茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第820回「たけのこの里かキノコの山か、クオリアが問題だ!」

脳科学者・茂木健一郎さんの12月30日の連続ツイート。 本日は、昨日に引き続き、世論を2分する大問題について。
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茂木健一郎 @kenichiromogi

しゅりんくっ! ぷれいりーどっぐくん、おはよう!

2012-12-30 06:45:16
茂木健一郎 @kenichiromogi

連続ツイート第820回をお送りします。文章は、その場で即興で書いています。本日は、昨日に引き続き、世論を二分する大問題について!

2012-12-30 07:41:54
茂木健一郎 @kenichiromogi

たく(1)昨日、猫派か犬派か、というテーマを問うた。本日も、昨日に続いて、世論を二分する、たいへんな大問題について論じたいと思う。それはすなわち、「たけのこの里」と「きのこの山」のどちらが好きか、という問題である。これぞ、世論が二分する大問題でありますぞ!

2012-12-30 07:43:56
茂木健一郎 @kenichiromogi

たく(2)ちなみに、私は圧倒的に「たけのこの里」派。ところが、世の中には「きのこの山」派がいて、絶対にゆずらない。講演会や大学の授業などで、「どちらが好きですか」「お前ら、どっちがいい?」と聞くと、本当に半分くらいずつ。それで、お互いに、「えーっ、信じられない!」って言っている。

2012-12-30 07:45:58
茂木健一郎 @kenichiromogi

たく(3)製造販売元の「株式会社 明治」としても、世の中に確かに「たけのこの里」と、「きのこの山」の両派が拮抗しているからこそ、両者をつくり続けているのだろう。それぞれが好きな人が、お互いに「えーっ、信じられない!」と言っている風景こそ、この世の多様性の賛歌ではないか。

2012-12-30 07:48:30
茂木健一郎 @kenichiromogi

たく(4)私は以前、「たけのこの里」vs「きのこの山」問題についてツイートして、みなさんのご意見を募集し、RT、コメントしたことがある(まだネット上のどこかにあるかもしれない)。その結果、興味深いことがわかった。両派の対立とは、すなわち、「クオリア」の好みの問題なのである。

2012-12-30 07:49:54
茂木健一郎 @kenichiromogi

たく(5)「たけのこの里」が好きな人は、あの、チョコレートとビスケットが一体となって、しっとりとした食感がなんとも言えないと言う。それに対して「きのこの山」が好きな人は、チョコとビスケットがぐちゃぐちゃになっているのがいやなのだ、両者を別々に味わいたいのだと言い張る。

2012-12-30 07:51:08
茂木健一郎 @kenichiromogi

たく(6)「きのこの山」が好きな人の中には、「チョコとビスケットを分離して、それぞれ別に食べる」という人もいる。クオリアの好みは相関する。たとえば、「たけのこの里」が好きな人は、カントリーマアムが好きだったり、また「きのこの山」が好きな人は、「ポッキー」が好きだったりする。

2012-12-30 07:52:25
茂木健一郎 @kenichiromogi

たく(7)考えてみれば、「たけのこの里」も「きのこの山」も、お腹の中に入ってしまえばほぼ同じ。チョコレートとビスケットが、どのように分布しているかによって、クオリアの差が生じ、そのクオリアの差が、人々の好みの差へとつながる。クオリアの好みによって、人々が分類されるのだ。

2012-12-30 07:54:31
茂木健一郎 @kenichiromogi

たく(8)人間の脳を考えるときに、「正しい」「正しくない」はあまり意味がない。本当に生きる上で大きな意味を持つのは、「好み」(preference)の問題である。何を好むのが「正しい」ということは、決して言えない。どんな好みも、正解。好みで人生の行く方向が決まり、蓄積されていく。

2012-12-30 07:56:09
茂木健一郎 @kenichiromogi

たく(9)「たけのこの里」と「きのこの山」のどちらが好きか、どっち方向に行くかということによって、人生が少しずつ変わっていく。そう考えると、好みの問題は、きわめて重大である。そして、その好みを先導するのは、クオリア。意識の中で感じる質感こそが、人生の水先案内人なのである。

2012-12-30 07:57:31
茂木健一郎 @kenichiromogi

以上、連続ツイート第820回「たけのこの里かきのこの山か、クオリアが問題だ!」でした。

2012-12-30 07:58:04