、それが轟音と衝撃の正体だ。青空に、三つの点が白線を曳き昇っていく

2012-11-11 01:02:09
@lowen_lowe

彼が見た観測室の窓は、実際にはCRTモニタ程度のサイズでしかなかったのだが、それでもその迫力は彼を圧倒した。基地どころか、景色がすべて白で満たされていく様は、赤外線輻射で簡単に探知されるだろうという懸念など一瞬で吹き飛ばす。彼が硬直していた数秒の間に、迎撃機はあんな場所にいるのだ

2012-11-11 01:05:19
@lowen_lowe

「これは、パイロットは耐えられるのか?」彼の質問に連絡士官は何気なく応じた。「耐えられない場合もあります」「まさか」「強化手術が進んだ今では事故率は低下しました」淡々と紡がれる言葉を、彼は胡乱な思いで聞く。これが、我が国が導入しようとしている迎撃システムなのか、と

2012-11-11 01:07:42
@lowen_lowe

なにしろ爆撃機が飛んでくる。マッハ2で2万メートルをだ。早期警戒レーダーで探知はできるが、ばらばらに突っ込んでくるからたちが悪い。巨大な機体は強力なECMを積んでいる、ミサイリアで迎撃するのが困難だ。だから見失う前に機載レーダでバーンアウトできる距離まで接近しようとした

2012-11-11 01:16:24
@lowen_lowe

そのためには猛烈な加速力のある戦闘機が必要だ。しかしそんな燃料とエンジンを搭載すれば巨大化してしまう。加速システムを機外に設けることにした。海の向こうの友好国が凄いカタパルトを実用化したから、それを導入すればいいと、軽く考えて、調査団を派遣した。だが実物はこの有様だ

2012-11-11 01:18:45
@lowen_lowe

テストパイロットの自分は一体どうなる?乗れるわけがない。「核弾頭つきのSAMで迎撃するよりマシだ」上官の意見に彼は素直に賛成できなかった。無人戦闘機でも打ち出すものだという想像は、たやすく打ち破られた。この国の空軍は、本気を超えてで全てを守りきるつもりだったのだ。

2012-11-11 01:20:36
@lowen_lowe

「試験搭乗は無理そうだな」げんなりしそうになる心を必死になだめすかし、彼はおどけてみせた。返ってきた答えは残酷。「大丈夫です、多薬室式ですから、加速度の調節ができます。空母並みから、迎撃ミサイル用まで自在です」やはり乗るのか。自分はいずれ改造されるかもしれない。諦念と共に首を振る

2012-11-11 01:23:39
@lowen_lowe

それから案内された格納庫は、どうにも空母のそれに近かった。白く塗られたコンクリートで囲まれ、陽光より白い照明が、いくつものダークグレーの機体を照らしていた。マットな表面処理は耐熱コーティングには見えない。「ステルス処理か?」「いえ、塗料が蒸発して機を守るのです」

2012-11-11 01:26:00
@lowen_lowe

機首と、機体前縁は金属の地肌が丸出しだ。しかしこのどす黒く赤い金属を彼は見たことがない。特殊耐熱合金だろうか。「この機はどれくらいの加速に耐えられるかな」「秘密です。15Gは軽いとだけ」直後、格納庫の壁に設けられたシャッターがアラーム音と共に開き始めた。「さきほどの機ですね」

2012-11-11 01:29:52
@lowen_lowe

「?」違和感を覚え、その正体にすぐ気づいた。色が違うのだ。最初は別の機かと思ったが、形状を見るかぎり駐機してあるのと同じ機種だ。色がまるで違う。マットな質感は消え、金属の地肌がむき出しに。その色合いは明らかにチタン系だった。塗装も蒸発したのだろう。赤黒い前縁だけが不気味に光る。

2012-11-11 01:31:57
@lowen_lowe

「実に素晴らしいフライトだった」その機と共に歩いてくる一団があった。自分の直属上官と、そして調査団のお偉い方たち。それに彼の軍関係者だ。談笑する彼らが何を考えているか、想像するだけで恐ろしい。「大尉、どうだった」少将の階級章をつけた上官が、笑顔で問いかけてくる。

2012-11-11 01:34:21
@lowen_lowe

どう返事したものか迷った。彼らはたぶん、作戦室でモニタに囲まれ、仮想目標を迎撃機が瞬く間に撃破するのを見てご満悦なのだろう。自分はどうだ。率直に言うことにした。「危険が伴います。多くの犠牲の上に成り立つシステムです」周囲の顔が一斉に強張る。何とでも言え、俺は我軍の飛行士の代弁者だ

2012-11-11 01:36:21
@lowen_lowe

「その通りだ。そんなことを今更口にしなくてもよい」憤り露に調査団の将校が言う。「戦況を考えろ。敵は首都を攻撃できる飛行場を確保するぞ」「こんな大掛かりなものが間にあいますか」反論が別の方から来た。連絡士官。「人間が耐える程度のものなら簡単に。修理が容易なようブロック構造ですから」

2012-11-11 01:39:37
@lowen_lowe

信用するのは浅はかだ。人間の使えるような出力で軍が満足するわけがない。まして首都防衛ともなれば、政権は形振り構わないだろう。そして、軍事技術の供与だけでなく、耐用可能な戦闘機もこの国から買うことになる。大金が動く。我々は空軍をこの国に頼ることになるだろう。国内産業は壊滅だ

2012-11-11 01:41:53
@lowen_lowe

「そもそも、お前たちが防空をこなせないから、血税と労働力を大量投入せねばならんのだ。私情を挟むな」勝てない戦争をはじめた連中がよく言う。彼は怒りを爆発させないだけで精一杯だった。「そのあたりにしたらどうです」調査団の一人。「まだ見る箇所がある。大尉、君は君の任務を果たし給え」

2012-11-11 01:45:42
@lowen_lowe

一団が去った後、彼はうなだれた。ベテランパイロットを損耗し、訓練時間を短縮した若者たちが頑張っている。彼らに人工の身体を与え、出撃するだけで危険なカタパルトを使えというのか。憤慨しつつも彼は連絡士官に薦められるままラダーを昇り、コクピットへすべりこんだ。ほとんどベッドに近い座席。

2012-11-11 01:47:57
@lowen_lowe

「耐Gシートもここまで来るとシートなのかベッドなのかわからん。身体はどう固定する?」「専用のスーツを着て搭乗します。ほら、さっきの機のコクピットが開いていますい」大尉はぎょっとした。まるで死体袋にケーブルを大量に突き刺したようなものが、シートに固定されていた。あれが、スーツか?

2012-11-11 01:49:43
@lowen_lowe

「あんまりだ。キャノピもないぞ。ペリスコープは」「熱に耐えられません。センサで敵位置を割り出して攻撃します」つまり肉眼戦闘は考慮していないのか。大出力ECMを相手に?「脱出は」「カプセルです」「マニュアルは」「これです」簡素な作りのスティック、親指で操作するレバーがスロットルか

2012-11-11 01:53:40
@lowen_lowe

「マニュアル操縦での戦闘は考慮していないのだな」「戦闘システムは全て自動ですから」耳を疑った。「センサも兵装も、全てコンピュータが管制します」「……ではパイロットが乗る意味はなんだ」「最終的判断を下すためです。戦闘行動の承認だけはパイロットが行います。決定権を人間が握るために」

2012-11-11 01:55:31
@lowen_lowe

なるほど、あるいはヒューマニズムを最後まで捨てていない戦闘システムかもしれない。しかしそのほかの全てが気に喰わなかった。「高度妨害環境で使う兵器だけのことはあるな。あなた方は本気だ」「ええ。でなければ私も肉体改造など」目を見開く。「きみもパイロットだったのか」「ええ、勿論」

2012-11-11 01:57:01
@lowen_lowe

「実際のところどうなんだ」「バカげた兵器ですが痛快です。病み付きになりますよ」「君も正気ではないな」連絡士官は首肯する。「30トンの戦闘機を3機、ペネトレータ入れて100トンを15G加速、対空砲として使ったほうがよさそうだ」「電磁式なら連続使用できるのですがね」

2012-11-11 02:00:51
@lowen_lowe

苦笑する連絡士官と共にラダーを降りた。再び機を見上げる。マットブラックが気色悪い。次いで帰還した機を。熱した金属が冷めつつあるのか、複雑な色彩を放っていた。毒々しいが美しさがある。「蛹と、蝶か」「我々もあれを『脱皮』とよく言いますね。また戻るのですが」「撃墜されてしまえば蝶か」

2012-11-11 02:03:44
@lowen_lowe

死んで華になる兵器などやはりゴメンだ。格闘戦もできない。帰途、彼は国内の『戦闘機マフィア』を味方につけるために報告書を作成していた。あれは戦闘機ではない、もっと別の存在だ。そう訴えてパイロットを救おうとしたのだ。それが祖国の敗北に繋がるとしても、若者を社会不適合者にするよりましだ

2012-11-11 02:06:05