「あの時」 を学ぶ 

第2回東日本大震災心理支援報告研修会 公開講座 http://www.jsccp.jp/jpsc/pdf/20121222senta_higasinihonhoukoku.pdf 「あの時」 何があって どう乗り越えたのか。 体験しなかった人達へ、残しておきたい記録。
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震災関連死2300人ということを考えると、これは全体数の1割にもなる。どうしても震災直後は外科医・内科医などへ目が行ってしまうが、身体だけでなく「こころ」を担当する専門家の重要性を再確認した。ただし平常時はこの分野にスポットが当たることは珍しいので難しい。

私が初めて物資を送ったのは、田母神・チャンネル桜経由の3/19便。もちろん地元市役所の行政ルートでも物資募集をしていたが、ホームセンターへ行っても購入数制限がかかったものばかり。それを1ケース単位・段ボール箱単位でないと受け付けなかった為、民間ルートを選んだ。その後はアマゾンほしい物リスト経由に。

アマゾン経由の支援を普及させたのは「ふんばろう」であったが、平島武文氏の「現地の人をフォローせよ」というのは、ツイッターで情報が混乱する中での大きな判断基準となった。これは放射線関連支援に移った今でも役立っている。

支援は復旧ステージにより求められる物や人が変化してくる。私のような持病を持った者は、震災直後の人的支援に参加できなかったが、長い目で見ると誰もが必ず出番があると思う。

遠くから駆け付ける団体の支援も役立ったと思うが、やはり現地の団体が動き出してからの方が寄付する側として安心感があった。炊き出しも、今では地域コミュニティの交流という重要な役目を担っている。

今回の災害で浮き彫りになった問題点は、現地の行政機関が被災するという「想定外」の事態が起きたこと。被災した身でありながら、ゼロから支援の仕組みを構築した職員の働きは大きい。今後は電気無し・携帯無し・首長無しさえも想定しないと、本当の訓練にはならないと思う。

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