八光流柔術の稽古日誌をブログにアップしました。脱力というのは要は相手の力とぶつけるのではなく受け入れるという感覚が必要なのかもしれません。相手の技を防いで悦に入っているようでは決して身につかない感覚です。柔術稽古日誌「力の抜き比べ」http://t.co/TrW8EfJP
2012-07-17 10:21:08力の抜きっこ! RT @ankoroneko: 脱力というのは要は相手の力とぶつけるのではなく受け入れるという感覚が必要なのかもしれません。相手の技を防いで悦に入っているようでは決して身につかない感覚です。柔術稽古日誌「力の抜き比べ」http://t.co/pnMUVRTJ
2012-07-17 23:22:43全体として、演奏に際して「いかに脱力するか」(いかに力みをとるか)が主要なテーマだった。むー、これは普遍的な難題だよねえ。
2012-10-14 21:21:20楽器を演奏するとき、わたしたちの多くにとって深刻な悩みになっているのが「力み」と「緊張」。いかに脱力するかを実に多くのひとが探し求めている。
2012-10-19 10:27:37もう、指導者には言いたい。特に和太鼓業界だよ。生徒さんは殆ど皆、全然脱力出来ないんだよ!?少なくとも最初はさ。なのに力みを助長するような指導してどうすんのさ!下手したら故障続出だぜ?
2012-11-28 17:54:28脱力というのはもうちょっと突き詰めると最適な運動というところになるのだけど、その身体運動の最適化に至るための大前提として、脱力がある。
2013-01-12 00:43:11当流は脱力の重要性を初学の事として学ぶが、先代の時代からはあるので、最低でも100年はる。新陰流の伝書など観る限りは数百年単位で脱力は説かれている。 力みまくって抜けるのを待つ…方式を唱える人もいるが、初心の内は脱力を意識させても力む。
2013-01-12 00:50:46ぱっと出典を出せるのは悒貫書だろうか。「第十ニ 初心の内悪ししよさ并(ならび)身くせ(癖)の事」の中で「身にちからを入事」とあり、「第十三 同能(よき)しよさの事」では「身にりきミ無事」とある。
2013-01-12 00:54:17似た様なもので同じく「悪ししよさ」では「かたをさす事」とあり、「能しよさ」では「かたを落す事」とある。対義的なので「かたをさす」は力んで肩が上がる状態の事を指していると思われる。
2013-01-12 00:58:59以前の武道の師匠がよく脱力とか力要らないとかそんなわけないだろ!ってよく怒ってた。力がなければ運動は起こらない。 完全な無からは宇宙は出来ないから無にゆらぎがあって…じゃあ無じゃないじゃん!なので概念的には無のようなものです。みたいな感じに似ているのだろうか。
2013-02-10 21:15:13@mototchen ありがとうございます。この入力からの脱力というのが、やはり初期の稽古の段階の、「目一杯入れてもどうにもならず、抜くと動ける」という実験が該当するのでしょうが、慣れてくると省いてしまいます。
2013-02-10 21:20:41本気で脱力出来たら立つことも出来ない。というわけで「目的に対する運動において、適切な筋収縮を行う」と表現すればかなり正確な、世に脱力と称されるものの表現になると思う。でもこれじゃあどうすればいいのか全然わからない。
2013-02-10 21:16:46@mototchen しかし想像以上に脱力は難しいのが事実なので、本当はもっと普遍的に行うべき事なのかとも・・・。この辺りが流儀の体系と突き合わせるといまいち不明な部分です。
2013-02-10 21:22:52@ttswordfish なるほど。そういう方は何かかしら力の有益性から脱却できない部分があるのかもしれませんね…。確かに無益なわけでもないのですが、あるものを失くすのではなく、あるものを調整する…という表現のほうが腑に落ちるかもしれませんね
2013-02-11 04:18:04@j893VYBPfU 凄く細かな表現を突き詰めますと、必要最小限というよりも、流儀の条件下において、最適な入力程度を目指すという所になるかと思います。もちろん流儀によって考え方は色々なのだと思いますが。
2013-02-11 05:02:17@j893VYBPfU 剣術や抜刀のような刀を振るという事よりも、文字通り「やわら」はさらに脱力を求められるのですが、それは相手を制するという意味ももちろんあるのですが、もう一つが陰性随意筋の働きを生むという側面もあります。まあここらへんはあくまでも古伝ではなく研究ですが
2013-02-11 05:03:45@mototchen ありがとうございます。あんころ猫さんとはまだお会いした事はないのですが、友人がよく稽古されてました。参考にさせて頂きます。
2013-02-11 05:06:25これはもちろん古伝でもなんでもなく、恐らくそうだったのではなかろうか、という程の所で、(当流における)柔が果たす役割という事をよく考える。初学の事は脱力訓練法が二種ほどある。これは他の流儀でも見られるような簡単なものだ。そこから合気揚げのような柔の技に入る
2013-02-11 05:09:06剣術では初学の事として、立ち木打ち、吊り木打ちがあり、それは裂帛の気合を用いたもので、柔とある意味対極にあるようだ。脱力は実戦から乖離した存在ではない。むしろ要であるものの、初学者がそこにのみ依存するのではなく、大雑把でインスタントな効用も必要になる。
2013-02-11 05:11:19