~Where is The Love?~ハウス・ミュージックにおける“愛”の変遷とその現在
それは基本認識。20年前にそうだったけれど、今日でも、インストでも、「愛」という主題性が根強い理由は? RT @bcxxx: @kentarotakahash ハウスの歌詞の世界は、ゲイの価値観をベースに
2010-08-06 22:07:33@kentarotakahash ダンスフロアに居る現代のノンケの実感としては、ゲイ的な「愛」が、そうでない人にも拡大しているということがあります。共同幻想ですね。それを作り出すための音楽にハウスがなっているということです。というかガラージの時代にももうなっていたのでしょう。
2010-08-06 22:09:04@kentarotakahash 補足ですが、ゲイ的な「愛」は、ゲイ・コミュニティという、外側に向かっては閉じていても、その内部では開かれた関係の世界をベースにしていると認識しています(良く言えば自由恋愛、悪く言えば乱交。)。そこに、共同幻想の構成につながっていく要素があると。
2010-08-06 22:11:26@kentarotakahash ハウスが急速に国境を越えたのは、「踊るための音楽」に徹したからだと思うんですけど、「踊る」というのは、人間の快楽中枢に忠実な行為だと思うので、その快楽中枢を刺激する一番の主題が「愛(エロス)」だから、「愛」なのかなと思います。
2010-08-06 22:05:21.@TBotaku かなり良い答えに思うんだけれど、じゃあ、テクノやドラムンベースはなぜ、愛に向かわなかった? その方が世界規模の成功の道だったのでは?
2010-08-06 22:11:28@kentarotakahash テクノやドラムンベースはソウル・ミュージックだからじゃないですかね?ハウスの「愛」から始まって、テクノやドラムンベースは、「愛」の先にある、人間の根源的何かを求める音楽。だから「宇宙」や「未来」を意識したタイトルが多いし、選択したんだと思います。
2010-08-06 22:31:19@kentarotakahash ドラムンベースはハウスの要素が強いものもあったので、そうしたものは「愛」を歌っていました。そうでないジャングルをベースにしたものは、ダンスホールレゲエ的なマチズムをベースにしていたので、ヤワな「愛」は排除していたのではと。
2010-08-06 22:15:54.@bcxxx 歴史性の部分ではまさに、その説明で理解できるけれど、年月が過ぎて、ダンスミュージックも今や細分化している。若いリスナー/ダンサー/クリエイターは、テクノやダブステップや、その他とな比較選択において、ハウスに参入してきているんじゃないのかな?
2010-08-06 22:22:18@kentarotakahash 例えばグライムの新しい展開として、ファンキーと呼ばれるスタイルがあって、これはよりナンパなお客さんを取り込むソフト化の手段として、UKガラージの原型であったハウスに最接近したものです。あまり興味はないので歌詞はわからないのですが…。
2010-08-06 22:24:31@kentarotakahash で、実際ファンキーの導入で、男ばっかりだったグライムのパーティーに、女性のお客さんが増えまくって今では女性の方が多いぐらいだそうです笑。
2010-08-06 22:26:15例えば、打楽器奏者は陽気な人が多いって話があるよね(もちろん、一概には言えない話ですよ)。それは陽気な人が打楽器を選択する傾向があるからだろうか?
2010-08-06 22:29:56@kentarotakahash ゲイの音楽として始まったハウスは、初期はノンケのために女性が歌うソウル・ミュージックを流用していました。ノンケの個人的な愛の概念を、ゲイコミュニティの中で展開することによって、共同体幻想にまで拡げたわけです。既存の歌に新たな意味を加えた。
2010-08-06 22:35:21@kentarotakahash その「共同体レベルにまで拡大された愛」のベクトルが、さらに広がると、宇宙だとかそういうレベルに達するわけです。共同体幻想から、さらに誇大妄想へ。それがアフロセントリズム的宇宙主義などと結びつく。だいたいそんな歌詞の世界ですね。今のハウスは。
2010-08-06 22:37:00@kentarotakahash ノンケの愛のままだと、個人的レベルからそれ以上拡大しないわけです。しかしゲイコミュニティをベースに、それが共同体レベルへ、さらに普遍的にノンケの一見さんのお客も共有できるものにまで広がった。その開放性が、非マッチョな女性のお客さんには心地いい。
2010-08-06 22:41:21@kentarotakahash ハウスを導入することは(あるいはクラブで他のジャンルでなくハウスをかけることは)、パーティーに開放性をもたらすわけです。それを商業的に利用する運営者や音楽製作者も居るでしょう。その局面において、ハウスの導入は一般化、商業化とイコールになる。
2010-08-06 22:44:12@kentarotakahash なので、ストイックなダンスミュージック、あるいはマチズム的な音楽(女性やゲイなど非マッチョ的な人々の音楽)を商業化・一般化させたければ、4つ打ちやハウス的な女性ボーカルを取り入れることが常套手段になることが予想できます。
2010-08-06 22:47:04セックス含めて享楽的な人が参入してるイメージありますね、ゲイっぽさ全開、というか。 RT @kentarotakahash ということは、真面目に見られなくてもいいってタイプの人が、ハウスに参入してくるのかな? そこが知りたい。RT 真面目に見られなくても平気~
2010-08-06 22:31:09とすると、享楽的な人は、その享楽的なイメージによって、いろんなダンス・ミュージックの中からハウスを選び取ると。でも、もし、そうなのだとすると。QT @techma_japan セックス含めて享楽的な人が参入してるイメージありますね、ゲイっぽさ全開、というか。
2010-08-06 23:07:47@kentarotakahash 「享楽」にも色々あって、たとえばドラッグをきめてダンスしてトランスしたい、というような人にとっての「享楽性」はハウスには希薄だと思います。もっと「愛」を軸に据えた、対人的・情緒的な快楽がハウスにはあります。
2010-08-06 23:18:05@kentarotakahash 享楽的な人はそうでしょうが、そうでない人に対しても、ハウスは最も「開かれている」音楽スタイルなんだと思います。ギャル雑誌のモデルが片手間にやっているようなDJは、ハウスが多いですね。もちろん軟派なボーカルハウス。
2010-08-06 23:11:49だとしたらそれは、どんなリズムが自分にとって踊れるかとか、どんなサウンドが自分にとって快いとか、というのとは違う判断だよね。ダンス・ミュージックというのは、そこの部分の音響的な訴えかけに本質があるんじゃなかったのだろうか?
2010-08-06 23:12:04