僕は球技が得意でしたし、今でも得意です。だから「なぜ自分にはできて人にはできないのか?」と10代の頃はずっと不思議に思っていました。優越感ではなく好奇心からそう思っていたのです。それが大学・社会人と進むにつれて「なぜ人にはできて自分にはできないのか?」という問いに変わりました。続
2012-08-24 17:21:29できる人とできない人の違いはどこにあるのか?さらには、同じ身体なのにここまで大きく差が開くのはなぜか?それが僕は知りたいのです。トライアスロンをやっている先生に教えてもらったのですが、69歳でトライアスロンを完走する人もいるそうです。しかもタイムも速い。続
2012-08-24 17:37:12僕がだいたいこれくらいだろうと思っていた限界を、遥か超えたところで「身体」を捉えているのでしょう。自らの身体に潜在する能力を信じているからこそ、こうしたことができる。この話を聞いて、改めて自らの打算的な思考を反省しました。大概のことは「やればできる」のです。続
2012-08-24 17:40:1110代の頃を思い返すと、球技に関しては「オレにできないはずがない」と思い込んでいました。とても生意気ですが、何の衒いもなくそう信じ込んでいました。だからすぐにはできなくてもやれるまで練習をした。いつかはできるとわかっているのだから、努力するのは簡単なことです。続
2012-08-24 17:42:26しかし、いつの日か「オレにもできないことがある」ことに気がついた。こんなことは当たり前なことなんですが、能天気な僕は社会人になった頃になってようやく気がついたのです。ここからが正念場です。「オレにもできないことがある」ことに気がつくと「オレにできること」を強化しはじめる。続
2012-08-24 17:48:27ステップワークとスピードを徹底的に強化したわけです。「これだけは譲れない」とばかりに練習を繰り返す。こうして僕という選手の特徴がかたちづくられる。僕にしかできない役割が与えられ、それが個性となった。こういうことではないかと思うのです。続
2012-08-24 17:51:52つまり。運動ができるためには、能天気な僕のように「オレにはできないはずがない」とまでいかなくとも、「がんばればできるはずだ」や「何となくできそうな気がする」や「ひとまずやってみるか」くらいの気持ちでいることが大切なのだと思います。続
2012-08-24 18:01:15だから子どもにスポーツを指導するときには、決して無理矢理行わせるのではなく、本人が自発的にそう思えるように仕向けること。それを積み重ねることで自信が生まれ、やがて身体は錬磨されていく。続
2012-08-24 18:05:40「できる」と「できない」の差が開くのは、運動を始めた段階でのほんのわずかな差で決まる。楽しくて何らかの達成感が得られればまたすぐ身体を動かしたくなるはずです。ここに主体性が生まれる。誠にありきたりですけれど、この「主体性」こそが「できる」を生み、そして育んでいくのだと思うのです終
2012-08-24 18:10:25(先ほどの連ツイ、読み返してみたら突っ込みどころ満載なことに気づいて反省中。シュン)
2012-08-24 19:24:20頭が先か、カラダが先か。どこまでいっても僕はカラダが先なんだろうと思う。頭を先にしたら一気に路頭に迷う、ような気がする。いや、どっちが先かと考えてる時点で頭が先行しているってことだから、正直なところようわかりませんわ。という独り言。おやすみなさい。
2012-08-24 23:45:59