【シューニャリアーナ哲学】言葉と法【The mood of law】
- L_O_Nihilum
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その人間という言葉を定義するために、限定が必要になる ヒトと人間の境界線はその限定だ これを「法」(律法)という 面白いことに、そレ自体を動詞にしたときは「立法」って言う
2012-12-30 23:48:05法をもって人間を定義し、その人間を同一空間に同居させていく かくして社会は出来る 「法」の力は その社会のなかで働くけれど 人間=人かつ人間≠人であることが、そのシステムを解体する
2012-12-30 23:49:18言い換えれば法はどうやらいつもそのうちShallとMusn't、CanやMayではなくShallとMustばかり使っているという事だ
2012-12-30 23:51:10例えばこんな話を作ってみよう。月の王国には国民が100人いる。国王はその倉庫に10000のリンゴを抱えているとする。国王は寛大で優しいから、リンゴを民に自由に与えようと思っている。
2012-12-30 23:52:36国民の腹は一日1個のリンゴで満腹になる。だから、彼らは自分の欲しいだけのリンゴ(=一日一個)を必ず持っていく。王の許可は要らないから、好きなだけ持っていくわけだ。
2012-12-30 23:53:31王がこれだけ寛大なのには理由がある。一日50個のリンゴをならせる大木が王国にあることを知っているからだ。王はここのリンゴがなくなっても、50個のリンゴが一日あたり増えるんだから、そうそう無くなることはないだろうと考えたのだ。
2012-12-30 23:54:48民は「好き勝手に」持っていく。一日一人一個。100人いるんだから、一日100個消費されることになる。
2012-12-30 23:55:25そのまま放置していたら、(大木の樹の生産速度を除外すれば)単純計算で100日でこの国のリンゴは底をつく。50個リンゴが一日に増えていくとするけれど、それで補給できる日数はいくつ?
2012-12-30 23:56:29国王は重大な政策ミスを冒してしまっていた 自分のところにあるリソースを完全にフリーにしていたため、最終的に民の腹を満たすリンゴを供給できなくなっていたのである。需要と供給のバランスが崩壊している。
2012-12-30 23:57:47かくして足りなくなるという原理を、経済学では『希少性』という。
王は考えるべきだった、とここで言わなければならないかもしれない。そう、それが「法」の意義だろう。法はこうした「好き勝手」を限定することが出来る。それが国王の脳には無かったのだ。
2012-12-30 23:58:57このモデルは、僕が小学生のころ自分の文房具や道具箱の道具を自由に他人に貸していたころのことをもとにつくったものだ。
2012-12-30 23:59:27僕は他人によくいじめられていたと思っていたので、自分はやさしくなろう、とした。だから無尽蔵に貸していたわけだが、そのうち自分が使う分が無くなってしまう。しまいには、他人に貸すことすらできなくなってしまうのだ。
2012-12-31 00:00:07つまりリンゴの例に戻せば、リンゴの分配を需要・供給のバランスを考えつつ、配分し、その配分を了解するために、民にそのことを契約しておかなければならないから、である。
2012-12-31 00:01:29国が一日でも長く持つように、リンゴの樹の生産スピードを鑑み、自分の庫のリンゴをより良く、分配できるように民衆の意思を制限・制約する明文化が、どうしても必要になってしまうのである。
2012-12-31 00:02:34ではどうだ?そのようなMood(ムード、と日本語でも言う事をつけくわえておくぞ)を持つ法を、民は理解するだろうか?了解するだろうか?…無理だろう。自分たちの意思を阻害するような、そんな文章に自らが填め込まれることは恐怖でしかなかろう。
2012-12-31 00:04:06