沼崎一郎先生@Ichy_Numaの「批判とは、相手の主張を挫くことではなくて、相手の主張の穴を埋め、より強固な主張にするにはどうしたらいいかを、相手の替りに考えてあげることなのですよ。」

批判とは、相手の主張を拒否することではなくて、相手の主張を受け入れるにはどのような条件が満たされなければならないかを考え、それを指摘してあげることなのですよね。
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沼崎一郎 @Ichy_Numa

悪口を思いつくのは簡単だ。だから、disるだけなら、誰でもできる。ツイッター見てれば、よくわかるよね。しかし、内容を理解したうえで、きちんと分析して、的確に問題点を指摘するのは、とても難しい。特に、相手の思考を、相手のために発展させられるような指摘はね。

2013-02-09 20:31:27
沼崎一郎 @Ichy_Numa

批判とは、相手の主張を挫くことではなくて、相手の主張の穴を埋め、より強固な主張にするにはどうしたらいいかを、相手の替りに考えてあげることなのですよ。

2013-02-09 20:42:16
沼崎一郎 @Ichy_Numa

批判とは、相手の主張を拒否することではなくて、相手の主張を受け入れるにはどのような条件が満たされなければならないかを考え、それを指摘してあげることなのですよね。

2013-02-09 20:43:38
沼崎一郎 @Ichy_Numa

互いに、己の立脚点を見直し、主張を修正する用意がなければ、議論にはならない。互いに、出発時の主張を超えた新たな地平に立つことが、議論の目的のはず。 RT @tutiya: 議論がそんな立派なものとは知らなかった。主張のない議論はないと思うが。

2013-02-09 23:18:13
沼崎一郎 @Ichy_Numa

「思い入れ」の強さが「誠」だと考えるのが日本文化だからねえ。自分の主張にも誠を尽くしちゃって、批判を冷静に受け入れられない……と。これじゃあ、ドクサから自由になれんわなあ。

2013-02-09 23:33:44
沼崎一郎 @Ichy_Numa

そう狭く限定されては、実にツマラナイ。私が欲する議論は、新たな気づきのある対話だから。 RT @tutiya: 議論は相手の主張が偽であると思ったときにそれを正すためのもの以下でも以上でもない。

2013-02-09 23:48:38
沼崎一郎 @Ichy_Numa

新しい気づきのある対話。対話以前と以後では自己の思考が変容(望むらくは深化)するような対話。 RT @tutiya: 議論は対話なのか。となるとこのTwitter対話はすれ違うしかないですね。

2013-02-10 00:03:10
沼崎一郎 @Ichy_Numa

それは、こちらこそ、すみません。 RT @tutiya: 全然わからないです。すいません。

2013-02-10 00:30:33
沼崎一郎 @Ichy_Numa

論文の考察は一人で書きますが、discussionですよ。 RT @tutiya: いえいえ。本を読んでいてもいろいろ気づくけど、本を相手には議論できないので。

2013-02-10 00:37:11
沼崎一郎 @Ichy_Numa

単なる比喩ではありません。応答可能性を担保してますから。それは本も同じ。 RT @tutiya: それは比喩でしょう。比喩としては理解できます。しかし一人であることはツマラナイけど事実。RT @Ichy_Numa: 論文の考察は一人で書きますが、discussionですよ。

2013-02-10 00:43:03
沼崎一郎 @Ichy_Numa

差異を明確化するためのこともあります。 RT @tutiya だいたいDiscussionを書くときは、反駁を想定してそれへの対応を論じるわけで、反駁の可能性がなければ論文のDiscussionだって書けないはず。したがって、気づきはどうでもよくて、真偽を争うことが本質なのでは?

2013-02-10 00:45:02
沼崎一郎 @Ichy_Numa

論文や本を書いてね。 RT @tutiya: 本に応答ができる?

2013-02-10 00:51:00
沼崎一郎 @Ichy_Numa

違いますね。多様性の存在を前提としていれば。それぞれの個性を確認するための議論もあります。 RT @tutiya: 差異の明確化というのは同じだと思う考え方を否定することですよね。ということはちゃんと論争しているのでは?

2013-02-10 00:58:08
沼崎一郎 @Ichy_Numa

もう少し長いスパンで考えてますが? 本には、本や論文で応え、それに新たな本や論文で再び応えが帰ってくる。そつ期待して、本や論文を書くわけでね。 RT @tutiya: いえ、今目の前の本、論文が口を開いて答えるかということです。自分で勝手に対話した気になるのではなく。

2013-02-10 01:03:02
沼崎一郎 @Ichy_Numa

共同で吟味するための対話です。 RT @tutiya: つまり、論争ですね。

2013-02-10 01:15:31
沼崎一郎 @Ichy_Numa

具体的に多様性の度合いを確認する作業も必要でしょう。個性の度合いも同様。 RT @tutiya: かつ、多様性を前提すれば個性も前提されているのでは?

2013-02-10 01:17:47
沼崎一郎 @Ichy_Numa

Jointly investigate through discussion. RT @tutiya: ここはわからない。 RT @Ichy_Numa: 共同で吟味するための対話です。

2013-02-10 01:22:21
沼崎一郎 @Ichy_Numa

AとBとの間の差異の多寡。どこまで同じで、どこから違うか。 RT @tutiya: 「個性の度合い」はもっとわかりません。

2013-02-10 01:25:38
沼崎一郎 @Ichy_Numa

比喩ではなく、現実の共同体を想定しています。 RT @tutiya: なるほど、論争相手も共同研究者であるということですね。比喩的には了解できます。

2013-02-10 01:33:00
沼崎一郎 @Ichy_Numa

私は、真理へと至る道筋の多数性、多元性のほうに興味があります。また、比喩と言われるかもしれないけれど。 RT @tutiya: 学問は真理を追究する営為だからです。

2013-02-10 01:40:10
沼崎一郎 @Ichy_Numa

それほど悲観的でも自虐的でもありません。 RT @tutiya: なるほど金銭ではなく名誉が通貨として競争が行なわれるscietific communityというやつですね。

2013-02-10 01:43:26
沼崎一郎 @Ichy_Numa

会って話がしたい、自分の考えをぶつけて、批評を聞きたいと思う先生が、亡くなって久しいというのは、なんとも悲しいなあ。あの先生に聞いてほしいことだから。部屋を訪ねると、ニッコリ迎えてくれて、話が聞いてもらえた、あの頃がたまらなく懐しい。

2013-02-10 01:50:57
沼崎一郎 @Ichy_Numa

そこが、まさに、あなたと私の文化の違いですねw。 RT @tutiya: はい、その言い方は比喩以外の何物でもない。

2013-02-10 01:52:20
沼崎一郎 @Ichy_Numa

いえいえ、あなたは見事に、主観的な価値判断を下していらっしゃる。そういう判断もあり得ることを、私は承認しますが。 RT @tutiya: ぼくも客観的に描写しているだけで悲観的でも自虐的でもありません。

2013-02-10 01:54:12
沼崎一郎 @Ichy_Numa

暴力も体罰も排外主義も「国際的に恥をかくだけだから止めろ」といったほうが、通じるんじゃないか? 明治の政治家は、国際的に恥をかかないために、懸命に当時のグローバルスタンダードに合わせようとしたんだから。

2013-02-10 02:08:42