- Zimmyisfakestar
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段階2「利害調整型」(ブルー)-神の秩序 人生には絶対的他者に導かれた絶対的規範がある/規範を破ると罰が下される/規範に従えば幸せになれる/原理主義的、秩序規範への服従/慣習的、無批判に従順/ピューリタン的アメリカ、儒教的、全体主義、ボーイ・ガールスカウト
2012-11-08 00:11:48段階3「目標達成型」(オレンジ)-科学の達成 群集心理から逃れる/真理及び人生の意味の個人的・科学的追求/仮説演繹的・実験科学的・客観的・操作的/物理的利益の達成を目的とする/共同国家の基礎/経済合理性、自由主義的合理主義
2012-11-08 00:14:38段階4「個人主義型」(グリーン)-敏感な自己 共同体信奉者、人間の繋がり、生態環境への感受性、ネットワーキング/人間の精神は、貪欲・教義・分裂から解放されるべき、感性と気遣い/階級の否定、関係を大切にする/調和、平等主義、多元的価値観、相対主義/ディープエコロジー、ポストモダン
2012-11-08 00:18:06自分があの時期(今年の3月頃)、「エゴが大切なんだ!」って強調していたのは、単純な成果主義的なものや、あるいは「社会貢献」「NPO」のような「なんとなく善だとされるもの」のどちらよりも、「まず一人ひとりの幸せが大事」だとする段階4(個人主義型)に到達したところだったからか。
2012-11-07 23:59:46段階5「改革者型」(イエロー)-統合性 第二層/自分らしくありながら学びつつ、責任をもってフルに生きる/生きることは、自然の秩序、システム、形あるものの万華鏡/存在の素晴らしさ、柔軟さ、素朴さ、機能性/混沌や変化も自然なこと/下位(第一層)の各段階に適切に対応
2012-11-08 00:21:52@symphonicity なるほどー。じゃんぬなんかも言ってましたけど、ハーバーマスの公共性理論なんかは4に近いのかもしれないですね。でも一般的に、2の意味として捉えてるひとも多い気がします。(以前、高野さんとかと公共性について話す機会があってつい、)
2012-11-08 00:33:18@ymasa8 うんうん、ハーバマスの言う「コミュニケーション的行為」も、4の個人主義型の個々人が(相互)了解へ達しようとする志向かもね!
2012-11-08 02:00:23最近の「インテグラル理論」ー「構造構成主義」の流れは、5年くらい前にあった「コミュニティオブプラクティス」ー「ホールシステムアプローチ」の流れと似ている。
2012-11-08 02:21:30エティエンヌ・ウェンガー (著), リチャード・マクダーモット (著), ウィリアム・M・スナイダー (著),『コミュニティ・オブ・プラクティス―ナレッジ社会の新たな知識形態の実践』,翔泳社,2002.
福島真人さんの解説が秀逸な『状況に埋め込まれた学習―正統的周辺参加』http://amzn.to/TFwmLD
個人的に好きな
福島 真人『学習の生態学』 東京大学出版会 2010.
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構造構成主義の「方法の原理」を知ってからは、有効な方法は目的・状況相関的に決まる、という前提で考えることが出来るようになった。ただそうなるとやはり「目的」がとても重要で...そしてその「目的」は個人がどう持とうが自由で、その自由は相互に承認されうるものである必要がある。
2012-11-08 19:50:22ウィルバーの発達段階論を参照に考えると、おそらく今の日本は段階3の「目標達成型」を超えて段階4の「個人主義型」へ移行できるか、あるいはまだ足踏みを続けるのか、その分岐点なんじゃないかと思う。
2012-11-08 19:57:48「個人主義型」というのは日本語のもつイメージとしてはあまり良くない気がする。individualだったら割とポジティブなイメージだと思うけど。「個人主義」(自由と自己責任)というよりかは、「自律した個人一人ひとりが尊重され合う」のようなイメージ。
2012-11-08 20:03:31発達段階論が自分にとっては希望的なのは、「段階3から段階4へ移行(発達)する」としているから。「あー、、なんか新自由主義的でしんどいなー」と感じる場面がだいぶ楽になった。
2012-11-08 20:08:38段階5の「改革者型」は第二層であって、段階4~1までの第一層とは一線を画している。どんな世界/個人を想定してるんだろうか。
2012-11-08 20:11:33さらに付け加えると、そこに「関係性」「コミュニティ」「コミュニティの風土/文化」が価値とされるのではないか。1授業いくら、というようなコンテンツの切り売りは淘汰されていくと思う。
2012-11-08 20:23:35そもそもこれまであった一般的な「塾」も、「授業」というコンテンツと同時に「学習が促進される空間(その空間を創り出す講師の力量)」が価値だったと思う。個別指導にしたって、その指導の「質」よりも「個別であること」に価値が置かれているように感じる。
2012-11-08 20:28:06何を「価値」とするのか。何が「価値」とされるのか。価値とするものをどう変えていくか。こういうのって、芸術/アートなんかが担っている役割なのかも。
2012-11-08 20:32:41教育に関心のある方には特に読んでいただきたい記事ですね。"@symphonicity: カーンアカデミーの記事。日経forbes。サルマンカーンは「やさしいおじさん」か、なるほど笑 http://t.co/b0tbwx8r"
2012-11-08 21:09:03今、公共性と言ったときはただ内容の面にのみ着目しており、1回の特殊な個人的な感想にとどまらず真理や価値などにかかわる内容の発言は公共性がある(もちろん線引きなどできないが)、などと考えている
2012-11-06 08:38:18たぶん、ほんの少しでも公共性を持った発言(これとか)をしようとするときに、発言している自分が肯定されているように、たとえば僕とか自身が感じている状況というのは実はとんでもなく不幸なものなのではないか、と思うわけで、たぶんそのときはもう僕は他者からの無関心の極みの中にある
2012-11-06 08:35:06@miyaji_mayu 平常時には、公共性を持ってくるだろう、と想像しかできませんね、あと、持たせますよと意思表明?ただ災害が起きたところが一方である人たちにとっては働き口(稼ぎ口)となるように、マネーが発生し、
2012-11-06 08:16:39