メモ

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上山和樹 @ueyamakzk

そうすると、その議論じしんとしては「まだ答えは出ていない」かもしれないけれど、努力を始めている時点で、すでにその《努力の設計図》は描き終わった後なので、答え以前に、「どういう努力が続いてしまうか」は、すでに決まっているわけです。 @contractio

2012-11-13 18:43:23
縮限 @contractio

@ueyamakzk そうですね。 私が いろいろ気になっている^_^ 事のうち、上山さんは、 1)何について、 2)誰に対して、 話している[・呼びかけている]のか ……というのは、その筆頭に位置します。

2012-11-13 18:47:55
上山和樹 @ueyamakzk

強迫や常同思考と言わなくても、あるいは本人が苦痛を感じておらず、得意げであっても、《同じパターンの処理を繰り返してしまう》、そのことが、問題のある環境や、誰かの苦痛の共犯者になっている――そういうことを問題にしたいのです。 @contractio

2012-11-13 18:53:30
上山和樹 @ueyamakzk

なるほど。とりあえず直接には、(1)私たちが日常的に反復している努力の方針そのものについて、(2)ご家族や支援者など、周辺に関わる皆さんに、でしょうか。 @contractio

2012-11-13 18:58:15
上山和樹 @ueyamakzk

とはいえいずれも、いろんなお立場のかかわる集団的なことなので、たとえば学者さんやメディア関係者、政策決定者ほか、「無関係な人はいないはず」とも、思っています。(こういう言い方をしてしまうと、揉めやすいのですけれど…) @contractio

2012-11-13 19:00:01
上山和樹 @ueyamakzk

たとえば患者さんは、「専門家言説」を勉強して、詳しかったりします。ところがその専門家言説がそのまま、臨床像の悪化に加担している場合がある。――そういう事情に気づくには、「反復されている努力のありかた」にまで、分析が及ぶ必要があります。 @contractio

2012-11-13 19:04:52
上山和樹 @ueyamakzk

あるいは「○○学」と名前がついていなくても、閉じこもってカチカチの意識は、周囲を巻き込みながら、同じ枠組みでグルグル回っています。(繰り返しますが、あんがい専門家や社会制度も、そこにフレームとして加担しています) @contractio

2012-11-13 19:10:41
上山和樹 @ueyamakzk

これは「学問的に分析して、論文にする」というより、気づいた時点で介入して、目の前でいろいろ工夫して、解きほぐすというような作業になります。(そしてまた、そういう必要に気づいた時点で、すでに変化は起きている。) @contractio

2012-11-13 19:16:33
縮限 @contractio

@ueyamakzk いちおうイメージはつかめたと思います。 さっき言っていた「揉め事」のようなものも、「家族や支援者を中心とする・いろんな仕方で 引きこもりに関わる人たちの間で起こる事」を指している、ということですね。

2012-11-13 19:18:45
上山和樹 @ueyamakzk

ええ。ひきこもりに限りませんが、こうしたテーマを共有しているはずのスタッフの皆さんのあいだでも、なかなか意見の一致を見ないというか。それぞれが「必要な分析」を口にするのですが、いちいち実験で確証するわけでもないですし… @contractio

2012-11-13 19:24:15
上山和樹 @ueyamakzk

論文にするにしても、ディシプリンとの関係が難しいです。お互いの関係や意識の変化は、むしろ「なかったこと」にするべきなのかどうか。その具体的な関係性のうごきと、「研究」との関係はどうなのか。 @contractio

2012-11-13 19:26:45
上山和樹 @ueyamakzk

せんじつ北海道であった日本社会学会で、ひきこもりを研究されているかたが、調査倫理について扱われたそうで、それも注目しています。http://t.co/kyf8g4hB @contractio

2012-11-13 19:32:08
上山和樹 @ueyamakzk

ひきこもりの場合、まさに関係性の困難が中心テーマになりますが、にもかかわらず研究協力が成り立つというのは、そもそも何をやっているのか。その信頼関係は、たんに自明視はできませんが、かといって、《加害-被害》で一方的に語るようなことなのか。 @contractio

2012-11-13 19:34:31
上山和樹 @ueyamakzk

(学者は学者で、アカデミック・サークルに属すための、葛藤の縛りがあるはずです。そっちも同時に扱わないと、問題の構造を扱ったことには、ならないと思うのですね。) @contractio

2012-11-13 19:36:10
縮限 @contractio

@ueyamakzk 支援を中心とした話しであれば1)当該関係者内での振り返りがあり、可能な場合は、そうした経験や知見を2)関連団体が相互に参考にしあう、というふうな順序になりそうな気がするのですが。「研究」や「思想」は どの辺りに関係して来るのでしょうかね(反語ではありません)

2012-11-13 19:38:34
上山和樹 @ueyamakzk

ある信仰を持つ社会学者のおこなった、宗教に関する参与観察で、調査対象者が、その学者の宗派に変わってしまったことがあるそうです。 http://t.co/S8tRaTmN その場合、この参与観察は、失敗なのだそうですね。影響を与えてしまったので。 @contractio

2012-11-13 19:40:51
縮限 @contractio

@ueyamakzk ガタリの話も、 1)ガタリが取り組んでいた病院運営の改革が、自分の支援活動にも参考になるかも。 2)ガタリがその後出版した著作が、そうした病院運営の経験と無関係であるはずはないよね。 …という順序で提示されれば(私にとっては)不思議なところはなにもないです。

2012-11-13 19:42:11
縮限 @contractio

@ueyamakzk ただ──ちょっと話をかえてしまうかもしれませんが──その場合には、「参考になるもの」は他にないの?ということが気になりますが 。まぁそれはさておき。

2012-11-13 19:43:42
上山和樹 @ueyamakzk

おっしゃるとおりだと思います。そして、その「研究」とか「思想」として何をどう扱うべきなのか、ということそのものが、そのつどその場で、スタッフ・ミーティングの主題になるのだと思います。 @contractio

2012-11-13 19:44:41
上山和樹 @ueyamakzk

そこで、「俺は○○理論を知ってる」と、権威者を出して終わらせることができなくて、「じゃあなんでその話をするのか」とか、「わざわざここで経済の話をする必要があるの?」とか。そこでも、分析の方針やテーマ設定をめぐって、常にバトルになります。 @contractio

2012-11-13 19:45:27
縮限 @contractio

@ueyamakzk 他のグループの取り組みがベタに直接に自分のところでも流用できる、ということは普通ないので、なんらかの意味では抽象性を経由することが必要になるようには思います。もしも「思想」という言葉が、その場所に登場するものであるのなら、それは私にも理解できるのですが。

2012-11-13 19:46:05
縮限 @contractio

@ueyamakzk そういうことでもないんですかね。

2012-11-13 19:46:22
縮限 @contractio

@ueyamakzk それは悪夢のようなミーティングですねw

2012-11-13 19:47:30
上山和樹 @ueyamakzk

ありがとうございます。私は今はそういうスタンスですが、そもそも「ガタリ」に興味があるのに、こういう順番で興味をもっていること自体、レアケースのようです。 @contractio

2012-11-13 19:49:00