@hakumo17 フィッシュアンドフィッシュにしたら絶対チップスも恋しくなると思う。いなくなって初めて感じるチップスの大切さ的なノリで。
2012-12-15 00:18:19@40kun なるほど…フィッシュ遺伝子とチップス遺伝子が同時に存在して初めてビールの友という表現型が発現する的な… #理系のわかりにくい喩え
2012-12-15 00:23:17@hakumo17 フィッシュアンドチップスの本質はむしろチップスにあり、大量のチップスは一種の諧謔であり、おいしいフィッシュは装飾に過ぎないのである。 #文系のわかりにくい解説
2012-12-15 00:29:04@40kun フイッシュ衣の柔らかさを肯定することは内発的な情動に対して開かれた態度を示唆しているが、一方チップスの存在を否認することは男根的すなわちエディプス的象徴の拒絶を意味し、ここに対男性関係に関して何らかの抑圧があるものと思われる。 #フィッシュ&チップスと精神分析
2012-12-15 00:39:34@hakumo17 フィッシュ衣は他者と白身魚の媒介者に過ぎないのであるが、フィッシュ衣が巧み纏われているとき、他者はむしろフィッシュ衣に喜びを見出してしまうという罠がある。このフィッシュ衣の重要さゆえにフィッシュアンドチップスはフィッシュがメインであるかのように錯覚される。
2012-12-15 00:52:00@hakumo17 ご指摘ありがとうございます。フィッシュ衣はあくまでフィッシュ衣であり、衣だけでは存在し得ないため、やはり白身魚を含めたフィッシュが重要視されるのではないでしょうか。フィッシュの重要な論点の一つとしてのフィッシュ衣であると思われます。 #マジレス
2012-12-15 01:00:53@40kun 料理としてのフィッシュの存在を担保する上でチップスが不可欠なのは理解しました。しかしながらやはりチップスはフィッシュに対して助の立場にあるのであり、フィッシュがメインという認識は「錯覚」とは言えないのではないかと考えます。
2012-12-15 01:11:20@hakumo17 チップスが助の立場になるのでしょうか。そもそもフィッシュアンドチップスは白身魚のフライもフライドポテトも両方好まれたがために同じお皿に乗ったのです。確かにチップスがメインというのは過言かもしれませんが、フィッシュに対し助の立場だというのはフィッシュの傲慢です。
2012-12-15 01:21:34@40kun 私はフィッシュとチップスの不平等性がこの料理を成立させていると考えます。チップスにとってはまことに残念なことですが、軽視されたとき、その存在が最も輝くというパラドクスが存在するのです。
2012-12-15 01:30:20@hakumo17 今の私にはフィッシュの優位性が理解できないため、一度フィッシュアンドチップスを食さねばなりません。しかし私はフィッシュをもっと食べたいと志向させるためのチップスであると考えるので、フィッシュの美味しさはやはりチップスありきだと思うのです。
2012-12-15 01:35:54@40kun このリプライに限り、私は完全に同意します。チップスなくしてフィッシュは存在できないという点においてチップスの優位性を認めます。フィッシュの優位性はフィッシュに内在するのではなく、チップスと一つの料理として存在するために形式的に与えられたロールのようなものと考えます。
2012-12-15 01:44:02@hakumo17 ありがとうございます。それではやはりフィッシュアンドフィッシュではフィッシュの美味しさは持続しないのではないでしょうか。フィッシュとチップスを交互に食すことによって両方の美味しさが持続します。よって、フィッシュアンドチップスこそが完全なる形態であります。
2012-12-15 01:48:30