『花鏡』なう

世阿弥『花鏡』の全文訳です。
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世阿弥なう @zeaminow

プログラムの中盤になって主賓がお越しになった場合は、演目とお客の気持ちにズレが生じるので場がしらけてしまう。こういう時は、まず主賓のために「序」で演じて、その心をつかむのが先決。それから他の観客のために「破・急」に戻すのだけど、大変な割に上手くいかないよ。『花鏡』序破急之事⑥

2012-09-19 00:04:46
世阿弥なう @zeaminow

【再掲】何かの集まりの余興で能を演じる場合、すでに場が盛り上がっていて、静かな能が場の雰囲気にそぐわないことがある。こういう時は、場の雰囲気に合うように「破」の気持ちで軽快に能を演じなさい。そうすれば、もしかすると上手くいくかもね。『花鏡』序破急之事⑦

2012-09-19 22:33:29
世阿弥なう @zeaminow

宴席の余興に出る時も同様で、主賓が遅れて来た際には主賓に合わせて「序」の気持ちで演じ、宴会の終盤から舞い始める時には場に合わせて「急」の気持ちで演じなさい。つまり、大きな公演でも宴席の余興でも「序破急」を常に頭に入れておき、その場に応じて対応しなきゃだめだよ。『花鏡』序破急之事⑧

2012-09-20 00:37:49
世阿弥なう @zeaminow

国宝級の名人芸を習いもしないで勝手にまねてはいけない。芸を極めた名人は、どんな難しい芸でも楽々と演じられる。むやみにまねても、その本質に近づけるわけではない。だいたい名人は7割位に力をセーブして演じるもの。初心者がまねすると、7割で成長が止まってしまうよ。『花鏡』知習道事①

2012-09-20 22:47:16
世阿弥なう @zeaminow

先生が弟子を教える時には、まず100%全力を出しなさいと教えるよね。段々上達した後で、少しずつ動きをセーブしていくと7割の芸が完成するのだ。最初から完成した芸を真似するなんて無理にきまってる。名人から学べるのは、その芸がいかに困難かということに尽きるよ。『花鏡』知習道事②

2012-09-22 01:34:35
世阿弥なう @zeaminow

先生はたいていどんな弟子でも教えはするが、免許については、弟子の素質と心がけが備わっていなければ与えないもの。それは素質もないのに与えれば、額面と中身の釣り合いがとれなくなってしまうから。そうなると免許自体が無価値になってしまうでしょ。『花鏡』知習道事③

2012-09-22 18:20:03
世阿弥なう @zeaminow

名人の境地に達し、免許皆伝を許されるには3つの条件を備えていなければならない。1つめは、名人としてふさわしい実力を手にすることのできる才能、2つめに芸が好きで、そのために全てを費やそうという覚悟。3つめは役者としての生き方を正しく教えられる師匠である。『花鏡』知習道事④

2012-09-23 11:14:28
世阿弥なう @zeaminow

最近の若手の芸は「つまみ食い」になっている。先生が教える順序に従えばオールマイティーな役者になれるのに、むやみに他人のまねをし、その場かぎりの芸に終始している。これでは、たとえ売れても一発屋で終わるだろうし、まして名人の域に達するなんて絶対にあり得ないよ。『花鏡』知習道事⑤

2012-09-23 21:43:11
世阿弥なう @zeaminow

新作ばかり追いかけて旧作を次々に捨ててしまうのも、芸の「つまみ食い」といえる。むしろ自分の得意なレパートリーの中に新作を混ぜていった方がいいね。新作ばかり並べるよりも旧作の中に新作があった方が新鮮さが際立つから。「温故知新」だって孔子先生も言ってるでしょ。『花鏡』知習道事⑥

2012-09-24 23:17:17
世阿弥なう @zeaminow

謡や舞、所作など技術的に優れた役者を「達者」というが、これは「上手」とは別物である。上手とは芸の面白さをしっかり理解し、感動を生むことのできる役者である。だから技術的に優れているのに面白くない役者がいる一方で、未熟でも上手として名の売れる役者もいるのだ。『花鏡』上手之知感事①

2012-09-29 00:11:30
世阿弥なう @zeaminow

「面白い」という感動よりもさらに上の次元には、思わず「あっ」と声をあげてしまうような段階がある。これを「感」という。もはや面白いとさえ意識しない、純粋な無心の感動である。『易経』は「咸」と表記しているが、これは「無心」の感動だからだよ。『花鏡』上手之知感事②

2012-09-29 21:37:51
世阿弥なう @zeaminow

入門から順調に稽古を積めば上手にはなれるだろう。そこに「面白い」という評価を手にすれば名人である。さらに無心の感動を与えられるようになれば、天下の大名人だ。だから能の技を磨くだけじゃなく、どうやって観客に感動をもたらすかをよくよく工夫しなきゃいけないね。『花鏡』上手之知感事③

2012-09-29 21:53:05
世阿弥なう @zeaminow

いつも心掛けておかなきゃいけないことがある。演技は繊細でないと面白くない。かといって緻密過ぎると芸が小粒になってしまう。大胆に演じすぎれば大味で退屈だ。この違いを見極めるのは難しいけどとっても大事なことだよ。『花鏡』浅深之事①

2012-10-10 00:01:56
世阿弥なう @zeaminow

もちろん繊細にすべき所と大胆にすべき所があるんだけど、それは能を深く理解しないと見分けがつかないもの。よく先生に教えてもらってはっきりさせておくべきだね。ただ一般的には、気持ちは繊細に、体の動きは大胆にするのがいいんだ。いつも心に留めておきなさい。『花鏡』浅深之事②

2012-10-10 00:09:39
世阿弥なう @zeaminow

「大は小を兼ねる」っていう通り、スケールの大きな芸は細かな演技も可能にするが、小さくまとまってしまったものを後から大きくするのは無理。大小両面を兼ね備えていれば芸域も広がるから、入る順序を間違えたらいけないね。『花鏡』浅深之事③

2012-10-14 23:17:34
世阿弥なう @zeaminow

「美しいことはすばらしい」とよく言われるが、能においては特に重視されているよ。ただ普通はそこそこの美しさしか演じられないし、観客もそれで満足してることが多い。これはきっと役者も観客も「真実の美」とは何かを知らないからだね。『花鏡』幽玄之入堺事①

2012-10-14 23:27:00
世阿弥なう @zeaminow

美の本質とは、ゆったりとして気品にあふれ、言葉が優雅なことをいう。つまり、謡の美とは優雅な旋律にあり、舞の美は気品ある舞姿と柔らかな所作にあるのだろう。「真実の美」を手にするには、どんな役を演じる時でも、それを心に留めておかなきゃいけないね。『幽玄之入堺事』②

2012-10-15 22:22:18
世阿弥なう @zeaminow

老若男女、貴賤の別に関係なく全ての役を美しく演じられれば、それぞれの役に備わった花を一身に引き受けることができるはず。それには和歌から美しい言葉を学び、貴人の姿から美しい衣装を学ぶなど、研究熱心でなきゃだめ。その気持ちが「真実の美」を咲かせる種になるのだよ。『花鏡』幽玄之入堺事③

2012-10-15 22:34:04
世阿弥なう @zeaminow

往々にして役者は演技のことばかり考えて姿の美しさを忘れているので、いつまでたっても「真実の美」に至らないのだ。「真実の美」を手にできなければ、芸を極めたことにはならないし、名人として称賛されることもない。とにかく常に美しさを心に留めて稽古をつむべきだよ。『花鏡』幽玄之入堺事④

2012-10-16 22:55:29
世阿弥なう @zeaminow

結局、芸を極めるとは姿の美しさを手にすることに尽きる。あらゆる演技・役柄で美しい姿を実現し、完全に自分のものにすることが「真実の美」に至るということだ。何の工夫もせず、ただ何となく美しくなろうとしてたら、一生かかったって「真実の美」は手に入らないよ。『花鏡』幽玄之入堺事⑤

2012-10-16 23:07:08
世阿弥なう @zeaminow

都会で経験を積むと、最新の芸が身につき、名人として認められていくのはよいサイクルである。しかし田舎で活動していると、だんだん最新の芸が失われ、レベルが下がってしまうことがある。これは同じ経験でも悪循環といえるね。『花鏡』功之入用心之事①

2012-10-17 20:24:17
世阿弥なう @zeaminow

都会は観客のレベルも高いので、役者が自覚していなくても観客の反応で芸のよしあしがすぐに分かる。結果として自然と芸が磨かれ、だんだん悪い所がなくなっていく。芸が向上していると思い込んで、実はマンネリ化しているという事態は避けなきゃいけないね。『花鏡』功之入用心之事②

2012-10-17 20:41:31
世阿弥なう @zeaminow

名人と呼ばれる役者でも年をとると芸がマンネリになって、時代遅れになることがある。観客は全然評価していないのに「俺は昔からこうやってるんだ」と昔の芸に固執し、結局老後にもう一花咲かせることができなくなる。気をつけなきゃいけないね。『花鏡』功之入用心之事③

2012-10-18 20:27:13
世阿弥なう @zeaminow

観客から「演技していない所が面白い」と評価されることがある。「何もしていない所」とは謡や演技の間のことである。そこが面白いとは、その瞬間も油断せず緊張感が持続しているからだね。演技を終えても気持ちを切らさなければ、それが観客にも伝わり面白く感じられるのだよ。『花鏡』万能綰一心事①

2012-10-18 20:39:51
世阿弥なう @zeaminow

演技と演技の間でも緊張感を保つ必要があるが、それには無心でいる必要がある。緊張が観客に伝われば「演技をしていない」ことにはならないからだ。心の内を自分にも隠すくらいに無心になりなさい。これが全ての演技をつなぐ心の持ちようだよ。『花鏡』万能綰一心事②

2012-10-19 20:35:08