防御についての備忘録(3)

ペロポネソス戦争を眺めながら、海洋国家の戦略について独り言
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名無し整備兵 @seibihei

第2次ペルシア戦争の防御戦で最も有名なのが、テルモピレーの戦いだろう。漫画的な誇張はあるとはいえ、映画化もされ、日本に於いては毎年2回再現されている

2010-08-22 01:04:50
名無し整備兵 @seibihei

日本における夏と冬のテルモピレー再現は、海辺とはいえ平坦地で行われているのでピンとこないが、当時はもっとも狭い部分で幅15m程度の隘路であり、ここに柵などの準備をして待ち受けていたようだ

2010-08-22 01:11:17
名無し整備兵 @seibihei

もちろん最後はペルシア軍が迂回路の間道を利用し、ギリシア軍の背後に回って包囲撃滅している。ただし、この迂回路は狭い山道であり、ペルシア軍主力が機動路として使用できるような道ではない。

2010-08-22 01:14:03
名無し整備兵 @seibihei

逆に言えば、敵主力が機動路として使用できる唯一の経路を押さえたから防御戦闘が可能になったわけで、他に経路があったら迂回されて終わる。

2010-08-22 01:16:28
名無し整備兵 @seibihei

防御の目的とは、敵の攻撃を破砕することである。即ち、敵が必ず攻撃しなければならないようなチョークポイントに陣取らない限り、有効な防御は出来ない。

2010-08-22 01:17:59
名無し整備兵 @seibihei

先日述べた攻城戦では、攻撃側の理由は「敵の首都を攻略することにより戦争を終結させる」か、「戦略要地の城を奪い、敵に不利な態勢を強要する」ことだった。

2010-08-22 01:20:08
名無し整備兵 @seibihei

野戦においては、前者の理由は成り立たない。即ち「チョークポイントとなる戦略要地であり、しかし本格的築城がなされていない地域」で待ち構えるのが、野戦における防御となる

2010-08-22 01:21:47
名無し整備兵 @seibihei

テルモピレーでは、ギリシア軍はファランクスを組んで前進し、あるところまで来たら敗走するように見せかけて敵をおびき寄せ、振り向いて撃破した、とされている。ただこれは怪しい。

2010-08-22 01:33:08
名無し整備兵 @seibihei

ガチムチ男が隙間無くぎっしり密着した、お好きな人にはたまらないファランクスでは、そう簡単に方向転換するような軽快さは考えにくい。また、このような戦い方では、せっかく準備した柵などが活用できない

2010-08-22 01:37:16
名無し整備兵 @seibihei

常識的には、ファランクスを組まない程度に散開した歩兵が、柵から射撃する我の弓兵や投石兵の射程内まで敵をおびき寄せ、最後にファランクスでとどめを刺した、と見た方がいいのではないだろうか。もちろん、史料的に裏付けるものは無い。

2010-08-22 01:42:07
名無し整備兵 @seibihei

ここで見るとおり、近代以前では、「防御」に使用される戦闘手段は「攻撃」と大きく変わるものではない。射撃する兵士を守る何らかの手段を得られるのは違いだが、射撃だけで敵の攻撃を破砕するようになるには、あと2千年ほど待たなければならなかった

2010-08-22 01:51:26
名無し整備兵 @seibihei

もちろん、これは野戦におけることである。敵との直接交戦を避けることが出来、また高い位置からの観測・射撃を可能にする「城壁」の価値は、十分高いものがあった。

2010-08-22 02:05:01
名無し整備兵 @seibihei

ペロポネソス戦争では、今論じている話題について、戦術的には特記すべき事項は無い。ただ、戦略と戦術の関係については無視できないし、まさにこの理由のため、ツキジデスは現在まで読まれている。

2010-08-22 02:15:55
名無し整備兵 @seibihei

次は戦略的防勢と戦術的攻撃について。君は生き残る事が出来るか。

2010-08-22 02:30:39
名無し整備兵 @seibihei

ペロポネソス戦争に於いて、アテネもスパルタも必ずしも戦争が望ましいものとしているわけではなかった。いずれの勢力圏も「三十年の和約」で認められており、現状から利益を得ていた

2010-08-25 23:42:53
名無し整備兵 @seibihei

戦争勃発の引き金となったのは、それぞれの同盟国の行動であり、同盟の盟主が上手く話をつければ戦争にいたることはないはずだった。にもかかわらず、アテネのペリクレスはスパルタからの交渉に応じようとしなかった

2010-08-25 23:48:16
名無し整備兵 @seibihei

逆にペリクレスは、スパルタを挑発するような外交を繰り広げた。老練な政治家の彼が、確実に利益を得られるであろう現状維持を望まなかったのは何故だろうか

2010-08-25 23:53:05
名無し整備兵 @seibihei

ドナルド・ケーガンは、これを将来より大きな戦争が惹起するのを防ぐための予防戦争を目論んでいたのではないか、と解釈している。ここでスパルタ側に無謀な戦争を仕掛けさせ、これを打ち破ればアテネの覇権は安泰、という理屈だ

2010-08-25 23:56:05
名無し整備兵 @seibihei

敵が強力になる前に出鼻を挫く予防戦争は、将来のより大きくより悲惨な戦争を防ぐという魅力がある。しかし、予防のつもりが「より大きくより悲惨な戦争」を引き寄せてしまった事態のほうがむしろ多いだろう。これはその典型例かもしれない。

2010-08-26 00:01:41
名無し整備兵 @seibihei

ともあれ、アテネはスパルタを戦争に引きずり込んだ。しかし、スパルタを盟主とするペロポネス同盟は人口においてアテネのデロス同盟を上回り、陸戦に投入できる兵力では圧倒的にアテネが不利

2010-08-26 00:06:37
名無し整備兵 @seibihei

一方、海戦は昔からアテネの得意技。陸軍国家と海軍国家の戦いとして、後の地政学にも影響を与えるこの戦争を、ペリクレスはどのように戦うつもりだったのだろうか

2010-08-26 00:08:57
名無し整備兵 @seibihei

ペリクレスは、野戦ではスパルタ側に勝てないとよく承知していた。そのため、アテネに籠城し、陸戦は回避するよう努めた。

2010-08-26 00:12:12
名無し整備兵 @seibihei

アテネは高台にあるが、海への出口であるピレウス港までの回廊を城壁で防護しており、海上から出撃するのはいつでもできる。アテネ軍は、地上から進撃してくるスパルタ軍と直接戦うことなく、敵後方に上陸し脆弱な地点を攻撃することを目論んだ

2010-08-26 00:16:55
名無し整備兵 @seibihei

また、経済的に弱体なスパルタ軍は長期の遠征ができないし、ギリシアの土地は大軍が自給自足できるほど肥沃ではない。つまり、陸上から遠征してくるスパルタ軍は、そう長い間アテネを包囲できない。アテネにはそのくらい耐え忍ぶ財力がある。そういう判断だった

2010-08-26 00:19:44
名無し整備兵 @seibihei

現代に生きる我々は、これと似たような戦略をどこかで聞いたことはないだろうか。そう、「イギリス流の戦争」である。かつてイギリスは英仏海峡を防壁となし、優勢な海軍力で「好きなところに軍隊を上陸させ、好きなときに撤退させる自由」により大陸の陸軍国を苦しめた、と主張されている

2010-08-26 00:23:40