山本七平botまとめ/われわれは、北条政子や徳川家康が抱いたような危機感を持って「守文」を考えているだろうか?/~守文(維持的発展)は「創業の精神に立ち戻ること」ではない~

山本七平著『帝王学「貞観政要」の読み方』/いま、なぜ貞観政要なのか/16頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

1】「貞観の治」――これは中国では、理想的な統治が行われた時代の一つとして、後代の模範とされた時代である。 日本は中国の影響を強く受けたといわれるが、正しくはむしろ「唐の時代の影響を最も強く受け、後に宋学の影響もうけた」というべきであろう。<『帝王学―貞観政要の読み方』

2013-01-11 00:57:38
山本七平bot @yamamoto7hei

2】これは日本の文化にとって、非常に幸運であった。 他の国の文化を輸入して継承したケースは多くの国にもあるが、それは必ずしもその国の最高とされる時代のものでなく、時には頽廃を輸入・継承する場合もある。

2013-01-11 01:27:50
山本七平bot @yamamoto7hei

3】ところが日本は、唐が衰退・頽廃の時代に入ったころには、遣唐使の派遣をやめてしまって、すでに得たものを自己の伝統の中に組み込むことに専念していた。 従って『貞観政要』的な考え方・見方は、一種の「感覚」となって現代にも残っている。

2013-01-11 01:57:37
山本七平bot @yamamoto7hei

4】だが『貞観政要』そのものが輸入されたのははるか後代で、桓武天皇の頃ではないかと思われるが、或いは記録にないだけで、もっと古いのかも知れぬ。 いずれにせよ、本書はまず帝王の必読書として天皇に進講され、やがて北条、足利、徳川氏らが用い、民間でも知識人の必読書として広く読まれた。

2013-01-11 02:27:45
山本七平bot @yamamoto7hei

5】さらに僧侶にも読まれ、法話の中に引用されているが、面白い事に日蓮はこの書を筆写している。 だが、それはおそらく彼だけであるまい。 というのは、文学の中の本書からの引用は実に多いからである。 現在でも多くの人がこの書の中の言葉を知っているのは、むしろ、その引用からであろう。

2013-01-11 02:57:38
山本七平bot @yamamoto7hei

6】それが「創業と守成いずれが難きや」といった日本的表現になり、同時にこの「問い」は知っていても「答え」は知らないという現象を生じたのかも知れない。 いずれにせよそのような形で…日本人に広く影響を与えたことが『貞観政要』的な考え方・見方が、今でも残っている理由であろう。

2013-01-11 03:27:46
山本七平bot @yamamoto7hei

7】【北条政子と徳川家康はなぜ愛読したか】そういう一般的な影響とは別に、本書自体から強く影響を受けた代表的人物をあげれば、一人は尼将軍北条政子、もう一人が徳川家康である。 政子も家康もNHK大河ドラマの主人公だが、不思議なことに『貞観政要』は登場しなかったらしい。

2013-01-11 03:57:37
山本七平bot @yamamoto7hei

8】特に政子の場合は、自分が漢文に習熟していないことをよく自覚していたから、菅原為長に命じてこれを日本語に翻訳させている。 当時の教養人は、原典を漢文のまま読むのを当然としていたから、これは「日本翻訳史」の第1ページを飾る出来事かも知れぬ。

2013-01-11 04:27:50
山本七平bot @yamamoto7hei

9】私などは、教養人ぶらず、知ったかぶりをせず、翻訳させて本書を読みかつ学んだという点で、政子という人物は、ただものではないという気がする。 では、なぜ政子がそれまでして読んだのか、それはおそらく頼朝が愛読していたからだと思われるが、これについては記録がない。

2013-01-11 04:57:38
山本七平bot @yamamoto7hei

10】家康のような「勉強家」が、本書を読んだことは不思議ではない。 いつごろから読みはじめたか明らかでないが、文禄二年(1592年)に藤原惺窩を呼んで講義させているから、この時点で確実に学び終えている。

2013-01-11 05:27:48
山本七平bot @yamamoto7hei

11】これは関ヶ原(1600年)の7年前だが、この時点で彼は、いずれは天下を征覇するという野望の下に「帝王学」としてこれを読んだのか、単に、リーダーと部下との真の在り方はどうあるべきかを学ぶために読んだのか明らかではない。

2013-01-11 05:57:38
山本七平bot @yamamoto7hei

12】しかし慶長五年に、すなわち関ヶ原の戦いの半年前にこれを開板(出版)させているところを見ると、このころにはすでに「天下を取った後のこと」を考えていたものと思われる。 そしてこのことは、いずれにせよこの7年間、『貞観政要』が常に彼の念頭にあったことを示している。

2013-01-11 06:27:46
山本七平bot @yamamoto7hei

13】「草創と守文といずれが難き」 ――といっても『貞観政要』に記されているのは大体「守文」(維持)の難しさの点である。

2013-01-11 06:57:42
山本七平bot @yamamoto7hei

14】確かに創業は大変だが、その大変さはいわば「陽性」であり「モーレツ社員」の大変さ――これも外観的には確かに「大変」であろうが――に似ていて、頑張れば成果が目に見える形で現われてくるという大変さである。

2013-01-11 07:27:50
山本七平bot @yamamoto7hei

15】ところが「守文」(維持)はこれと違って、その大変さはむしろ「陰性」で、毎日が「シンドイ」といった感じである。 そしてその「シンドイ」ことを根気よくつづけても、すぐ、日に見える成果が現われてくるわけではない。 それでいて決して油断はできない。

2013-01-11 07:57:37
山本七平bot @yamamoto7hei

16】政子や家康が『貞観政要』を一心に読んだのも、その前に、「創業」に成功して「守文」に失敗したものがいたからであろう。 武家政治の創業はむしろ平清盛であろうし、全国統一の創業は信長、完成者は秀吉であろう。

2013-01-11 08:28:01
山本七平bot @yamamoto7hei

17】では、なぜ彼らに維持・守成ができなかったのか、どうしたらその轍を踏まないですむか。 この問題意識があったからであろう。 私は政子が読んだのは頼朝が読んでいたからでないかと想像しているが、そう想像する理由は、頼朝自身に常に「守文」(維持)という意識が明確にあるからである。

2013-01-11 08:57:41
山本七平bot @yamamoto7hei

18】そして以上のような意識をもてば『貞観政要』はまさに格好の教科書である。というのは、この書の主人公である唐の太宗が、頼朝や家康にやや似た位置にいたからである。 そして『貞観政要』に唐289年の維持の基本を学んだ事が、鎌倉140年、徳川260年の、重要な要因であったであろう。

2013-01-11 09:27:57
山本七平bot @yamamoto7hei

19】【「守文」を考えたことがない現代人】だがいずれの場合も「創業」といっても、たとえばアメリカの独立のように、全く新しい国を新しい制度の下にはじめるという意味の創業ではない。

2013-01-11 09:57:40
山本七平bot @yamamoto7hei

20】太宗もそして政子も家康も一種の「継承的創業」である。そしてこの点では明治も戦後も同じでいずれも前の時代の「継承的創業」である。だがその創業期は明治であれ戦後であれやはり一種の創業期であり、やがてそれはある時点から守文(維持)ないしは維持的発展もしくは維持的衰退の時代になる。

2013-01-11 10:27:59
山本七平bot @yamamoto7hei

21】これは時代的にもいえるが、その時代の中に生きる個々の企業にもいえる。 たとえその企業が戦前から存在しようと、一切が壊滅したに等しい戦争直後は、ある王朝の末期の混乱と無政府的状態に等しくなっている。

2013-01-11 10:57:42
山本七平bot @yamamoto7hei

22】そこから立ちあがり立ち直り発展することは、ちょうど隋が滅びて唐が立つような状態であり、これも「継承的創業」である。 これは倒産会社の再建にも、ベンチャー企業の創業についてもいえる。

2013-01-11 11:27:57
山本七平bot @yamamoto7hei

23】それなら、同じように、つづく「守文」を考えねばならぬはずだが、この点、果たしてわれわれは過去に学んでいるであろうか。 簡単にいえば、政子や家康のような一種の危機感をもって「守文」を考えたであろうか。

2013-01-11 11:57:40
山本七平bot @yamamoto7hei

24】少なくとも、明治は考えなかった。 明治は確かに継承的創業に成功したが、ここからは「守文」だという明確な意識は見られず、創業的発展が永久につづくかのような錯覚をもっていたと思われる点がある。 そして、昭和はその錯覚を継承して破綻した。

2013-01-11 12:28:02
山本七平bot @yamamoto7hei

25】ではその破綻の中から、継承的創業でなしとげた戦後の発展はどうであろうか。 我々は「ここからは守文だ。ではどのようにして、創業とは別の困難がある維持的発展をなすべきなのか。それには基本的にどのような心構えが必要なのか。それは創業の時の心構えとどう違うのか。(続

2013-01-11 12:57:41