ゆるふわ形而上学読書会番外 - 清塚邦彦『フィクションの哲学』合評会(2010-01-24、本郷)

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is @iklog

@pubkugyo Actionは野心的な感じでとっても面白かったです。ばばっと読めるし。あと、こちらのサイトは是非とも見るといいです。:http://bit.ly/7s4bFo http://bit.ly/5YpXFn http://bit.ly/5JL8AR 

2010-01-27 00:10:00
at_akada @at_akada

@pubkugyo kugyoさんの立場は、「(それ以外のプロセスはともかく)作品解釈は真偽を持たない」であるわけですね。それは当初思っていたより穏当な立場ですが、ひとまずわたしはもう少し「作品解釈」って何をすることなのか考えてみたいですね。

2010-01-27 00:13:31
kugyo W @pubkugyo

.@iklog ご紹介ありがとうございます。 / なるほど、作品解釈については、“理由をたずねてみる”ってのがわりと重要なアプローチかもしれないな。「この作品のどこをそのように解釈したの?」と。合理的な正当化のプロセスは厳密でなくてよいとして。

2010-01-27 00:33:52
@portedieu

@at_akada 自分の中ではもっともらしさという基準は無論持っているつもりなのです。が、議論の対象がそれだとは認識していなかったので。「もっともらしさ」を共有可能な議論に据える土台は可能なのかという面倒な問題もありますが。それだとどうしても主観に依存してしまう気がして。

2010-01-27 07:56:59
at_akada @at_akada

@portedieu うーん、主観的に見えてしまうのは、「もっともらしさ」という日本語の語感によるものですね。いろいろ難しい問題はありますが、基本的には「仮説の提示と証拠の提示」という(ごくふつうの学問的な)作業の繰り返しだと思っています。

2010-01-27 08:50:56
@portedieu

@at_akada なるほど。理系論文で使われる"suggestive"みたいな意味なわけですね。

2010-01-27 08:59:52
@pankyokouron

物語の類型の問題・出版社の問題・ジャンルの問題が占めるウェイトは大きい。清塚氏の『フィクションの哲学』には、「パラテクスト」(ジュネット)に対する関心が満足に払われていない。

2010-01-27 22:00:27
@pankyokouron

それから、「テクスト」というタームは、「言説」というタームと同じくらいの取扱注意品であることも忘れられがちな気がする。

2010-01-27 22:05:23
@portedieu

『フィクションの哲学』では、テクスト論で言われる意味とは違うことに関する言及がきちんとあったので問題なかったんじゃないでしょうかRT @pankyokouron それから、「テクスト」というタームは、「言説」というタームと同じくらいの取扱注意品であることも忘れられがちな気がする。

2010-01-27 22:16:32
@portedieu

ちなみに、パラテクストを考慮すればどう面白くなりそうでしょう?関心あります。RT @pankyokouron 清塚氏の『フィクションの哲学』には、「パラテクスト」(ジュネット)に対する関心が満足に払われていない。

2010-01-27 22:17:44
@pankyokouron

そうですね。きちんとエクスキューズがなされていますね。「テクスト」の意味が錯綜していたのはその後の議論においてでしたw RT @portedieu 『フィクションの哲学』では、テクスト論で言われる意味とは違うことに関する言及がきちんとあったので問題なかったんじゃないでしょうか

2010-01-27 22:56:38
@pankyokouron

面白くなるというほどでもないのですが、あるモノがフィクションであるか否かを判断する材料として、テクスト外部の情報の存在感が圧倒的に大きいことを忘れないために、大切な視点だと思っています RT @portedieu ちなみに、パラテクストを考慮すればどう面白くなりそうでしょう?

2010-01-27 23:02:06
@portedieu

@pankyokouron 確かに。「城の崎にて」を随筆としてパッケージングして売った瞬間に小説から随筆になるのか問題、「私の履歴書」を小説としてパッケージングして売った瞬間に小説になるのか問題、などを受け入れるかどうかで変わってきそうですね。

2010-01-27 23:05:00
@pankyokouron

たとえば何でもいいのだけど、あるモノが小説や絵画・詩として受容されるためには、それが既存の小説や絵画・詩に似ていなければならない。何が「似ていなければならない」のかという点について言えば、たとえば「パッケージ」「内容」「形式」「受容者に沸き起こる感動」などが挙げられる。

2010-01-27 23:07:54
@pubkugyo

.@pankyokouron ウォルトンからすれば、パラテクストは、ごっこ遊びを規定する社会的慣習として扱いずみ、となると思います。 / texteという用語は文学研究の歴史を尊重して譲り、textという用語を用いるのが誤解が少ないでしょうね(英米では逆に混乱するか)。

2010-01-27 23:11:02
@pankyokouron

@portedieu そうなんですよ~。清塚さんの本は、しっかりとエクスキューズしてから議論を進めていたので、(「必要十分条件」云々の点を除けば)、論理的な整合性はあったと思うんですが、あの本の成果を建設的に運用できるかと言うと、甚だ疑問であるという問題がw

2010-01-27 23:13:38
@pankyokouron

@pubkugyo なるほど! たしかにそうですね。 「テクスト」という術語は、厄介ですよねえ。この言葉をどういう意味で捉えるかが、そのまま、それについて語る人の理論的立場と興味関心を決定してしまいますからねえ。「より正しい立場」なるものがあるわけでもないですし。

2010-01-27 23:17:57
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