オウム真理教事件の言及から考える自由の尊重とテロ

主に渡邊芳之さん(https://twitter.com/ynabe39)のツイログから「オウム」で検索し集めたツイートのまとめです。 http://twilog.org/ynabe39 http://twilog.org/kikumaco http://twilog.org/guru_asahara/ 続きを読む
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渡邊芳之 @ynabe39

「国が安全な宗教と危険な宗教を区別して安全と認めるものだけを優遇する」なんてことになったら「政治の宗教への介入」になるからです。 RT @It_km: ...「潜在的な危険」のある組織に対して、国が宗教法人として法的な優遇措置を与えているように見えることが不思議です。

2011-02-12 06:23:00
渡邊芳之 @ynabe39

もちろん「実際に反社会的な行動をする宗教」はオウムのように優遇措置から外されますが,「潜在的な脅威で排除できる」ようになると無制限に拡大解釈される危険があります。戦前にはそれで治安維持法により実際に潰された宗教があります。 RT @It_km

2011-02-12 06:25:22
渡邊芳之 @ynabe39

それを安全な宗教に誘導するような「宗教教育」として行うことには反対。「リテラシーの教育」としてはありうるかもしれないですね。 RT @It_km: ...一般市民に対しては、公教育における一般的な宗教教育の充実により、カルトに対する免疫をつけることができると思います。

2011-02-12 06:27:25
渡邊芳之 @ynabe39

「自虐的」でなければ「礼賛」になっちゃうのはどうにかならないか。2つの中間にいくらでもとりうる立場はあるだろうに。

2011-02-12 08:09:09
あ〜る菊池誠(反緊縮)公式 @kikumaco

オウムは僕にとって原点ともいえる問題だが、STSの問題だと思ったことは一度もない @hirakawah

2011-05-07 03:07:04
あ〜る菊池誠(反緊縮)公式 @kikumaco

しかし、選挙に出た頃のオウムの宣伝カーの前でガネーシャ帽をかぶって踊っていた女の子たちは、なぜそろいもそろって可愛かったのか

2011-05-09 04:00:40
渡邊芳之 @ynabe39

ナチスやオウムの問題を「愚かな人が騙された」と考える限り,また同じことが繰り返されます。あなたのような人もナチスに投票したのです。 RT @mousekp: 1928年12議席、1930年107議席、1932年230議席第一党に。 ナチスの議席数の推移。発言を訂正していただきたい

2011-10-01 19:41:27
渡邊芳之 @ynabe39

まあたいていの宗教が最初は「カルト集団」であるわけで。

2011-11-22 09:18:32
渡邊芳之 @ynabe39

だから私は「元オウムの信者たちがやっている」というだけの理由で特定の団体を弾圧することには反対です。どの宗教にとっても「来た道」なのかもしれない。 RT @kikumaco: そうです。それが社会との軋轢を経験して、しだいに社会と平和共存できるようになるのだと思います。

2011-11-22 09:22:38
渡邊芳之 @ynabe39

これまで殺した人の数がオウムよりずっと多い宗教は他にたくさんあるし,そういう宗教が世界宗教とよばれている。

2011-11-22 09:24:27
渡邊芳之 @ynabe39

オウムが現れた時も「知識人」の多くはそれがそれほど深刻な問題だとは思ってなかったし,むしろ「オウムの信教の自由だって守らないと」とか「冷静な立場」を取っていた。オウムに反対していたのは「生理的な怖さ」を感じた普通の人たちで,結果として普通の人の方が正しかった。

2011-11-22 10:17:39
渡邊芳之 @ynabe39

オウムをバカにして笑っている間に,また「犯人がオウムと決まったわけじゃない,冷静になれ」と言っている間に,何人もの学生を連れて行かれ,テロの被害者にもしてしまったことは自分の個人的経験としてとても大きなことだった。

2011-11-22 10:33:42
渡邊芳之 @ynabe39

人間の行動は(意思や意図や意欲など)その行動の前にあるものではなく、行動の結果によってコントロールされている、と考えるだけでいろんなものがまるで違って見えてくる。

2012-12-28 06:52:57
渡邊芳之 @ynabe39

われわれが「次に現れるオウム」を許さないのと同じように、世界も「次に現れるナチス」を許さないだろう。そこでは「信仰の自由」や「民族自決」などの「20世紀的な価値」が「もっと大きな価値」によって制限されることが現実に始まっている。もちろんこれは「良くも悪くも」。

2012-12-28 07:13:04
渡邊芳之 @ynabe39

日本において信教の自由や表現の自由に対する感覚がオウム事件で大きく変化したというのは正しい見方だ。

2012-12-28 07:14:15
渡邊芳之 @ynabe39

われわれはどうすべきだったのか、ということを20年ずっと考えている。

2012-12-28 07:18:46
渡邊芳之 @ynabe39

1990年の信州大学でたとえば私が「麻原講演の阻止」を主張しても誰にも支持されなかったし実現もしなかったとは思う。まだオウムの反社会性は「うわさ」でしかなかった。

2012-12-28 07:27:26
渡邊芳之 @ynabe39

こういうこともあった。松本サリンが起きた時に当時執筆中の本の編集者がメールで「あれはぜったいオウムの仕業ですよ」と言ってきたので私はとても驚いて「言論の仕事に従事する人がそんな決めつけをむやみにするもんじゃない」とたしなめた。しかし結果としては彼が正しかった。

2012-12-28 07:30:57
渡邊芳之 @ynabe39

一連の事件の原因が解明される以前の時期にはそういう「せめぎ合い」はあちこちであったと思う。そして実際「信教の自由を守れ」「表現の自由を守れ」という立場は多少なりとも事件の解決を遅らせたのだろうとも思う。

2012-12-28 07:33:05
渡邊芳之 @ynabe39

それが「自由の恐ろしさそのものを受け入れる」方向に行くのでなく「恐ろしくない自由だけを認める」方向に行くのは、その恐ろしさのリアリティから言って自然なのかもしれないと思う。

2012-12-28 07:41:25
渡邊芳之 @ynabe39

「オウム犯行説はデマだ」と言う「冷静な人」がたくさんいたんです。 RT @lncln: 冤罪や未確認情報に対する慎重な態度は「結果として正しくない」かもしれないこと、今なお重要ですね

2012-12-28 07:43:23
渡邊芳之 @ynabe39

そうです。私がいつも「冷静なら正しいわけじゃない」と言っているのはそういうことでもあります。 RT @masat62itcare: 理性や理論より本能と経験が成功する例は多々ありますよ。…動物的な反応でしか彼には立ち向かえない。

2012-12-28 08:52:13
渡邊芳之 @ynabe39

蘇った「正義」と「排除」とのバランス。 RT @gnsi_ismr: 現代は、「われわれ」や「世界」に誰が含まれて誰が含まれず、「われわれや世界が許さない」ということがどこまで「許される」のかということが、大きな問題になっていますね。

2012-12-28 08:53:07
渡邊芳之 @ynabe39

かなりの部分はそうです。私のように「北朝鮮を支持しない政党]の支持者であっても「推測だけでむやみなことをいうものではない」と思っていました。 RT @koli_san: 拉致の「北朝鮮犯行はデマ」も、そういう文脈でしょうか

2012-12-28 08:56:30
渡邊芳之 @ynabe39

じっさい真相が明らかになる前に言われていた「オウム犯行説」の中には根拠もなく今みたらデマとしか言いようのないものも多く含まれていたと思う。しかし今それを「デマ」という人はいない。「結果として正しかったこと」はそれが言われた意図や経緯とは無関係にデマではなくなるからだ。

2012-12-28 08:59:33