兵法家伝書まとめ

柳生宗矩の柳生家『兵法家伝書』まとめです。
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神無月久音 @k_hisane

『とられじとするを是非とらんとするにはあらず。取られじとするをば、とらぬも無刀也。とられじとられじとする人は、きらふ事をば忘れて、とられまいとばかりする程に、人を斬る事ばなるまじき也。我はきられぬを勝とする也。人の刀を取るを芸とする道理にてはなし』

2012-12-04 17:52:20
神無月久音 @k_hisane

意訳:別に無刀取りったって無理に取らなくていいんだよ。向こうが無刀取りを警戒して、斬りかけてこなけりゃそれでもいいんだから。こっちは斬られなきゃ勝ちなんだよ。大体、見世物じゃないんだから刀なんかわざわざ取ってどうするの?馬鹿なの?死ぬの?

2012-12-04 17:53:44
神無月久音 @k_hisane

『無刀と云ふは、人の刀を取る芸にはあらず、諸道具を自由につかわむが為也。刀なくして、人の刀をとりてさへ、我が刀とするならば、何かわが手に持ちて用にたたざらん。扇を持ちて也共、人の刀に勝べし。無刀は此懸りなり。(中略)此心持を本意とおもふべし』

2012-12-04 17:58:05
神無月久音 @k_hisane

意訳:何回も言うけど、無刀取りって別に刀取ることじゃないよ。道具(刀も含む)を自由に使うためのものなんだよ。わざわざ人の刀を取らなくても、手元に扇でも杖でもあるなら、それを使えばいいんだよ。とにかく斬られなきゃいいの。それが大事なの。

2012-12-04 17:59:58
神無月久音 @k_hisane

『無刀は、とる用にてもなし、人をきらんにてもなし。敵から是非きらんとせば、取るべき也。取る事をはじめより本意とはせざる也』

2012-12-04 18:04:41
神無月久音 @k_hisane

超意訳:しつこいけど、無刀はわざわざ自分から取りにいかなくていいの。あと、斬らなくてもいいの。相手が「今からお主を斬る!よろしいか!」とか言って切りかかってきて、どうしようもない時くらいだよ、取るのは。最初から「よーしパパ、相手の刀取っちゃうぞー」とか言ってる奴は死ねばいいのに。

2012-12-04 18:06:08
神無月久音 @k_hisane

意訳はともかく、全部「兵法家伝書」にこのまま書いてあります。なんかやたら「無刀取りって自分から取るんじゃねえよ!つーか刀取るのは本質じゃないっての!」と繰り返してますが、多分、当時から「名高い柳生の無刀取りを是非拝見したい」とか何度も言われてウンザリしてたからじゃないかなと。

2012-12-04 18:14:49
神無月久音 @k_hisane

なんか今書いてて、毎度おなじみ宗矩くんの言葉を思いだしたり。兵法家伝書で、「凡そ病とは、心のとどまるを云ふ也」と言ってるわけで、何かにこだわり、凝り固まる事は「病」であり、それにこだわっては負けるものだと。

2013-01-15 00:16:37
神無月久音 @k_hisane

で、まあ、さっきの宗矩くんの話の続きですが、「心法の江戸柳生」と言われるだけあって、「兵法における心理状態の重要性」を知るには、まず現代に至るまで、この「兵法家伝書」を越える伝書はないんじゃないかなと。それくらい、この家伝書では兵法上の「心」の問題について徹底的に追求してます。

2013-01-15 00:22:50
神無月久音 @k_hisane

この辺については、こちら(【やる夫で学ぶ柳生一族・外伝3】http://t.co/eOvACf9e)で解説してるので、よろしければ。それこそ形容を変え、例を変え、何度も「こだわっちゃダメだ」と言ってますし、そうならないためにどうするべきかも懇切丁寧に書いてま砂。

2013-01-15 00:26:15
神無月久音 @k_hisane

で、そういう境地に至るためにどうするべきか、というところで、これまた色々書いてあるのですが、結論を言うと、「その辺の心の修行については、禅の方が色々やってて深いので、禅やれ禅。そっちで極まったら兵法もイケるイケる」とあって、まあこれがいわゆる「剣禅一致」というわけで砂。

2013-01-15 00:50:39
神無月久音 @k_hisane

当該箇所を上げると、例えばこの辺ですかね。「兵法の、仏法にかなひ、禅に通ずる事多し。中に殊更着をきらひ、物ごとにとどまる事をきらふ。尤も是親切の所也。とどまらぬ所を簡要とする也」(続く)

2013-01-15 00:53:41
神無月久音 @k_hisane

(続き)「如何様の秘伝を得て手をつかふも、其手に心がとどまらば、兵法は負くべし。敵のはたらきにも、我手前にも、きつてもつひても、其所々にとどまらぬ心の稽古、専用也」(続く)

2013-01-15 00:54:08
神無月久音 @k_hisane

(続き)「一切の道理を見おはりて、皆胸にとどめず、はらりはらりとすてて、胸を空虚になして、平生の何となき心にて、所作をなす。此位にいたらずば、兵法の名人とは言ひ難き也。兵法は我が家の事なれば、さして兵法と申す也。兵法一つに限るべからず、よろづの道此の如き也」

2013-01-15 00:55:06
神無月久音 @k_hisane

こんな感じでアリマス。まあ、これの前にも色々書いてあって、その中には「心法は重要だけど、その前に技をちゃんと修めろよ?心法とかそれが済んでからの話だから」とあるのがキモで砂。あくまで、「技を十全に使うために」心法を修めるわけで、技がないのに心法だけやっても意味無かろうと。

2013-01-15 00:59:15
神無月久音 @k_hisane

この辺、「心法の江戸柳生」「剣禅一致」「活人剣」辺りの言葉が先走りしすぎて、「剣はやっぱ実戦で強くないとダメだ!心法とか理屈捻ってんじゃねえ!」みたいな見当違いの批判をする人がたまにいますが、まあ、これについては「『人の話はよく聞きましょう』と言われなかったのか?」としか。

2013-01-15 01:01:53
神無月久音 @k_hisane

あくまで技ありき、それだけでは極まらない境地があるから、それ以上を目指したいから、残る「心」の領域に足を踏み入れたわけで、「強さの追求」云々で言えば、この家伝書での言及の方が余程貪欲ですよ。ぶっちゃけ「最強になるにはどうすりゃいい?」という問いに対する宗矩なりの答えな訳ですから。

2013-01-15 01:04:59
神無月久音 @k_hisane

伊達に「近代兵法伝書の二大巨峰」とか言われてないですよ、ホント。今でも武道関連のうち、心理とか駆け引きとかに絡む研究だと、かなりの確率で引用されてますし。真面目に読んだら、これ書いた宗矩の凄みが、素人でもわかるですよ。

2013-01-15 00:30:01
神無月久音 @k_hisane

そういや兵法上の心法でいっこ思い出しましたが、いわゆる漫画でよくある「無の境地」とかいう表現があって、集中する事でそういう心理状態になって実力以上の力を発揮できる、なんてのがありますが、兵法家伝書だと、それについても、「まだ至極ではない」としてま砂。

2013-01-15 00:39:49
神無月久音 @k_hisane

じゃあどんなのが至極なのよ、というと、「無心とて、一切心なきにあらず。唯平常心なり」と言ってるわけで、「普段の心のままでいることが至極だよ」と。どんな時でも、普段通りの心のまま技が振るえるのが、兵法の至極の境地であると。

2013-01-15 00:43:47
神無月久音 @k_hisane

実際、兵法家伝書でも型の名前を挙げた次に、「右の数々を能々習ひ得て、此中より、千手万手をつかひ出すべし。三学九ヶなどと云ふは、大体を云ふ也。此道をよく得てより、太刀の数を云ふべからず」と書いて、型に固執することを戒めてますしね。肝心なのはそれをどう使うかであると。

2013-01-18 02:29:59
武心インデックス @g369

武術におけるロマン的な個の強さの追求はもちろん素晴らしい事なのだが、現実的な話では「大なる兵法」があって、武は活きる。兵法家伝書曰く「兵者不祥の器なち、天道之を悪む、止むことを獲ずして之を用る、是天道也」

2013-01-16 05:13:49
武文研/居合文化研究会@川村景信 @kawamurakeishin

剣術の極致とは何かと問われれば、持ったものを須らく「剣」と成すことだと答える。即ち小枝を持たば小枝を、敵を捉えたれば敵を「剣」と成すことである。適当に書いているが、それが極致ぞ。

2013-05-10 00:10:08
武文研/居合文化研究会@川村景信 @kawamurakeishin

また剣術とは「剣」を扱うことであって「剣」を使うことではない。「剣」に逆らわず、「剣」に身を沿うことである。敵を「剣」と成し、逆らわず、身を沿わせることに大事があるのである。やはり適当に書いているが、それが極致ぞ。

2013-05-10 00:17:28
神無月久音 @k_hisane

家伝書の「無刀之巻」にある通りで砂。 @kawamurakeishin 剣術の極致とは何かと問われれば、持ったものを須らく「剣」と成すことだと答える。即ち小枝を持たば小枝を、敵を捉えたれば敵を「剣」と成すことである。適当に書いているが、それが極致ぞ。

2013-05-10 00:58:37