~Where is The Love?~ハウス・ミュージックにおける“愛”の変遷とその現在
これは重要な指摘に思える。QT @bcxxx @kentarotakahash ゲイの音楽として始まったハウスは、初期はノンケのために女性が歌うソウル・ミュージックを流用していました。ノンケの個人的な愛の概念を、ゲイコミュニティの中で展開することによって、共同体幻想にまで拡げた〜
2010-08-06 23:13:43.@bcxxx が、だとしたらハウスが「愛」を強調するのは、ゲイ・カルチャーをベースにしているから、というよりは、そのことによる閉鎖性を中和するためだったと言えるのではないかな? ゲイ・コミュニティーの内側に向かう「愛」ではなく、ユニバーサルな「愛」を前面に出したのは。
2010-08-06 23:16:13@kentarotakahash ハウスの「愛」の強調は、やはりゲイカルチャーのためのもので、今でもそれをベースに、ノンケを巻き込んだ擬似的共同体を一晩かけて構成することを目的としていると思います。ユニバーサルな「愛」を打ち出したのは、その延長と考えるべきかと個人的には思います。
2010-08-06 23:20:54で、僕の疑問は、今日においては、ハウスに行く人はなぜ、ハウスに行くのか? 僕が「偏見」という批判を受けたのは、ガラージの時代はもはや遠く、ハウスがゲイ・カルチャーに根ざしたというのも歴史的事実に過ぎず、今ではいろんな人々がいろんなハウスをやっているからだろう。
2010-08-06 23:18:41@kentarotakahash 共同体に所属するため、だと思います。それはヒッピーコミューンのようなものです。実際、ハウスにつながるアンダーグラウンド・ディスコの源流にはヒッピーカルチャーがあったと認識しています。
2010-08-06 23:25:00@kentarotakahash というのは、ゲイが中心だった初期のガラージ系のディスコシーンには、既にたくさんのノンケの客も居たからです。社交をしに来ていただけのセレブも多かったと思いますが、既にその時点で、多くのノンケがゲイ的な「愛の共同体」を共有していたと思います。
2010-08-06 23:22:33でも、それは@TBotakuさんと同じで、結果の記述に過ぎない。QT @bcxxx @kentarotakahash 「享楽」にも色々あって、たとえばドラッグ〜の「享楽性」はハウスには希薄だと思います。もっと「愛」を軸に据えた、対人的・情緒的な快楽がハウスにはあります。
2010-08-06 23:20:45それはどうかなあ。今やリスナーもクリエイターも多様化している。QT @bcxxx @kentarotakahash ハウスの「愛」の強調は、やはりゲイカルチャーのためのもので、今でもそれをベースに、ノンケを巻き込んだ擬似的共同体を一晩かけて構成することを目的としていると思います
2010-08-06 23:23:54@kentarotakahash リスナーやクリエイターが多様化しているのは、もちろんそうだと思います。都内で週末に開催されるハウスと名のつくパーティーのどれだけが、先述したような共同体意識の獲得を最終目標に据えているかと言えばほとんど皆無に近いでしょう。
2010-08-06 23:26:57@kentarotakahash ロックで言えば、その一部が今でもヒッピー・コミューンの要素を維持しているように、ハウスも当初のコミュニティ性をごく一部の限られたパーティーで維持している(少なくともしようとしている)と思います。それに成功しているかどうかは別として。
2010-08-06 23:30:41@kentarotakahash つまり音楽要素としてのハウスは、そのとっつきやすさ、人なつっこさという形でのみ、かつてあったコミュニティ的な「開放性」を残し、ただのスタイルとして形骸化し、商業化・一般化の手段になっているというのが僕の認識です。つまりハウス=軟派、なのです。
2010-08-06 23:28:36四半世紀もかけて世界に広がれば、元のコミュニティーとの関係性も希薄になる。リスナーもクリエイターも入れ替わり、彼らは耳学問として、歴史を知っているに過ぎなくなる。が、そうなった現時点でもBEATPORTを眺めると、ハウスの新曲には「LOVE」の文字が並ぶ。それは何故?
2010-08-06 23:37:40僕の疑問は、ダンス・ミュージックが音響的な快楽を求める音楽であり、その機能だけを追求するならば、曲のタイトルなど何でもいいのではないか?ということ。享楽的な人が享楽的なイメージに惹かれて、ハウスに参入するというのは、実は音響の快楽で判断したのではないということ。
2010-08-06 23:41:07J・トインビーという人が「ポピュラー音楽を作る」という本でジャンル問題を考察していました。僕個人の考えでは、ナショナリズム的な想像力と同根のものがあるんだと思います RT @kentarotakahash 四半世紀もかけて世界に広がれば、元のコミュニティーとの関係性も希薄になる。
2010-08-06 23:43:28@kentarotakahash ナショナリズムも、承認欲求に引きづられて民族主義的国家主義的思想とはまったく関係なくそれに加担する人がいるわけですし。もっとも本居宣長的な分析的志向を持った人が現れ、ハウスサウンドと愛という概念の結びつきを必然性を持って表現してくれたら・・・
2010-08-07 00:11:09@kentarotakahash もともとシカゴ・ハウスにはその側面が非常に強いです。ハウスの持っていたそういう部分が分離して、テクノになったのではないでしょうか。(ものすごくザックリな言い方ですが。)
2010-08-06 23:43:35僕もそう思いますよ。配信で曲を買い、ベッドルームで曲を作り、配信するだけの人だっているはず。QT @roots4fruits @kentarotakahash ハウス及びヒップホップに関しては〜今更ゲイカルチャ-/ビッグラブ云々でないやり手が殆どと言うのが現状ではないでしょうか。
2010-08-06 23:45:00商業化は関係ないよ。享楽派はハウスに行く。思考派はテクノに行く・・・なのだとしても、それはマーケットがそれぞれにあるということ。どっちが商業的という訳ではない。@bcxxx @TBotaku
2010-08-06 23:53:05ただ、その選択って、ラヴソングを聞くか、メッセージソングを聞くか、という選択と何が違うの?というのが僕の問い。愛を歌う歌手が好きな人もいれば、社会派の歌手が好きな人もいる。ダンス・ミュージックもそれと同じになってしまうのか? @bcxxx @TBotaku
2010-08-06 23:55:11@kentarotakahash 僕は高橋健太郎さんの提示された問いの2つにお答えしたつもりです。ひとつは「ハウスの曲はなぜ「愛」をテーマにしたものが多いか」。もうひとつは「現時点でもハウスの新曲に「LOVE」の文字が並ぶのはなぜか」。
2010-08-07 01:02:46えと、前者はゲイ・カルチャーを軸にした歴史考証で了解ですよね。QT @bcxxx @kentarotakahash 僕は高橋健太郎さんの提示された問いの2つにお答えしたつもりです。ひとつは「ハウスの曲はなぜ「愛」をテーマにしたものが多いか」。もうひとつは
2010-08-07 01:05:12@kentarotakahash 前者については、ゲイコミュニティに由来する個人愛が拡大された共同幻想、後者については商業化・形骸化を示しました。つまりハウスは今や固定されたマーケットを持つ商品になり、それ向けに形骸化したメッセージを歌っているということです。
2010-08-07 01:05:54@kentarotakahash で、そうしたマーケットの固定化とそれに向けた商品としてのメッセージの形骸化は、どのジャンルでも起きていることです。ロックでも、パンクでも。
2010-08-07 01:07:20で、後者は"かつてあったコミュニティ的な「開放性」を残し、ただのスタイルとして形骸化し、商業化・一般化の手段になっている"が答えなのかな。残骸のように残された言葉だと。QT @bcxxx もうひとつは「現時点でもハウスの新曲に「LOVE」の文字が並ぶのはなぜか」。
2010-08-07 01:08:08