ロシャールさんと丹羽先生とエートス
ベラルーシのエートスとロシャールさん
繰り返し間違っていますが、ベラルーシのエートスのスポンサーはEC、欧州委員会。エートスの参加団体は、フランス側が4カ所。CEPN(ロシャールさん)、Mutadis(ドブレイユさん)、パリーグリニョン国立農業研究所(オラニョンさん)、コンピエーニュ工科大学(ル・カルディナルさん)。
2013-01-15 21:59:55ICRPがバックアップしたのではなくて、ロシャールさんがICRPの第4委員会の委員だったから、エートスの経験をもとにICRP111を書いています。だから、順番が逆。ICRPの他の委員を説得したのはロシャールさんの方。
2013-01-15 22:02:29そもそも、ベラルーシのエートスでアレヴァは手を引くという前に来ていない。ICRPの他の委員会のの人もベラルーシに訪問には来ていますが、合計一年もベラルーシの田舎の村に住んで粘ったのはロシャールさんたちだけです。
2013-01-15 22:07:07ロシャールさんたちは、住民に測定器を配り、住民が情報を管理するというエートス計画が軌道にのって、住民たちでできるようになったので、ベラルーシの政府機関、ゾイアさんたちのBBRBICに引き渡しています。1996年の最初のエートスから、そこにくるまで色々かかって15年程。
2013-01-15 22:11:13だから、エートス計画(その後のコア)も最初から手をひくのは予定されていました。オルマニー村で右も左も分からなかった若いお母さん達は、15年後の今では村の放射線防護の指導者になっています。
2013-01-15 22:13:15書いたかどうか忘れましたけれど、ロシャールさんは、『私も孫がいる年だし、ベラルーシは軌道にのってきたから、15年の記念をして、もうやめようと思ってた』と言っていました。それが2011年。そして、震災、そしてその後の原発事故。
2013-01-15 22:21:13丹羽先生とロシャールさん
そうすると、丹羽先生が『えらいこっちゃ』『ジャック、あんたの言うとった、社会的な放射線防護のなんとかを教えてくれ』とガンガン電話をかけて説得されたので、福島でICRPのダイアログをすることになりました。だから、あれは丹羽先生・ロシャールさんの二人で切り盛りしています。
2013-01-15 22:26:35丹羽先生は、もともと放射線生物学の人なので、社会での放射線防護、核事故の対応などは専門外でロシャールさんの専門です。お二人とも、ICRPの主委員会の委員なので、丹羽先生は社会的な防護の話の時はずっと黙っていて、生物の話になるとコメントするという感じだったそうです。
2013-01-15 22:30:25そもそもICRPは無給のボランティアで、丹羽先生は、頼まれたからしょうがないと思って引き受けられていたそうです。もちろん、放射線の生物への影響はICRPの分野でも大事な一分野なのですが、まさか、こんな核事故の話になるとは思ってなかった。
2013-01-15 22:33:12一昨年の秋に、甲斐先生と丹羽先生を連れて、ロシャールさんの三人でベラルーシに行っています。事故後半年くらいですね。この時に、丹羽先生は計測器を持っていって家や周りを測って『ほんまに低いな』と言われていたそうです。居住区での減衰は速く、25年後にはほとんど自然レベルです。
2013-01-15 22:36:27オルマニー村に行ったのか、ストリン村に行ったのか、今回あんどーさんたちの行っていた、クマリンに行ったのか、わたし、名前を忘れました。この話を聞いた時には、ベラルーシの地名が頭にはいってなかったと思うから、聞いても覚えられなかったと思う。
2013-01-15 22:38:02丹羽先生は、ベラルーシで実際に見てから、『福島を見捨ててはならない』と新聞でも書かれていたように決意されて、しかも、実際にそれが可能であるという感触を得て、ダイアログをしていこうということになったわけです。
2013-01-15 22:41:18福島のエートスとロシャールさんと丹羽先生
福島のエートスの方としては、あんどーさんがロシャールさんの資料を翻訳したいと言っていたついでに、ロシャールさんに連絡して質問した人がいたので(実は私ではない)、それをきっかけに知り合いになっています。
2013-01-15 22:43:25丹羽先生に『こんなことを言ってる人がいるよ』と連絡したのは、ロシャールさん。丹羽先生がダイアログとICRP全体の現地担当(日本担当)ということなので、『丹羽先生にいって、ダイアログに参加したら』とロシャールさんが言ってあんどーさんが参加したのが、第二回ダイアログ。
2013-01-15 22:47:41だから、ICRPがエートスのバックにいるというのも違っていて、丹羽先生やロシャールさんと仲良く協力しているのは事実だけれど、別にバックではありません。お二人とも面白いひとです。ちなみに、丹羽先生は関西弁。結構本音で話します。ロシャールさんは気を使って話すタイプですね。
2013-01-15 22:58:54丹羽先生の心の変遷が興味深いです.@birdtaka さんの「ロシャールさんと丹羽先生とエートス」をお気に入りにしました。 http://t.co/tp3HpEyV
2013-01-15 23:06:45ロシャールさんは、『丹羽先生があれだけ言ってこなかったら、日本には来てなかった』と言っていました。事故の直後は、とにかく、なんとかしないと、という気持ちだったのでしょう。RT @J_Tphoto: 丹羽先生の心の変遷が興味深いです.
2013-01-15 23:15:57@J_Tphoto @birdtaka もひとつ言うと、丹羽先生は、ICRP111は事故前には読んでいなくて、事故後に読んで『なかなかよう書けとるな』とか言われた、とロシャールさんは笑ってました。
2013-01-15 23:19:55@buvery @birdtaka 丹羽先生がそう言っている所が目に浮かぶw。ダイアログでの司会っぷりを拝見していると、丹羽先生には元々被災地と寄り添う(これは実に難しい事だと思います)為に必要な物が備わって居たんだと感じます。責任感を持った先生みたいな委員が日本にいて良かった。
2013-01-15 23:27:37@J_Tphoto @birdtaka 丹羽先生は、たまたま頼まれて、いっちょやっとこか、と委員になっていただけで、事故だから指名されたわけではなく、全く偶然なんですよ。
2013-01-15 23:29:00