『サウンドを巡る生態系vol.3』DJ KENSEI × 原雅明
- ongakubigaku
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kensei 当時は、黎明期ということもあって、今よりもクロスオーバーな空気はありました。ハウスとヒップホップが分かれていく前。
2012-11-25 19:58:52原 90年代初頭って、TCQの『Low end theory』がリリースされたり、洗練されたマナーのヒップホップがどんどん出てきた時代でした。 kensei 『Low end〜』はシドニー留学時代、毎日のようにスピンしていましたね。
2012-11-25 20:02:44原 『Low End〜』はロン・カーターのベースラインがフィーチャーされています。そうした生楽器の導入に関してはどうですか?
2012-11-25 20:04:22kensei 生楽器に興味を持つのは本当にずっと後の事です。サンプリングによるコラージュ感覚、プロダクションの方がまだまだ面白かった。雰囲気としての『ジャズ』。バンド経験がないだけに、オーセンティックなジャズは理解できなかった。
2012-11-25 20:05:43kensei もう少しあとになると、mo waxとかninja tuneあたりのUKのレーベルが、インストのビートなんかをがんがんリリースするようになる。僕もそうしたサウンドにはまっていきました。
2012-11-25 20:13:45kensei レコードプールの話をします。※レコードプールとは・・・世界のトップDJ達が日常的に愛用するレコード会社から公式にプロモーション用として配給されたプロ使用音源を提供するサービス。
2012-11-25 20:32:28kensei レコードプールのおかげで、レコード屋に売られていないもの、リリース前のものをいち早く現場でかける事ができる。それを目敏い人たちが素早くチェックしにきてくれて、情報交換の場として機能していました。ネット以前では、貴重なインフォメーションとして絵機能していた。
2012-11-25 20:34:53kensei レコードプールによっていろんなジャンルのものが送られてくるから、それがクロスオーバーにも一役買っていた。おもしろい機関だったと思います。
2012-11-25 20:36:22原 先日のセオ・パリッシュ来日のとき、本当にあらゆる音楽をかけていた。あれが本来の『DJ』のあり方だなと思いました。 kensei そうですね。セオのそういったスタンスがしっかり評価されているので、素晴らしい事だと重います。
2012-11-25 20:38:32kensei 90年代後半はやはりレコード文化の最盛期で、聴くものすべてが新しかった。DMRなど、渋谷にも専門的なレコード屋ができて、毎週のように新譜をチェックしていた。
2012-11-25 20:40:31kensei ハーレムのようなクラブでプレイする一方、アンダーグラウンドなイベントにコミットするようになっていったのはこの頃です。そのうちそっちの活動が中心になっていって、ハーレムを止めちゃうんですが笑
2012-11-25 20:42:29kensei いわゆるクラブDJでなく、ラジオDJのような、『音を紹介する』という立ち位置についても重要だと思います。当時はそういった役割をレコード屋が担っていた。
2012-11-25 20:45:00kensei イベントなりをやると、最初は自由にできるんですが、客が入ってくると、オーナーからの意向を受け入れざるを得なくなり、やりたいことができなくなってくる。そうした事もあって、90年代後半くらいから、アンダーグラウンドな方面が活動の中心になっていきます。
2012-11-25 20:49:26原 僕がkenseiさんと知り合ったのもこのころ(97〜98年)です。当時、すでにkenseiさんはもはやヒップホップをあまりかけていなくて、basic channel系のダブをかけてたり。
2012-11-25 20:50:43原 当時、佐々木敦さんと一緒に『FADER』という雑誌を作っていました。98年のオウテカが表紙の号で、kenseiさんにインタビューさせてもらいました。
2012-11-25 20:51:48kensei ハーレムを止めてしばらく、インドープサイキックス等の活動をしていた頃、東京のクラブを飛び出して、地方や海外によく出ていくようになった。東京とは全然違うパーティへのアプローチに、すごく刺激を受けた。
2012-11-25 20:54:23kensei 気になる音源があると、DOI君に相談して、音を作り込んだり。インドープサイキックスはそんな感じで活動していました。
2012-11-25 20:55:01kensei 地方に出たことで、新鮮な視点でいろんな音に触れる事ができた。東京だと、つい情報にあらかじめバイアスがかかってしまっているんだけど、そういったものがいっさいなく、オープンに耳に入ってくるという環境が整っていました。
2012-11-25 20:56:20kensei ♪インドープ名義での初音減。DMRの須永辰夫さんのレーベルからリリースした作品をプレイします。スペーシーなビート。あまりウケは良くなかったですね笑。もっとラウンジ寄りのものを求められていたのかな?
2012-11-25 21:00:14keisei インドープでの作業について。MPCでビートやネタを取り込んで、DOI君がミックスを整えたりしながら、さくさくと作っていました。EQ、コンプ等のエンジニアリング技術がなかったので、リファレンスをDOI君に渡して、求める音に近づけていく作業でした。
2012-11-25 21:02:02原 この頃のインドープの音源を集めて、daddy kevがリマスターした作品が、昨年Progressive formからリリースされました。改めてこれを聴いて、元曲のもつサウンドの強度を改めて感じた。kevのマスタリングによって、2010年のサウンドとしてよみがえっていますね
2012-11-25 21:04:43原 インドープは最終的にビートレスにまで至って、当時音響派とか、エレクトロニカ黎明期の流れともシンクロしていきました。ビートを排した当時の心境はどういうものだったのでしょう?
2012-11-25 21:06:03