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cornelius0321
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市川猿之助と浜木綿子が45年ぶりに再会。猿之助は、浜木綿子をねぎらって「香川照之を立派に育て上げるには苦労したでしょう」と声をかけたという。美談だと思うが、歌舞伎界の風雲児と言われた猿之助がこんな言葉を口にするのを見ると、病に倒れた老いの身の淋しさを感じてしまう。
2012-06-05 13:02:31![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
3代目市川猿之助(当代猿翁)の本名は喜熨斗(きのし)政彦という珍しい名字。彼が初めてスーパー歌舞伎で宙乗りをすることになったとき、保守的な長老格の先輩たちの中には、当時人気があった木下サーカスをもじって「まるで喜熨斗サーカスだな」と揶揄する者もいたという。
2012-06-06 23:25:22![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
市川猿翁があの状態で舞台に立てるのなら、澤村藤十郎も立てるのではないかと期待する。紀伊国屋ゆかりの演目「女形の歯」が見たい。
2012-06-06 06:46:34![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
②今初めて分かった。香川照之に向けた「あなたは私の息子ではないし、私もあなたの父ではない」という猿翁の言葉は、親としては冷酷、役者としては助言という両義性があったのか。
2013-01-12 17:14:23![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
③猿翁はそれを「俳優」としての立場で言ったつもりだったが、香川はそれを「父親」の立場からの発言と受け取ってしまったことが、この親子の確執を生んでしまった。 別に、そのような受け取り方をした香川が悪いわけではないが。
2013-01-12 17:14:11![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
④つまり、猿翁の中では親としての「情」よりも役者としての「理」が勝っていたということになる。頭が良すぎる人の特徴だと思う。
2013-01-12 17:14:02![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
⑤香川のほうも、自分が生まれた家を偽りの家庭だと思い、幼少時には誰にも心を開かずに過ごしたというのは、やはり頭が良すぎるからだろう。
2013-01-12 17:13:52![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
⑦猿翁は脳梗塞を患った身体をリハビリしながら香川に演技指導し、香川にとっては、歌舞伎の稽古が、父親に拒否された心のトラウマへのリハビリとして機能しているようにも見える。
2013-01-12 17:13:27![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
⑧今回の番組は、あくまでも父と息子という視点で製作されているから、藤間紫の存在には触れられていないし、浜木綿子の視点もあまり前面に出てこない。そのことに不満や批判を持つ視聴者もいるだろうが、良質なドキュメンタリーだったと言えるのではないか。<完>
2013-01-12 17:13:06![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
白血病から復活を遂げ、歌舞伎座で『お祭り』を復帰演目にした舞台で、團十郎が花道に登場したときの、場内割れんばかりの拍手と歓声。今も私の耳に残り、目に焼き付いている。嗚呼、それなのに!!
2013-02-04 01:05:49![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
②着物は、「紋付き」という言葉の示す通り、背、両胸、両袖の5か所に家紋を入れるのが正式とされる。市川團十郎率いる成田屋の紋は「三升(さんしょう)」といって、正方形の枡形が入れ子になった独特の形だ。
2013-02-07 23:31:01![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
③当然、当主である團十郎の葬儀だから、海老蔵をはじめ、家族はこの「三升」の紋の付いた喪服を着て格式を示すものだとばかり思っていたら、「石持」だった。「石持」は、本来家紋を入れる場所に家紋を入れず、ただの白丸にしたもののことを言う。
2013-02-07 23:30:48![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
④歌舞伎では『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)』の四段目「道行恋苧環(みちゆきこいのおだまき)」のヒロインお三輪が着ている着物が「石持」だ。 http://t.co/YOZfP9TP
2013-02-07 23:30:34![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
⑤「石持」は、お三輪のように家紋などない身分の低い町娘の着物や、家紋を入れる暇がない場合の急ごしらえの着物に使われる。
2013-02-07 23:30:23![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
⑥市川團十郎家の場合、歌舞伎の家だから、年に何回も着物を高級な生地から仕立てているはずだし、家紋の付いた喪服だって何着もあるだろう。でもこれまでに他人の葬儀で着た喪服を何度も使いまわしたりするようなケチなことはしないはずだ。
2013-02-07 23:30:09![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
⑦ましてや当主の葬儀ともなれば、喪服一つにしても成田屋の名に恥じないものを、新しく仕立てたのではないかと思う。ただ、家紋を入れるとなると、それなりの手間もかかるので、家紋のない「石持」を、團十郎が亡くなってから急いで仕立てたのだと思う。
2013-02-07 23:29:33![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
⑧ということは、私の推測になるが、成田屋の人々は、「当主が亡くなるなんて、最後の最後まで思いもしなかった」ということだろう。亡くなる何か月も前から家紋の入った喪服を新しく仕立てているようでは、当主が亡くなることを予期していることになるからだ。
2013-02-07 23:29:15![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
⑨大成駒と呼ばれた六世中村歌右衛門の葬儀の日には、満開の桜の中を雪が舞った。成駒屋らしい幻想的なまでの美しさだったという。市川團十郎の葬儀の日には、みぞれ交じりの雨が降った。
2013-02-07 23:29:01![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
⑩成田屋の重責を背負った故人をねぎらう雨だったのだろうか、それとも早すぎる別れを惜しむ涙雨だったのだろうか…。<完>
2013-02-07 23:28:48