聖者には,堕落して欲しくはない.聖者の心性は,容易く推し量れるものであって欲しくはない.これが,聖性をもつ存在に対する普遍的な願望なのだろう.
2013-01-26 04:49:24信仰心があるが故の弱さもあると思う.あと,そもそも信仰心の定義も気になるけども. | http://t.co/j9y79MOn 信仰心のない人の弱さについて
2013-02-05 12:44:12ある対象を絶対化するというのは,その対象[ないし対象の発言]を自分にとって絶対に正しいと思われるものとして措定するという程度の意味なんだろうけど,私にはどうにもそれがただの知的怠慢にしか見えない.
2013-02-05 12:56:53或る種の対象を正しいと思うこと,つまり信念をもつことは,信仰することとは異なるように思う.もし両者が同一だとすると,極端な話「私は今朝朝御飯を食べてなかった」という私の強固な信念も,信仰ということになってしまう.
2013-02-05 13:55:57いやいや,信念の内容で信仰か否か区別するんだ,と言われるかもしれない.つまり「宗教的な信念をもつこと」こそが信仰であると.しかしながら,そうすると今度は「宗教」の定義が問題となる.
2013-02-05 13:56:59「宗教」概念に一義的な定義を与え得ないということは宗教学が明らかにしてくれている.例えば神のような絶対者を認めるか否かのように狭く分ければ仏教などは宗教から除外されるし,逆に広くとってしまうとマルクス主義のようなものまで宗教に含まれてしまいかねない.
2013-02-05 13:59:55そうすると信念の側から信仰を規定するのが難しそうだ.これに対して,「情熱」だとか「聖」などといった諸概念で信仰を語る試みがある.ある種の感情・情念といったものから信仰にアプローチする方法だ.
2013-02-05 14:04:30しかし,そういったご大層な言葉で表される感情は,果たして熱狂的なアイドルファンがアイドルに向けるような感情と差別化できるものだろうか? あるいは政治思想に熱狂する者の感情とは差別化できるのか? 少なくとも両者の生理学的な区別が可能か,甚だ怪しい.
2013-02-05 14:09:24我々が保有している「信仰」概念は,マルクス主義者の「信念」とは異なるし,アイドルファンの「情熱」とも異なるものだろう.しかしその実態を考えると,そのいずれとも区別が難しくなってくる.かくして.理性的には「信仰」概念は解体されてしまうように思える.
2013-02-05 14:11:50以上のように考えれば,結局「信仰」とは「情熱をもって何かを正しいと信じること」の一つにすぎなくなってしまい,その故に,私にはそれがただの知的怠慢にしか見えない,というわけである.
2013-02-05 14:15:13stogyo「いいか! おまえらとぼくは知的に身分がちがうのだ! ぼくは知的貴族に位置する! したがって、ぼくへの反論はゆるさんッ!」
2013-02-05 16:28:03内心思っていること、あるいは思うことを捻りだす過程はそうそう変わらないですが、何を出力する文章として選ぶかという部分が生理現象であり社会性なので、創作というのは総じてペットのトイレの場所の選定みたいなもんでしょうかね。
2013-02-05 16:43:24