縄文、弥生時代(一部奈良時代)の生活形態、集落と交易

縄文、弥生時代(一部奈良時代)の生活形態など、「不思議だな~」「どうしていたんだろう?」といういくつかのポストに頂いた、考古学的見地からのサジェスチョンと、そこからの連想をTLから拾ってみました。 学術的なお話ではなく、柔かい古代生活考としてお楽しみ頂けたら幸いです。
3
前へ 1 ・・ 3 4
Gijyou @gijyou

@k_h_musume 竈の導入は概ね5世紀代ですので、それ以前は炉ですね。ただ、炉の構造と位置、住居の平面形と構築法にも地域差が現れます。また、大集落では他地域の炉構造を持つ竪穴住居が見つかることもしばしばあり、これは、他地域の人が居住していたと考えられています。

2013-02-17 11:33:40
Gijyou @gijyou

@k_h_musume そうですね。私が調査した濃尾平野低地部の紀元前1世紀頃の大型集落では、他地域の炉が目立ちましたし、他地域産の土器も沢山出てきます。住居の数に対してお墓が極端に少ないなど、相当頻繁に人の交流があり、一つの集落で一生を終える人は案外少なかったのかもしれません。

2013-02-17 11:56:34
しわまろくん 盛岡市 志波城古代公園 @shiwamaro_kun

2/23(土)・2/24(日)、宮城県多賀城市の東北歴史博物館で、古代城柵官衙遺跡検討会。城柵官衙遺跡と災害というテーマで、志波城と洪水についての発表もありますよ。 http://t.co/JknUivyI 

2013-02-17 11:49:25
賀茂史女/かものふひとのむすめ @k_h_musume

RT>自分が洪水に被災した経験では、鉄砲水や土石流は決壊したその場所だけで起こっているので知る手段がなく、その他の場所では前ぶれなく音もなく、静かに水位が上がってくるのと、いつ水が引くのかわからないのが怖さだったなあ。そして水が引いた後の辛さったら…。

2013-02-17 12:00:45
賀茂史女/かものふひとのむすめ @k_h_musume

@shiwamaro_kun ん?しわまろくんが「竪穴建物」と表現するということは、住居ではなかった…?

2013-02-17 11:53:44
しわまろくん 盛岡市 志波城古代公園 @shiwamaro_kun

竪穴住居って普通は言うよね。でも、集会所とか工房とか色んな機能があったと思うんだ。カマドがあれば、住居っていいきっていいのかな?って。深い意味は無いよ(^_-) "@k_h_musume:ん?しわまろくんが「竪穴建物」と表現するということは、住居ではなかった…?"

2013-02-17 12:01:02
賀茂史女/かものふひとのむすめ @k_h_musume

@shiwamaro_kun 工房や集会所、成る程です!(*´▽`*)。住むところだけじゃないですよね。

2013-02-17 12:17:27
賀茂史女/かものふひとのむすめ @k_h_musume

@gijyou 以前教えて頂いた集落単位での交易の有り様と並んで、当時の生活や習慣の有り様について、とても重要なお話をうかがっていると感じます。縄文・弥生期でも集落単位での社会性というのは想像に難くありませんが、もっと大きな括りがあったと考えてもいいのでしょうか?。

2013-02-17 12:15:04
Gijyou @gijyou

@k_h_musume 大きな地域単位は、縄文時代ではよく分かりませんが、弥生時代中期以降では中国の史書に出てくる「国あるいは国邑」が概ねそれに当たります。地域的には、律令期の郡の領域とほぼ同じ程度とみて良いと私は考えています。

2013-02-17 12:46:41
賀茂史女/かものふひとのむすめ @k_h_musume

@gijyou あ、地方豪族の発祥やその後の中央豪族との関係構築へとつながっていくような…。いつもありがとうございますm(__)m。

2013-02-17 13:02:43
Gijyou @gijyou

@k_h_musume @sakana6634 @shiwamaro_kun 改めて読ませていただくと、言葉足らずのところが目についてしまいますね。ここではあえて「竪穴住居」と書いたのですが、「掘立柱建物」の対義語でもありますので、報告書では「竪穴建物」に統一しています。

2013-02-18 22:22:53
賀茂史女/かものふひとのむすめ @k_h_musume

@gijyou あ、やはり「住居」より広義な「建物」が相応しいのですね。「縦穴式住居」という言葉は確かに耳慣れている感がありますが、これまで伺ってきたお話で、縄文、弥生時代の社会性は、私の想像よりずっと高かったのだと感じました。そう考えると「住居」はやはり使用目的が限定されますね

2013-02-18 22:30:42
Gijyou @gijyou

@k_h_musume 昔は「竪穴式住居」「掘立柱式建物」「縄文(紋)式土器」「弥生式土器」だったのですが、いつしか「式」を省略するようになりました。「竪穴建物」は比較的最近の用語で、おっしゃる通り住居と機能が限定できないので、これを用いるように、という指導がなされています。

2013-02-18 22:37:50
賀茂史女/かものふひとのむすめ @k_h_musume

@gijyou 本来は建築方法の分類として使われるのですね。うまく言えませんが、縄文、弥生時代の生活を漠然と「原始的」「非科学的」と感じてしまう一つの理由は、研究解明が進む以前の「縦穴式住居」という言葉とセットで刷り込まれた固定観念だったのかも?と思いました。気を付けたいです。

2013-02-18 22:51:12
Gijyou @gijyou

@k_h_musume 竪穴建物は平安時代までは確実に続きますから、一概に原始的とは言えませんよね。前に登呂遺跡を例に出しておられましたが、琵琶湖沿岸など水につきやすい地域は早くから掘立柱建物主体の集落が出てきますし、逆に北の方では深い土屋根の竪穴建物の方が保温性に優れていますし

2013-02-18 22:58:29
賀茂史女/かものふひとのむすめ @k_h_musume

@gijyou この「竪穴建物は平安時代まで続いていた」というところが、実感として周知されていない感が…σ(^^;)。しかも時代ごとに改良や変遷があったはずなのに、省みられないですね。なんだか竪穴建物が不憫ですが、確かに私自身も掘立柱建物発見のニュースに目が行ってしまいます。

2013-02-18 23:19:08
Gijyou @gijyou

@k_h_musume 有名な奈良県三味田宝塚古墳出土の家屋紋鏡は、当時の豪族居館を表わしているとされていますが、このなかで豪族が居住したと考えられている建物も、実は竪穴建物なのですよ。

2013-02-18 23:29:24
賀茂史女/かものふひとのむすめ @k_h_musume

@gijyou あ、確か馬見丘陵にある古墳群で見つかった鏡ですよね。竪穴建物が、建造にも暮らすのにも都合が良かったからこそ、長く使われて改良もされたのだと思うのですが、立地での変遷で言えば登呂邑や、時代はかなり下りますが長岡京のように、水害には弱かったのかなあと考えています。

2013-02-18 23:48:13
しわまろくん 盛岡市 志波城古代公園 @shiwamaro_kun

@k_h_musume @gijyou  竪穴建物は形はかわりますが、中世、近世、近代まで存続しますね。農村には室(むろ)はありましたし。日本史上、最も長く使われた建物の形といえますね(^_-)

2013-02-19 00:36:42
賀茂史女/かものふひとのむすめ @k_h_musume

@shiwamaro_kun あ、室もそうですね!。時代ごとの変遷が見られたらさらに実感が湧きそうです(*´▽`*)。志波城に造られる予定の住居は、城柵築地塀近くで見つかっている平安初期の鎮兵の住居跡と見られる物の復元でしょうか?。

2013-02-19 02:13:28
賀茂史女/かものふひとのむすめ @k_h_musume

竪穴建物でねる夢を見ながら床に着きまする。お休みなさいm(__)m。

2013-02-19 02:16:04
前へ 1 ・・ 3 4