『会田誠 天才でごめんなさい』展への抗議関連の議論
@frroots 検閲したいとも思わないので、ああいう主張を消して欲しいとは言いません。だから、いつもムカつくと言ってるのです。言語で。「本当にムカつく。あいつら、また当事者を踏みやがった」と。これでよろしいでしょうか?
2013-01-29 12:44:09@renrakufontda 虐待被害者がさらされるカムアウト選択の暴力と、芸術作品の制作・展示・鑑賞における作者の属性考慮を同列に論じるのは、コンテクストの区別がやや大雑把すぎるような気がいたします。前者を批判しつつ後者の文脈の独立性を確保することは両立するように思います。
2013-01-29 12:50:03@renrakufontda もちろん現実には文脈が混淆して暴力的な解釈が生じることは大いにありえます。渋谷さんの解釈がそういうものなのかどうか、私にはにわかにはわからなかったのですが、font-daさんのお考えはわかりました。引き続き考えてみます。ありがとうございます。
2013-01-29 12:50:39@frroots はい。私は分析の結果を何かを述べているのではなく、フェミニストが虐待被害者をポリティクスに利用することの反復だとして、とにかくギャンギャン怒っているのです。確かに大雑把かもしんないですけど、論の背骨に対する反論をいただいたわけでもないので、以上です。
2013-01-29 13:00:18「フェミニストが虐待被害者をポリティクスとして利用している」という批判は、今の場合だと、「虐待被害者は日常的にカムアウト選択の暴力にさらされていて、フェミニストの芸術批判はそのコストの上に成立している(被害者への暴力の反復となりうる)」という批判だということでいいのかな。
2013-01-29 13:12:20もしそうだとすると、そのときその批判は、「女性は日常的に男性の暴力的な欲望にさらされていて、欲望の芸術表現はそのコストの上に成立している(女性への暴力の反復となりうる)」というフェミニストの芸術批判と相似形をなさないだろうか。どうだろうか。よくわからない。
2013-01-29 13:12:44言うまでもなく「犬」は「お芸術とポルノの境界は果たして自明のものなのか?」という問いのための試薬のようなものです。問いをより先鋭化するため、切断や動物扱いという絶対悪の図像を選択しました。多くの人が指摘する通り、このたびの喧々囂々の議論は、最初から作品に内在していたものでしょう。
2013-01-29 12:42:48RT。確かにその「問い」自体は。勿論「今さら」な問いを繰り返す事に何の問題もないけれど、だとすると繰り返し方が焦点になる。その「問い」自体は特に先鋭的なものではないのだから、少なくとも「そこを問うているのが凄い!」を擁護のポイントにする解釈者がいたら、それは不十分だろう。
2013-01-29 13:16:15個人的に気になるのは、批判側にも擁護側にも、その「問い」は長く問われ/問題視されてきた(新しくはないが重要な)問いだよねという前提が共有されていないのかな?という主張が出ているように見えるところで、だとしたら逆にまさしく今その問いを問い続ける意味はあるのかもしれない、とさえ。
2013-01-29 13:21:07今回の会田誠展騒動の批判派側の問題意識をもう少し洗練させるとどういう主張になるのかを考えている。今日の勉強会のあとカレーでも食いながらみんなとお話するか。
2013-01-29 14:21:08とりあえず「二次元だろアートだろ現実の話と混同すんなw」的な話については、性的表現規制にかかわる特定の文脈で納得することもあるし「表現が行動に直結する」とは微塵も思わないけれど、表現だから「現実」と無関係だという議論に賛成しない程度には表現物の力を信じているタイプです。
2013-01-29 14:24:40もし自分が主張するなら、「陵辱系ファンタジーを公の場で展示することによって、それに対する忌避感が社会の中で薄れてしまうことに対する危惧」について語るかなと思う。日本の社会はこういう性的表現にかなり寛容なほうのだけど、最近はちょっとさすがにやりすぎなんでないの?、と。
2013-01-29 14:27:55自分としてはこれは「ちょっとやりすぎなんじゃないの」と「これくらい認めてよ」との争いであって、境界線の押し合いみたいなものと認識してる。どちらかがどちらかの主張をノックアウトして片付くような話ではない。
2013-01-29 14:29:00不道徳な表現があることの「社会的意義」自体は批判派側としても認めてもいいと思うが、このへんちょっとむずかしい。少なくとも、「ほんとにそんな表現形式にする必要あるのか」と作品評価面で攻撃することは可能。規制的な面で批判するとしたらやっぱ、こんなに公の場でやるなよ、という感じなのか
2013-01-29 14:30:51基本は、ゾーニングしっかりするから許して下さいよ、という対応を引き出す戦略になるのだと思う。美術館、とくに私立の美術館については、このへんの線引きが非常にボーダーなところ。あと、テレビじゃ無理だけど美術館ならOKな作品もたくさんある。
2013-01-29 14:32:31のほほんと生きてるけどわれわれはもしかしたらとんでもなく悪しき社会に住んでいるのかもしれない、とたまに考えてみることは大事です。
2013-01-29 14:33:52あと気になるのは、「こうい作品が今も芸術であることは確かですし、当時は美的価値もあったと思いますがが、もう現代ではこの系の作品のショック性は薄れてまして、あとは不道徳さに対する嫌悪感しか残りませんので、撤去してください」という批判がありえるのかどうか。
2013-01-29 14:34:47@conchucame そういう間接的な影響だけでなく、「公の場所で人を侮辱するのはそれ自体よくない」というのもあるのではないかな。市長とかが公共の場で差別的な発言をするのは間接的な影響がなくてもやはり問題があるのと同じ。
2013-01-29 14:41:38@conchucame それはちょっと違うな。人を殴るのがだめなのと同じで公共の場での侮辱自体がだめという話だから。名誉を傷つけ、いちじるしく人の欲求に反するから倫理的に問題があるという話。
2013-01-29 14:56:45@at_akada それだと「この作品はべつに誰かを侮辱しているわけではありませんし、侮辱を奨励しているわけでもありません」って返されて、話が進まん気がするのよね。
2013-01-29 14:59:40@conchucame とりあえず問題にしているのは、個人ではなく、女性とか民族みたいなカテゴリー全体に対する侮辱ですね。ポルノ批判とかでよく問題になる論点でもある。
2013-01-29 15:10:04@at_akada それは同意します。問題は、当該カテゴリーへの直接的侮辱じゃないけど、それを侮辱するような態度を一歩引いて面白がるような、いわばブラックジョーク的な不道徳性ですね。
2013-01-29 15:14:37@conchucame そうです。 (A)「民族Pを笑い者にするような絵」(B)「民族Pを笑い者にする絵を見て笑い声をあげている人の絵」というのがあるとして、(A)はおそらく侮辱にあたるだろう。一方(B)は風刺であり、侮辱にはあたらないだろうと思います。(つづく)
2013-01-29 15:18:52