文章力を鍛えない国

思い返せば、自分がまともに文章の指導を受けたのは大学の卒論が初めて。論理的に、無駄なく言葉を使う訓練はこのときが最初だった。20歳過ぎにならなければまともに文章の練習をしない日本の教育は、産業力にも大きく影響するのではないか。
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shinshinohara @ShinShinohara

日本の教育では作文能力がまったく育たない。私自身の経験を思い返しても、まともに作文の指導を受けた記憶は大学の卒論が初めて。それはもう、修正で真っ赤っかだった。20歳を超えてもなおまともな作文の指導を受けたことがないという日本の現状は、深刻ではないか。

2012-11-22 19:48:00
shinshinohara @ShinShinohara

自分自身を思い返しても文章力が極めて低く、修士になって少しマシになった程度。今年、大学院生にレポートを書いてもらったのをみて、幼稚さに愕然とした。ただ、自分もそのころ偉そうに言えないレベルだったから、自分が赤面する思いだったが。日本では、まともに文章を書く訓練を受けていない。

2012-11-22 19:50:05
shinshinohara @ShinShinohara

ネット上ではブログやツイッターなど、舌を巻くような文章力を発揮する人がたくさんいることが分かる。学生さんも、ネット上ではなかなかの名文を書く。しかし、レポートなどを作成するとなると、ひどい場合が多い。まともな訓練を受けていないからだ。

2012-11-22 19:51:58
shinshinohara @ShinShinohara

11年前、中国の青島の本屋で、小学生作文集なるものを購入した。漢字ばかりなので全部意味が分かるわけではないが、拾い読みしてもかなりの論理構成ということが分かる。中国では作文を最重要の教科としているというから、これだけの訓練を受けているのだろう。

2012-11-22 19:53:59
shinshinohara @ShinShinohara

日本の教育は無意識のうちに「技術者」を育てるのに最適化されているように思う。科目でもいい、口べたでもいい、技術さえできれば、ということが、授業にもいつの間にか反映されているのかもしれない。数学、理科、英語、社会ができれば、技術屋と事務屋を育てられる。社会はそれで回る、というわけ。

2012-11-22 19:56:02
shinshinohara @ShinShinohara

昨今の就職活動ではコミュニケーション能力が求められるというが、それは日本の教育がもっとも軽視してきた部分だ。作文も原稿用紙を埋めれば花丸がもらえる程度の指導しか受けず、演説に至っては学会発表でもしない限り訓練を受けることはない。日本ではコミュニケーション能力に関する訓練はない。

2012-11-22 19:58:17
shinshinohara @ShinShinohara

「口べたな日本人」というのは、私は嫌いな方ではない。中国では作文が最重要の教科になっているが、それが「口達者だが手が動かない」人材が増える一面もある。日本人は口べたなかわりに仕事の仕上がりで見せる、というのがこれまでのやり方。そういういぶし銀は私は結構好きな方だ。

2012-11-22 20:00:44
shinshinohara @ShinShinohara

ではなぜ今になって、企業はコミュニケーション能力を求めるのか。産業構造が変わり、コミュニケーション能力の高い人材の需要が増しているからだ。スマホで成功したアップルのように、自社で工場を持たない「ファブレス」というメーカーが現れている。これは高いコーディネート能力が必要なのだ。

2012-11-22 20:02:56
shinshinohara @ShinShinohara

コーディネート能力は、「あっちの話題とこっちの話題をくっつけてストーリーを作る」のに似ている。落語の三題噺のように、一見無関係なものをくっつけて予想外のストーリーを作ることは、違う分野の技術を総合して新しい商品を想像することに似ている。文章力は創造力と無縁ではない。

2012-11-22 20:05:47
shinshinohara @ShinShinohara

「プラットフォーム戦略」という言葉がある。パソコンのOSやグーグル検索のように、基礎(プラットフォーム)となる商品を提供すれば、様々なサービスがその上に展開し、誰もがそのプラットフォームを利用しないわけにいかなくなるから、市場を席巻できる。これも、コーディネート能力のたまものだ。

2012-11-22 20:07:28
shinshinohara @ShinShinohara

日本人は一つ一つがきらりと光る製品を作るのが得意だ。だが、それは趣味の一致した消費者の心はくすぐるが、プラットフォームになるような商品ではない。昨今の日本の電化製品は、みな何かに特化してしまって、プラットフォームを提供しないものばかり。コーディネート能力の欠如がなせる業だ。

2012-11-22 20:09:13
shinshinohara @ShinShinohara

一番早くても22歳になって初めて卒論で文章を書く練習をする、というのでは、あまりに遅すぎる。しかも最近は就職活動でろくに卒業研究の指導もできず、卒論で文章力を磨く機会さえおぼつかなくなっている。これでは「誰かに考えを伝える」という日本人の苦手な分野が、ますます苦手になる。

2012-11-22 20:11:06
shinshinohara @ShinShinohara

コーディネートをするには、「思いを伝える」ということが極めて大事。「こういうものを作りたいんだ!」その思いが、あっちの技術とこっちの技術を融合し、新しい製品を作り出す創造につながる。ところが、日本では国語がもっとも軽く扱われている教科。これではコーディネート能力は学校で育たない。

2012-11-22 20:13:12
shinshinohara @ShinShinohara

実は、コーディネート能力を発揮するのには、文章力や演説力の他に、もう一つの要素でかなり補えてしまう。「クソ度胸」だ。戦前、戦後の日本では、言葉も通じないのに海外に出て、身振り手振りで契約を勝ち取った事例が無数にある。伝えたいという思いが、言葉の技術を超えてしまうのだ。

2012-11-22 20:17:11
shinshinohara @ShinShinohara

クソ度胸という素晴らしい力で、コーディネート能力を補ってきた日本人は、しかし過去のもの。学歴のある人がごく少数だったから、そうした能力が学校で育てるものだとは思われていなかった。学校の外で学ぶべきものがある、そんな社会的コンセンサスがあったから、人材力は失われなかった。

2012-11-22 20:19:05
shinshinohara @ShinShinohara

ところが受験戦争が騒がれるようになり、学歴社会といわれるようになって、「学校の外で学ぶべきもの」が、将来の地位形成に何の役にも立たないとみなされる時代がかなり長く続いた。この結果、クソ度胸が失われ、静かに学校の授業を受ける学生ばかりになってしまった。

2012-11-22 20:20:53
shinshinohara @ShinShinohara

家庭や地域から子供を育てる教育力が低下し、学校にますます依存するようになった。子供の能力開発は、すべて学校で行わなければならない。だが、クソ度胸という、一定数の人が備えていた能力(社会的財産)を失い、しかも国語が軽視される中で、どうしてコーディネート能力が身に付くだろうか?

2012-11-22 20:25:59
shinshinohara @ShinShinohara

実社会に出れば、企画書を書くことが必要だし、技術者ならば論文やレポートを作成しなければならない。なのに大学でもろくに訓練を受けず、ましてや小中高でしっかりした指導がゼロというのでは、コミュニケーション能力やコーディネート能力が育つはずもない。

2012-11-22 20:27:46
shinshinohara @ShinShinohara

日本の子供は考える能力が低い、といわれる。それは、数学や理科、社会、英語の授業を思い返しても分かるように、「要素」ごとにしか教えていないからだ。数学なら公式、理科なら化学式、社会なら年号と事件の名前、英語は単語と文法。要素ごとに習って要素ごとに答える。考える必要が全くないのだ。

2012-11-22 20:30:48
shinshinohara @ShinShinohara

考える能力は、落語の三題噺に似ている。全然関係がないように見える話題をどうつなげていくか。これには、高い論理能力、推理能力、そしてユーモアが必要だ。たとえば、「CD」、「肥料」、「チョコレート」で、何か面白い話を考えてみてほしい。大変難しいことが分かるだろう。

2012-11-22 20:33:14
shinshinohara @ShinShinohara

考える能力を鍛えるには数学、理科、社会、英語といった教科の垣根を越えた「三題噺」が必要だ。垣根を越えた指導が可能なのが、まさに国語なのだ。数学は実は英語の理解に役立つ。社会を理解するには理科が欠かせない。日本ではこのことが、専門家にしか知られていない。国語が機能していないからだ。

2012-11-22 20:38:50
shinshinohara @ShinShinohara

文系、理系という「人種」が明確に分かれるという日本独特の現象も、国語が他の教科の垣根を取り払うという本来の機能を果たしていないために起きるのだろう。国語を「言葉」という共通の道具で学問を統合するものなのだ、と考えれば、文系・理系に分かれるはずはないのだ。

2012-11-22 20:40:40
shinshinohara @ShinShinohara

歴史をやっていれば、炭素同位体の半減期や顔料の成分など、いわゆる理系の知識がなければならない。英語を専門に勉強すれば、数学の論理式を使わなければならない。まあ、これらの作業は専門家の仕事だが、国語をしっかりやれば、「私は文系だから」と、臆病になる必要はないはずだ。

2012-11-22 20:43:05
shinshinohara @ShinShinohara

文章を書くにはマインドマップを書くとよい。例えば先ほどの「CD」、「肥料」、「チョコレート」という三題噺なら、それぞれの言葉から連想される言葉をどんどん書き出して、枝葉をのばしていけばよい。そのうち、共通の連想語が現れる。そうなれば、関係なかった言葉同士がつながり、話が生まれる。

2012-11-22 20:45:31
shinshinohara @ShinShinohara

CDからは音楽、歌手、丸い、光の反射、虹色の干渉色、教育もの、ドーナツ型、真ん中に穴、など、どんどん思い浮かぶだろう。肥料なら窒素・リン・カリ、作物、食べ物、トマト、土。チョコレートなら溶ける、茶色、銀紙、ポリフェノール、甘い、カカオ、発酵など。まだまだ連想できる。

2012-11-22 20:48:48