- lotusredcat
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発端
@lotusredcat 私のツイートを使ってまとめること自体はご自由に行なって貰って構いませんが、余談1・2は別でまとめて貰えると嬉しいですね。ねーぼんさんみたいな人と同じ穴の狢だと思われたくありませんので。
2012-12-30 04:39:18ということでしたので、別まとめをつくってみました。
以下余談
@neupon08 Yes その通りですね。信用できない感情自体は何ものにも侵されませんが、事実として信頼性が高いことは動かしようがありません。
2012-12-29 02:19:05@lotusredcat どーも中途半端にポストモダンにかぶれた方々は『脱構築だ―』ちゅうて確率論を下に見がちですねん でもポストモダンを突き詰めていくと結局妥当性や確からしさの検討に帰着すると思うんですがね
2012-12-29 02:26:06@neupon08 ふーむ それ自体は中々おもしろい現象ですね。ただまあ妥当性とか確からしさを放棄したら結論なんか一切出ないですけどね。それらにしか担保されてないことだらけなので
2012-12-29 02:29:38@lotusredcat そうなんですよ 構造の否定=絶対性の否定なんですが、それが『でもそれも絶対じゃないよね』になり『じゃあこれだって絶対じゃないね!同じだ!』というふうに発展して、浅い子はここで止まっちゃうんです
2012-12-29 02:32:00@neupon08 疑念を持つこと自体はとても有意性のあることだと思うんですよね。前に日本人は不人情論で考察したように、データだけでなく、その見解や結論の妥当性を再検討することには意義があって、でも疑問符だけで終わってしまうと、有益な情報を無意味に否定するだけになってしまう。
2012-12-29 02:34:18@lotusredcat そやって疑問符を何もかもにつけて回るとと世の中が空集合になっちゃうんですよね シニフィエに運用上与えられている値は定数ではなく変数であるが一定の範囲にある …と気がつけば簡単なんです
2012-12-29 02:37:05@lotusredcat 大抵のものは値がどこにあるかわからなくても、変数に幾つか代入したりすれば大体ここからここまでの範囲にあることは分かると思うんです でも、そういう感覚がない人って案外多いようで…
2012-12-29 02:44:06@lotusredcat デリダの『脱構築』自体が、大きな物語・構造になっちゃってるんだと思うんです 脱構築による絶対性の否定はとても大事な要素なんですが、それを身上にしてしまい視野が狭まった人が出るんじゃないかと
2012-12-29 02:49:02@tshikimi氏の見解
ハハハ、魔界の創造神って人「デリダの『脱構築』自体が、大きな物語・構造になっちゃってる」とか言ってて爆笑してしまったw 「世の中が空集合になっちゃう」とか「シニフィエに運用上与えられている値は定数ではなく変数である」も言い回しが香ばしい。 http://t.co/9psoOd1o
2012-12-30 04:34:07魔界の創造神ねーぼんさんの発言を一方的に抜き出してあげつらうのもフェアじゃない気がしたのでちょっと補足。まぁ大意は汲み取れなくはないかな。脱構築批評が疎んじられている向きがあるのは事実。だけど「脱構築」自体は方法論であって、構造ではない。むしろデリダはそういう見立てを嫌ったはず。
2012-12-30 06:52:56で、「構造」というタームもおそらく構造主義における構造の意味で使ってらっしゃるんだろうけれど、そこでの定義は通俗的な意味での構造とはかなり異なるので正しく文意を伝えたいなら注釈が必要。構造主義の定義での「構造」を文中で述べるときは、ぼくも割と気を使います。
2012-12-30 06:56:38で、脱構築批評はどこで流行ったかというと、ポール・ド・マンらを中心としたイェール大学での思潮が発端だったはず。アメリカの伝統的なプラグマティズムの文化圏の中に脱構築の方法論が輸入され、ポスト構造主義下で多く流通したようなタームを用いて"文学的"に現実の政治を批判する向きが現れた。
2012-12-30 07:14:14