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シータ @Perfect_Insider
サンデルとかのコミュニタリアニズムは天賦人権説には批判的。もちろん天賦人権説批判と「人権そのものの軽視」は全く別。RT @applesringo: 人権天賦説を軽視するのは立憲主義による近代憲法以前の中世暗黒政治時代の王による発布された法度であって憲法ですらない
シータ @Perfect_Insider
全く逆。「闘争過程で獲得されたもの」が人権だとするから、人権は各地域の闘争の歴史に依存した個別的なものになる。 保守思想家バークのロジックがこれ。RT @crazy45age: 憲法は国王との闘いによる人民の獲得した権利という中学生でもわかる歴史を知らない自民党とは何ぞや?
シータ @Perfect_Insider
ちなみにフランス革命というと「自由と人権のために人民は闘った」というイメージが強いけど、大半の民衆にとってあれは「パンをよこせ」という単なる食糧暴動。そもそも王制を倒す気など全くなく、フランス三色旗の白はもともと王家のシンボルカラーだったぐらい(「平等の白」というのは後付け解釈)
シータ @Perfect_Insider
天賦人権説なんて、「自由で自律した個人」という近代のイメージが、アレントからフーコーに至るまでの幅広い思想家によって徹底的に批判されている現代において単純に支持できるものではないのは明らかで、「天賦人権説を批判するとかバカだ」って言ってしまうのは勉強が近代で止まっている証拠
シータ @Perfect_Insider
「人権の普遍性」という発想も近年批判にさらされている。この発想はなかなか危険でもあって「人権は普遍的なので、人権侵害する国家が悪なのは自明であり、介入すべき」というロジックへの転換もよく見られる(例えばハーバーマスのコソボ空爆支持、イグナティエフのイラク戦争支持など)
シータ @Perfect_Insider
政治思想においても「天賦人権説を支持するか否か」は別に右/左に割れる話ではない。下記のハーバーマスやイグナティエフは左派だが、天賦人権説に批判的なコミュニタリアンのテイラーも左派。ローティも左派だが天賦人権説には否定的。フーコーも左派でいいでしょう。
シータ @Perfect_Insider
基本的に保守思想家ってナショナリズムに否定的なのに、なぜか日本の保守ってナショナリズム礼賛だよなあと思う。
シータ @Perfect_Insider
逆にポストモダン系の人が揃って左翼に流れているのに、そういう人たちがなぜか政治の話だけは近代的な「人権」やら「平等」やらを素朴に用いていることが多いのもすごく気になる。
シータ @Perfect_Insider
で、一応一番自民党の人権の発想に近い(近いと言っても相当遠いが、あくまでも他との比較)のはコミュニタリアンの天賦人権説批判だと思う。というかそれぐらいしか整合性のかけらを見出せるものはない。
シータ @Perfect_Insider
国家の位置付けについていうと、本来の左派(=共産主義)は圧倒的に国家擁護、保守は国家に批判的、リベラリズム(リバタリアニズム含む)は中立的個人を先に立てるので国家の位置付けは控えめなことが多い、コミュニタリアニズムはリベラリズム批判で共同体を擁護。
シータ @Perfect_Insider
で、日本の「リベラル」はというと、「本来の左派(=共産主義)」と「リベラリズム」がとても不自然な形でくっついている印象。

コメント

神條遼@Charge-on! Access-rock! Fighter-change! @kamijo_haruka 2012年12月9日
首肯させていただいた。思想が近代で止まってると言うよりも、『天賦人権教』とでも言うような『信仰』になっている、というのが正直な感想。
コーリー(贋) @boguscorey 2012年12月9日
信仰になっているが故に、人権侵害国家への『権利侵害』は肯定され、時には実力行使ですらも『正義の為の介入』とされるわけですね。 しかし、西側諸国首脳でこの原則を『本当に信仰している』人は稀なのではないでしょうか?
月戌🐔🐍🐷㌠ @_moondoggie 2012年12月9日
「日本の保守ってナショナリズム礼賛」天賦人権を否定するなら福沢もルソーも否定し、ひいては民主主義を否定した上で封建君主制復活を主張するべきなんすよな。そこまで出来ないから今時の愛国者様はハハ無邪気だねという、そんだけの話っすね
カウンター・マスメディア(脱体制) @counter_mm 2012年12月9日
新たな情報伝播手段をつうじて「世論」が形成されていたという最近の研究を踏まえてないね。パリの民衆はヴォルテールに「カラス(冤罪事件の被告人)を救った男」と称賛を送ったのだよ。→ ちなみにフランス革命というと「自由と人権のために人民は闘った」というイメージが強いけど、大半の民衆にとってあれは「パンをよこせ」という単なる食糧暴動。
カウンター・マスメディア(脱体制) @counter_mm 2012年12月9日
天賦人権教なんて日本くらいだろうな。天ってなんだよと西洋人は思ったに違いない。天賦人権説と訳そうとした元の自然権、人権の前国家性は理性で肯定できるもの。
クーエミール @toakiyukiyo 2012年12月9日
欧州の君主は神の下っ端であり代弁者。ヨーロッパの立憲君主国は今でも神から人権を授かって王様を仲介して国民へ与えるというのが構図。フランスアメリカは仲介業者がいないだけ。
クーエミール @toakiyukiyo 2012年12月9日
日本の場合は欧州の人権闘争の歴史をすっ飛ばして敗戦後一気に欧米崇拝主義の一環として立憲主義をインストールした。背景にある宗教の文脈を無視してね。
クーエミール @toakiyukiyo 2012年12月9日
天賦人権説を日本でさも当然だと受け入れるのは英語詩のJPOP歌うような気恥ずかしさがある。ただ定着してるのは事実なのでそれも自分の一部である。
ポポイ @popoi 2012年12月9日
#天賦人権説#自然権 であり、西洋の #法 思想であり、虚構であり信仰である。が、これが沢山の人々の #基本的人権 を担保している。日本もまた明治以降、この、西洋の文明という信仰に入信し、相応の伝統を積み重ねた。
ポポイ @popoi 2012年12月9日
西洋文明は、現在も、人類社会の主流である。覇権国家 #アメリカ 合州国もまた #天賦人権説 を戴いている。米は、其の建前を、完璧に実行はしてないが、完全に無視もし得ない。共有しないで、どうするの。
ポポイ @popoi 2012年12月9日
我々は、人間を信用出来ぬ故に、様々な仕組みを要するのだ。 #暴力装置 ( #主権国家 )然り。 #自由民主主義 然り。 #天賦人権説 然り。有意であるなら、活用しよう。
matsurowanu @matsurowanu 2012年12月9日
法実証主義的、ともいえるでしょう。法実証主義は天賦人権論を否定しないけれど(憲法以前の"法"は否定します)、数ある恣意的な見識の一つとしか看做さないので、まあ「軽視」となる。人権は実定法上の規格に過ぎず、時代や地域によって差異があり、為政者の個性や嗜好次第でその内容が変わる、と人権を絶対視しない/できないことを、ある種の信仰を有する、思考を放棄した人々は許せないのでしょうけど。
matsurowanu @matsurowanu 2012年12月9日
「わかっている」人でも、人権および天賦人権論はフィクションだ、しかし必要なフィクションである、としか言えない。これではハードな議論には到底耐えられないですよね。
月戌🐔🐍🐷㌠ @_moondoggie 2012年12月9日
もう一つ言うなら、橋本治の名言に「近代自我が幻想だって一向に構わないけど、だからって自分がチャンとしてなくたっていいって訳じゃないでしょ?」てのがありますけど、同様に「天賦人権論がフィクションだって一向に構わないけど、だからって自分がチャンとしてなくたっていいって訳じゃないでしょ?」てことですかねー
坂東α @bando_alpha 2012年12月9日
何しろポストモダン暴力装置は開発されていないから、「近代」に機能してもらわないと生活が出来ないしね。
MaliS @MaliSNacht 2012年12月9日
matsurowanu あえて反論するのであれば、「法実証主義では権力の暴走を止められなかった過去の事実がある」と言ったところでしょうか? まぁ、「実在する何か」に頼れない以上、「架空の何か」をあてにするしかない、という、消極的な思考ですが。
カウンター・マスメディア(脱体制) @counter_mm 2012年12月9日
キリスト教を信じてますという外観を取らなければ、残酷な処刑が待っているかもしれない社会において、その社会の空気と調整しながら、理性に基づいた己の理論の発信に苦心した人たちに対する宗教的理論とのレッテル貼りはあまりにも歴史的素養がないと言わざるを得ない。
カウンター・マスメディア(脱体制) @counter_mm 2012年12月9日
例として→「ベッカリーアがこの「犯罪と刑罰」を書いたころは、キリスト教の世俗的勢力、王侯貴族等の封建勢力がともにどれほど暴威をふるっていたかは現代の読者の想像をこえる。…これらの権威を否定する結果になる自由と人権、罪刑法定主義の主張をすることは、そのまま文字通り生命の危険を意味した。」(犯罪と刑罰)
カウンター・マスメディア(脱体制) @counter_mm 2012年12月9日
「読者は本文を読まれるにしたがって気づかれると思うが、ベッカリーアは身の危害をさけ、また本書に日の目を見せるために、ありとあらゆる文章表現上の苦労をしている。」「しかしこのような慎重さをもっても、なお迫害を逃れるに十分でなく、彼は無神論者、むほん人のそしりを受けていた。そこで彼はこの上にもその主張にカムフラージュをほどこすために、この長い前言を加えたのだ。したがって現代の読者にのぞみたいことは、それらカムフラージュを透視して、彼の真に語ろうとしたことの革命的意義を見出してもらいたいことである。」
カウンター・マスメディア(脱体制) @counter_mm 2012年12月9日
God bless you って言ってる人はみなキリスト教ですか?
カウンター・マスメディア(脱体制) @counter_mm 2012年12月9日
たぶんこういう西洋的な価値を脱却という人に限って、原典の研究はしてないんだろうな。→ ルソー「キリストのおきては、結局のところ、強力な国家組織に有益というよりはむしろ有害であるということが立証されるであろう。」
カウンター・マスメディア(脱体制) @counter_mm 2012年12月9日
ルソー「真のキリスト教徒からなる国民は、想像しうるかぎりの最も完全な社会を形成するだろう、とわれわれにいう人がある。わたしは、この仮定については、ただ一つの大きな困難しか見ない。それは、真のキリスト教徒の社会なるものは、もはや人間の社会ではないだろう、ということである。」
クーエミール @toakiyukiyo 2012年12月9日
私は日本の近代社会システムはほぼ欧州の丸パクリだと思ってるし尊敬してる。ただ日本は地球の裏側にある異質の文化を数千年有していることは無視できるはずもない。それを無視して原典原理主義を通すのはアメリカ的覇権主義と何ら変わりない。
北守 @hokusyu82 2012年12月9日
[独自研究][無意味な記述]
北守 @hokusyu82 2012年12月9日
思いつきの独自研究で「天賦人権」を否定した気になってる連中の共通点って、西洋と東洋の二項対立みたいな70年前の「近代の超克」的な図式を21世紀にもなって引きずってることだってのをを発見した。
クーエミール @toakiyukiyo 2012年12月9日
君こそここ数十年のネット上のウヨサヨ対立しか踏まえてない浅い雑感でしか無いと思うよ。
クーエミール @toakiyukiyo 2012年12月9日
天賦人権論を私は否定していない。ただ宗教だと自覚しろといってる。批評性こそポストモダン。
クーエミール @toakiyukiyo 2012年12月9日
そして出来れば私らみたいな土着信仰の土民にも思想信条の自由をくださいな
侠華慈徳善堂 @chaoshexa 2012年12月9日
我々の権利が何故保証されるのかという時に、1.生まれながらの権利だからである(だから国家に奪われることはない)というのと、2.我々の先祖が国家から勝ち取った権利だからである(だからその権利の相続人である我々の権利を国家は奪えない)というのがある。前者が天賦人権で後者が保守主義。とかそんな感じ。
uniuni @wander__wagen 2012年12月9日
じゃあ、天賦人権の否定により何の権利が高確率で侵害されて、またそれに伴いどういう苦痛を受ける確率が高いのか、説明してみてよ。現憲法でも局地的に発生する人権侵害に対しては無力なので、国家が率先して人権侵害するという前提で。
uniuni @wander__wagen 2012年12月9日
「国家に奪われることはない」と言いつつ保障してるのは国家そのものだったり。神様とか自然界とか言い出すとマジに宗教だよ。
クーエミール @toakiyukiyo 2012年12月9日
国家プロレス論。猪木が最強だと思っていた頃は確かに古き良き時代だがもうその頃には戻れない。
クーエミール @toakiyukiyo 2012年12月9日
古き良き時代は脳内で純化されたイメージであって、実際はその時はその時でいろんなクソみたいな日常があったんだけどね。
ポポイ @popoi 2012年12月9日
天賦人権説や立憲主義や法治主義、ひいては西洋の影響を拒みたいなら、真面目な話、明治維新からの否定が要る。大日本帝国 #憲法 も否定だな。 #呉智英 の「封建主義」論、結構面白いぞ? #自民党 #憲法改正 #改憲 #片山さつき
月戌🐔🐍🐷㌠ @_moondoggie 2012年12月9日
「明治維新からの否定」いやまさにまさに。これは脱原発の人達も人権批判の人も等しくそうなんですが、すべての問題が根本的に民主主義に起因する以上、維新なり国家主義なり社会主義なりといった民主主義ベースのものに依拠するのはそれだけで自己矛盾をきたすわけです。それを自覚した上で議論した方が良いんではないかなーといつも思いますね
月戌🐔🐍🐷㌠ @_moondoggie 2012年12月9日
後、自己の全能感を満たすために「天賦人権説はフィクションだ、それを信じるのは宗教だ」て仰るのはそろそろやめませんか? とも思うですよ
クーエミール @toakiyukiyo 2012年12月9日
天賦人権説はフィクションだ。でも僕達にはフィクションが必要だ。でも日本の物語は天賦人権説は本質ではない。
クーエミール @toakiyukiyo 2012年12月9日
自分の宗教性を自覚しなさい。全能性を満たすための無神論者はリアリストをきどった冷笑主義に陥っている。フィクションを紡ぐ勇気が必要。
クーエミール @toakiyukiyo 2012年12月9日
「僕は自然を謙虚に向き合った。」山中教授の言葉で印象に残った言葉。
uniuni @wander__wagen 2012年12月9日
人権批判って誰ぇ?wwwマジで妄想乙としか言いようがない。フィクションを現実と思い込むだけあって仮想の敵と戦ってるようだな。
月戌🐔🐍🐷㌠ @_moondoggie 2012年12月10日
「でも僕達にはフィクションが必要だ」ですよねー。そもそも今の社会制度という『現実』がそういうフィクションを元に成立してる以上、それを否定するにはまず現状の社会保障を拒否し世捨て人になる準備から始めるか、別のフィクションに立脚した制度を対案として出す、てのが出来ないと駄目だと思うんすよね※個人の感想です
月戌🐔🐍🐷㌠ @_moondoggie 2012年12月10日
じゃあ対案として明治維新や帝国憲法を出せるかというと、民主主義思想として同根であるというか維新の延長として現在の近代市民国家が存在しているからそれはあり得ない。呉智英氏が封建主義をうたい、橋本治が維新以前(少なくとも高度経済成長期以前)へ回帰すべき、と言ってるのはこういう意味ですね
oomisuzi @oomisuzi 2012年12月10日
天賦人権説は言わば「x÷0=0ではない」とか「光速より速いものはない」とか「放射能は化学分解で無効化出来ない」等と同じレベルで現代社会の前提だと思うんだけど、そう考えると反論のほとんどが上記を否定している人の言い分と瓜二つで味わい深い
taku @_heathworld_ 2012年12月10日
いやだから、仮に100歩譲って「天賦人権説はおかしい」という主張が十分考慮の余地ありと言えるとしても、その結果として「権利は義務行使によって他者(国家)から与えられるものとされている」という結論はおかしいし、色んな意味で危険じゃないのか?という問題なんじゃないの?片山氏の発言の問題は。
uniuni @wander__wagen 2012年12月10日
言い方に問題があるにせよ、恣意的にとらえなければ「権利は義務の報酬」などと言ったトンデモ解釈は不可能。あれだ、坊主憎けりゃ袈裟まで憎しってやつだ。反省しろ。
uniuni @wander__wagen 2012年12月10日
ってか、天賦人権大いに結構だけど、定義して保証してるのは国家だって忘れるなよ。あくまで盲信するなら、サバンナでライオン相手に天賦人権説いてこいやアホ。
月戌🐔🐍🐷㌠ @_moondoggie 2012年12月10日
まぁまとめ内ツイートにも「『人権の普遍性』という発想も近年批判にさらされている」とある通り、人権思想自体が極めて特殊な状況・状態でのみ成立しうるのでは? という懐疑は健全なものだと思いますねー。だからこそ天賦人権説を批判するのであれば他の人権思想を持ち出す小手先ではなく、民主主義や近代国家への根源的懐疑から始めないといけないのではないでしょか※個人の感想です
taku @_heathworld_ 2012年12月10日
1次的情報ソースではないのは申し訳ないと思いますが、このまとめ( http://togetter.com/li/420062?f=reco0 )において片山氏が書かれている「権利の享受には義務が伴い、自由は自分勝手でなはく、規律が守られた上でのこと、という原則」という発言を、貴方がどの様に解釈しているのか非常に気になります。 @1gus3
taku @_heathworld_ 2012年12月10日
また、基本的には基本的人権とは本来全ての人が持っている絶対的な権利であります。しかし、それは多くの点で損なわれやすいと考えられます。(リヴァイアサンを出すまでもなく)そのために国家やコミュニティに「その権利を保護する」のを要求します。その「権利の保護の対価」として例えば「納税の義務」などの国家に対する義務が発生するのであって、そもそも、権利と国家に対する義務は直接な関係性はないです。
taku @_heathworld_ 2012年12月10日
さらに付け加えれば、「義務を行使しなければ、権利を守らないぞ!」と国家が言うのは、それこそ国家の暴走となります。憲法では、「国民となったものすべての権利を守ること」が大前提であることが説かれています。もし、無理矢理関係性を見出すとしたら、権利が先で義務が後になります。なので、「義務を行使しない人間が権利を主張するのはおかしい」という発言は、この大前提を逸しており、非常に問題だと考えられるのです。
taku @_heathworld_ 2012年12月10日
ただ、今回まとめられたツイートの中に「人権の普遍性への懐疑」が提唱されています。この点については、まさに @_moondoggie 氏がコメント内で最後に発言されているように、近代国家システムの大前提である、国民国家や主権などというシステムに対しての懐疑が必要となるでしょう。この問いは極めて重要な問いだと思います。ヨーロッパが作り上げた世界システムへの懐疑ですね。是非、この懐疑は突き進めて行ってほしいし私もいろいろ考えています。興味深い懐疑だと思います。
PAN太 @panta_rhei2004 2012年12月10日
「サバンナでライオン相手に天賦人権説いてこい」って、「男の本気の腕力を目の当たりにしても、男女同権とか言えるのか」とどう違うんだ(・∀・ )
AQN@ヮ<)ノ◆ @aqn_ 2012年12月10日
myogabのような党派性によるバイアスがかかりすぎているバカを炙り出せただけでもこのまとめを作成した甲斐があったというものです。実に愉快だ。
uniuni @wander__wagen 2012年12月10日
_heathworld_ 例えば、権利と権利が衝突しないためにはお互いの権利を尊重する義務があるってことでしょう。つまり公共の福祉というのがこれにあたるかと。「各個人の基本的人権の共存を維持するという観点での公平」という意味ですので。いろんな解釈があってしかるべきだとは思いますが、「これこれこういう義務を果たさなければ、あなたに権利はありません」という意味でとらえるのは少々大げさではないかと。
uniuni @wander__wagen 2012年12月10日
panta_rhei2004 だから、好き勝手にやるとそういう力関係で優劣が決まるところを、共同体の中で、なるべく公平な関係を築こうというのが憲法の一つの役割では?それは自然から得たものではなく、人間が人間の幸福のために考え出した決まりです。天からの権利は動物的自由に他ならないでしょう。人間もたかだか一哺乳類にすぎないのですから。
uniuni @wander__wagen 2012年12月10日
_heathworld_ あなたの発言を見る限り、私などよりも広い知識をお持ちだとは思いますが、少なくとも私は一部で騒がれているような「基本的人権の否定」というのは、いささか行き過ぎた表現だと思いました。
uniuni @wander__wagen 2012年12月10日
というか、「義務も果たしてないのに権利を主張するな」というのは自民や各議員の方々というよりも、行き過ぎた保守派の発言のようにも思われます。
PAN太 @panta_rhei2004 2012年12月10日
wander__wagen サバンナのライオン相手に「天賦人権」は通用しないと言うご主張だったと思いますが、「共同体の中で、なるべく公平な関係を築こうと人間が人間の幸福のために考え出した決まり」なら、サバンナのライオンにも通用するのですか? (・∀・ )
uniuni @wander__wagen 2012年12月10日
panta_rhei2004 私は人権が何に由来するかは問題では無いという立場です。由来がどうあれ、人権を「保障」しているのは国家であるわけですから。ですから天賦も結構なのですが、それ自体に効力はないという旨で発言いたしました。人権が生まれながらに備わるとして、それが尊重されるのは人の共同体の中のみということです。
uniuni @wander__wagen 2012年12月10日
あ、4つ前のもの、「公共の福祉」ではなく「公益および公の秩序」でも同様のことが言えると判断しています。
uniuni @wander__wagen 2012年12月10日
「国家がなければ人権がないのか」という突込みが入るかもしれませんが、国家がなくなれば保障自体に意味がなくなるかと。共同体のレベルが下がるほど、それこそ一動物としての「自由」がそのまま権利になっていくのではないでしょうか。
PAN太 @panta_rhei2004 2012年12月10日
wander__wagen 「天賦人権だろうと国賦人権だろうと、サバンナのライオンには人権など通用しない!」が本意だったわけですね。重畳(・∀・)人権が「天」に由来していても(天賦人権説でも)問題では無い、と言う貴方の立場も確認出来て、安心しました。
uniuni @wander__wagen 2012年12月11日
片山議員の発言は確かに軽率ですね。「権利は~」という出だしなのに「天賦人権説」に結ばせる意味もよくわかりませんし。改憲案にも書いてないことを言って自分の政党を貶めただけのような気はしますね。議員を諌める方がいることを切に願います。
Yの趣味アカ、botアカ @yh_forbot 2012年12月11日
主権者である国民が、その社会における個としての権利を担保させているのが国家であり公務員。 個や家族の生活の運用の為に労働し、その一部を国の運営の為に税として納付する。 教育は労働や生活の基礎となり、しつけや道徳教育を基礎としたメディアリテラシーや情操の教育が判断能力と良識を育む。というのが個人的解釈かな。
zetumu @zetumu 2012年12月11日
wander__wagen だからそれは自然権としての人権の部分ではなく、相互尊重の社会契約部分。この切り分けが出来ていない意見が(さつきも含め)多いな。
zetumu @zetumu 2012年12月11日
wander__wagen また>人権が何に由来するかは<人権が社会において尊重される範囲が決まるのでとても大事。中国は人権がないのではなく、共産党の指導の範囲内でしか人権が認められていないのが問題なのです。
zetumu @zetumu 2012年12月11日
>「闘争過程で獲得されたもの」が人権だとするから、人権は各地域の闘争の歴史に依存した個別的なものになる。<これは人権を「個人」と規定した場合ですね。
zetumu @zetumu 2012年12月11日
私は人権を自然状態の人を社会との接点として設定するので>各地域の闘争の歴史<はそれが社会に於いて表われた状態と捉えることができると考えます。
zetumu @zetumu 2012年12月11日
人権はライオンの前では機能しないというのは当然で、人権とは社会性との関係性に於いての言葉だからです。
zetumu @zetumu 2012年12月11日
私は人間を「個人」ではなく「精神の存在と肉体の存在」と規定するので社会性も「個人」と同じく人間を成り立たせる一要素として捉えます。
zetumu @zetumu 2012年12月11日
そうすればコミュニタリアニズムの要素も包括することができます。人間が成立するのに必要な社会的な要素は全て人権に付随するものと捉えることが可能です。
uniuni @wander__wagen 2012年12月11日
zetumu ご説明大変参考になります。社会契約論というやつでしょうか。ただ、改憲案でも保障されている基本的人権の「生まれながらの」というのは天賦人権と同等の意味を持つ物ではないのですか?
uniuni @wander__wagen 2012年12月11日
そして、「自然からの」ということによって国家の保証する範囲がどう広がるのかよろしければで結構ですのでご説明ください。そうすることによって国家以上の共同体から保障されるのでしょうか。しかしそれも「自然権」ではないのですよね・・・
zetumu @zetumu 2012年12月11日
当たり前ですが人間自体は自然状態に於いて生存が保証されている訳ではない。餓死することも病気で死ぬことも当然ある。
zetumu @zetumu 2012年12月11日
同時に現在の人間を「精神の存在と肉体の存在を持つ」とすることもまあ一般的にはおかしな事ではないだろう。
zetumu @zetumu 2012年12月11日
人間が「個人」だけで成り立つ訳が無いのは自明の理なので、人間を成り立たせる様々な要素は(「個人」も含め)それに付随するものとして捉えることができる。 その上で社会的な要素の接点として「人権」を設定できる。
zetumu @zetumu 2012年12月11日
これは人間が居て社会との接点があれば設定できることができることなので、人類普遍の原理とすることに問題はない。
zetumu @zetumu 2012年12月11日
民主主義とはその人権を以て社会を構築しよう(社会契約を結ぼう)という考え方。 だから民主主義社会においては犯すことができないとなる。
zetumu @zetumu 2012年12月11日
同じように「人権」という言葉を使っていてもその設定の位置付けが変われば意味が変わる。 人権を規定する元となる範囲を超えては人権を規定できないのは当たり前。
zetumu @zetumu 2012年12月11日
自民案は「歴史と伝統」による民族共同体的な物を「人権」を置く根拠にしているのでその範囲でということになる。
zetumu @zetumu 2012年12月11日
民族共同体的なものは共産党の指導と同じく人間に拠る所産なので(過去において幾つも民族共同体が滅びているのは歴史を見れば分る)人類普遍の原理とはいえない。 だから自民案で「人権」が設置されていても「人類普遍の原理としての人権」とは異なる。
zetumu @zetumu 2012年12月11日
「人類普遍の原理としての人権」には社会との接点があることであれば人間の成立させる様々な諸要素を社会権として設置することができる。 例えば生存権などだが、人間そのものは本来生存が保証されている訳ではないので、これそのものは「人類普遍の原理」ではない。
zetumu @zetumu 2012年12月11日
只生存していなければそもそも社会を構築しようがないので、社会権の一つとして設置せざるを得ない。 社会契約は相互尊重により成り立っているので全ての人間にこれは適用される。
zetumu @zetumu 2012年12月11日
このようにして人間を成立させるのに必要な諸要素が社会を構築する要素として確立される。 只確立されてもそれを実効性のあるものにするには社会としてのシステムが無ければ意味が無い。
zetumu @zetumu 2012年12月11日
そのシステムの一つが国家。 だから憲法にこの国家という社会システムを成り立たせる根拠を記し相互尊重の社会契約の具体的なあり様を各条文に記す。
zetumu @zetumu 2012年12月11日
「公共の福祉」は「人類普遍の原理としての人権」を制限しているわけではなく(まあこれはしようがない)、それに基づいた諸要素の社会契約のあり様のことである。
zetumu @zetumu 2012年12月11日
社会契約されている生存権を始めとする諸要素は自然状態に保証されている訳ではないので、社会システムの範囲を超えることはできない。
zetumu @zetumu 2012年12月11日
つまり「公共の福祉」とは人間を成立させる諸要素のバランスを如何に取り実効性のある社会システムを作るのかということである。
zetumu @zetumu 2012年12月11日
そこに於いては「個人」も「歴史と伝統」も人間を成り立たせる諸要素の一つという意味では等価である。 勿論どの要素を先に持ってくるのかという優先順位は出てくるが。
zetumu @zetumu 2012年12月11日
その最適バランスを社会的に模索するのが政治ということである。
zetumu @zetumu 2012年12月11日
だから「公益及び公の秩序」は「公共の福祉」の代替にはならない。 最適バランスを取る一要素ではあるが最適バランスそのものではないからだ。
zetumu @zetumu 2012年12月11日
何か上のまとめよりも長くなってすまん。
zetumu @zetumu 2012年12月13日
ついでに言っておくとこれもさつきをはじめ勘違いが多いが。「権利が確立すること」≠「実効性があること」だから。
zetumu @zetumu 2012年12月13日
例えば民事で相手への債権を持っていると確定判決が出たとしても、相手方に資産が全く無ければ取り立て様がない。
zetumu @zetumu 2012年12月13日
だから例えば国家が全国民に対して賠償しなければならない被害を与えたとして、等しく賠償責任認められ賠償したとする。
zetumu @zetumu 2012年12月13日
だが、その賠償の原資は国民からの税金。国民から取った金を国民に支払うわけだから実際にはプラマイゼロで実効性を持たない。
zetumu @zetumu 2012年12月13日
戦争受忍論というのはこれに近い論理であると思う。つまり補償すべき被害がないわけではなくあるのだが、実効性のある補償をすることはできないから全国民として受忍せざるを得ないという。
zetumu @zetumu 2012年12月13日
只、そのような全国民に被害を与える判断をした時の政府の当事者がその責任を公に問われる事は、人民裁判ということではなくて必要だと思うけど。
zetumu @zetumu 2012年12月13日
で、皆が不安に思っていることはそういった実効性がある社会システムがこのままでは維持できないのではないかということだと思う。
zetumu @zetumu 2012年12月13日
だからと言って、社会システムの実効性に合わせて基本権そのものを無いことにしてしまうというのは違うだろう。
zetumu @zetumu 2012年12月13日
なぜならそこを無いことにしてしまうと、社会システムに正当性を与える根拠を失いそれぞれに都合の良い社会システムを主張仕合い万人による闘争に陥ってしまうからだ。
zetumu @zetumu 2012年12月13日
たとえ社会システムに権利を充足させるだけの実効性が欠けていたとしても、どのような基準に従って社会システムを作っていくかという方向性は決定できる。
zetumu @zetumu 2012年12月13日
元々近代社会に於いて民主主義社会を構築していくに当って、始めからその権利が実効性を持っていたわけではなかった。
zetumu @zetumu 2012年12月13日
実効性があるとすれば実効性を持つように社会システムを変革させてきた(まあ社会システムではなく様々な技術革新などもある)結果である。
zetumu @zetumu 2012年12月13日
だから実効性を理由に基本権そのものを無いことにしてしまうのは違うであろう。
zetumu @zetumu 2012年12月13日
追記すると「人類普遍の原理である人権」を基準にするのはこれだと時代・地域・状況に関わらず設定できるからだ。
zetumu @zetumu 2012年12月13日
時代・地域・状況・歴史・宗教などによる基準だと様々な基準が生じてしまい、準万人による闘争に陥ってしまう。
zetumu @zetumu 2012年12月13日
まあアトムや攻殻やSF的クローンのような世界になれば「精神の存在と肉体の存在を持つ」という事が一般化できなくなるので、その時は・・・まあ改めて考えてくれw。
zetumu @zetumu 2012年12月13日
これ、人様のまとめでなくて自分でまとめ作るべきだなw。aqn_さん、すみません。
🚉Hugo✈@冬ありがとうございました(月西し33a) @Hugo_Kirara3500 2013年5月9日
「義務も果たしてないのに権利を主張するな」って日本独特の文化なのではと思われるところが多々あります。
ポポイ @popoi 2015年6月18日
「個人の都合の為の“暴力装置”」という視点(「信仰」)ならば、「天賦 #人権 が前提に非ざる主権国家は機能不全」となる。王や国への「信仰」と、何れが普遍性に優れるか。
gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 2015年6月23日
「最高存在の祭典」をもう一度復活させる、じゃだめか?
ポポイ @popoi 2016年1月12日
gryphonjapan 謹賀新年。日本における「最高存在の祭典」は、強いて言えば、天皇前提での廃仏毀釈。そして「八月革命」により、「王」は「市民」となった。この場合の「祭典」は、東京裁判か。
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